見出し画像

夫婦の記録と読書メモ


もう一人、誰かを好きになったとき―ポリアモリーのリアル― 荻上チキ 著

 本の感想の前に個人的な話を書く。私は結婚後に好きな人が複数回できたことがある。頭の中で想っていただけで好きな人と連絡先を交換して会ったりしていたわけではない。だが話しかけたりはしていた。
 そのことは墓場まで持っていく秘密のつもりだったが、ある日突然一人で抱えきれなくなり、配偶者に打ち明けた。思いのほか反応は薄かった。あまり悲しんだり怒ったりする様子がなかったのでもしかして私と同類かと思い、好きな人とかできないのと配偶者に聞いたところ、「好きな人は(私)。この歳になったらあんまり好きな人とかなぁ。この子可愛いなくらいはあるけど。」という至って真面目な回答。撃沈した。クズは私だけなのか。「こいつは俺だけが好きだったんじゃないのかチキショー」みたいな気持ちはないのかと聞いてみたが、「まぁ嫉妬みたいな気持ちはないでもないけど、何もなかったんでしょ。」という返事だった。「あなた理性があるから一線は越えないでしょ。」「それだけ信頼しているということ。」「あまりにも深刻な様子で打ち明けるから何年も既に付き合っているとかそういう話かと思った。」「連絡先交換して密会を繰り返してるとかなら話変わってくるけど、かわいいもんじゃないか。」「その中でも常に俺を選び続けてくれているとも言える。」等々の慰めるような言葉までかけられた。
 どうやら「この人かっこいい」程度の気持ちと捉えられたようだけど、私は見た目で人を好きになることはなくて性格や仕事ぶりで好きになっていたし本当は結構ヘビーな好意を持っていたのだが上手に説明できなかった。結果としてより軽く捉えてくれて相手が傷付かずに済むならいいかと思って、もうそれ以上何も言えなかった。
 相手はそれほど気にしてない風だったが、後ろめたいのもあってこっちは激しく凹んだ。最悪何かが今後起こったとしても隠し通せば誰も傷付けないと思っていたのだが、自分は隠し事がド下手だという事実にも直面したしとにかく凹んだ。

 この本は自分を責めるのをやめたいという動機で手にとった。見慣れない単語が多くて飲み込むのが大変だった。読み終わって少し冷静になれた気がした。冷静になりすぎたというか自分の中の情みたいなものが、なぜか綺麗に消えたのを感じた。自責の念も、配偶者への情も、他の人への情もどっかいった。無理に媚びることもないし無理に思い続けることもないという心境に至った。
 当事者が他にもいる。言葉として定義がある。だからって自分の欲望を肯定しすぎずにパートナーが嫌がることは極力しない。自分のできる範囲で相手に配慮する。それは大事にすべきではないかなと改めて思った。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?