2024年1月8日

能登半島地震が起きてから一週間。
おととしのゴールデンウイークに能登島にキャンプに行って、輪島朝市、白米千枚田、塩田を通って珠洲市を経由して真脇遺跡へ。
この地震ですべて被災地域となってしまった。
能登の思い出は30年以上前にさかのぼる。
太平洋沿岸の沼津から、信州の鹿教湯温泉を経て、能登にキャンプに。
駿河湾の浜辺とは落ちている貝も違って、海の水もきれいですごく感動した気持ちをいまでも覚えている。
キャンプ場は浜辺で、浜辺の散策からテントに戻る時に、父に買ってもらったチョコレート入りのアイス最中。今でもスーパーで見かけると「あー、能登でお父さんに買ってもらったな。」と思い出す。
強烈な思い出がもう一つ。テントに帰る道すがら止まっていたフォルクスワーゲンバス。
スライドドアが開いていて、そこから見たフロアの絨毯敷き。
30年以上経つ今も、憧れの車。
なぜ、あの時の能登旅行はここまで記憶の大きな部分を占めているのだろう。
兼六園に行こうとして、父が駐車料金をケチって、金沢大学に車を止めたら、当然のようにお叱りのメッセージがワイパーに挟まれていて、「遠くから来られているので今回は大目に見ます。」と書かれていたのをはっきりと覚えている。
その思い出を追体験するため、子供にも同じように思い出ができたらいいなと思っていたそのキャンプから1年半。
まさかこんなことになるなんて。
どうか犠牲者が最小限で済みますようにとの願いもむなしく数百人の方がなくなってしまった。それも元日に。おかしいでしょ。家族・親族が一番穏やかに過ごしている日なのに。
東海地震が来るぞ来るぞとそれこそ幼稚園から教わって育って来たのに、被害を受けていくのは他県の人ばかり。
今回の地震で、NHKにすぐ切り替えたら、アナウンサーが必死に避難を訴えていた。なぜか涙が止まらなかった。
13年前の津波を傍観者として見ているしかなかったトラウマ。
声をかけるしかなす術のないアナウンサーの人の切実な祈り。
どうか、どうか、これ以上能登の人々の苦しみが増えることがありませんように。

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