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健康マインド(僕らの女流歌人❗)「荒井由実」①            

1954年産まれ、松任谷由実さんですが、僕らには(荒井由実)。
中学生の時から港区麻布台のイタリアンレストラン「キャンティ」に出入りしていた、都会っ娘でした。
立教女学院高校時代から作曲家デビュー❗多摩美術大学へ。

1973年(ひこうき雲)❗

最初から荒井由実ワールドは完成されています。
♫白い坂道が 空まで続いていた ゆらゆらかげろうが あの子を包む 誰も気づかず  ただひとりあの子は 昇っていく 何もおそれない そして 舞い上がる 空に憧れて 空をかけてゆく あの子の命はひこうき雲

亡くなった友達を想ったとの(ひこうき雲)は力強く、ファッションやスタイル先行の作者ではない❗と訴えています。

日本人にはない声質と曲作り、歌手として注目され、コンサート活動を開始します。
1975年 フォークグループ(バンバン)に提供した(いちご白書をもう一度)がヒット❗
同年自身が歌う(あの日に帰りたい)とオリコン1位が続き、一気に才能が認知されます。

男臭いフォークの中では異色の才能が開花します。
武田鉄矢の述懐(この歌詞で、敵わないと降参しました❗)と言ってます。
1974年リリースのアルバム「MISSLIM」にある(海を見ていた午後)

♫山手のドルフィンは静かなレストラン 晴れた午後には 遠く三浦岬も見える ソーダ水の中を 貨物船がとおる 小さなアワも 恋のように消えていった。

私も何度も、何度も感心したフレーズ(ソーダ水の中を 貨物船がとおる)は歴史を作りました❗

続く


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