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健康マインド(幸せに近い生き方)ガラスの風鈴① 敏江と広隆の場合

10歳の幼馴染が30年後に再会して不倫関係に、そして50年後に不倫同士の(ふうりん)生活。
これが(幸せに近い生活)になるのか❓
広隆の日記を見てみましょう❗


広隆が家を出て、部屋を借りた。その部屋に敏江が同居して不倫同士の(ふうりん生活)が始まった。
3月の始め、河津桜が満開になった時だ。

広隆はまだ会社に勤めている。60歳で定年になり肩書きはなくなったが、あと5年は働ける。だが広隆は今年11月の誕生日で辞めるつもりだった。
去年の誕生日に会社から貰った(退職金)は妻には黙って持っていた。
家のローンの残りを払い、カード会社の精算をしたり、負担になっていた借りを精算すると半分以上の(退職金)がなくなったが半年分の給料程の金が残った。 

広隆の(退職金)の規定は30年以上の勤務期間なら、退職時の給料の30ヶ月分+慰労金だった。給料は基本給と役職手当の合算になるので毎月の振込額とは違う。
広隆は結婚して子供が生まれてからの入社だったので勤続年数が32年になっていたので満額の(退職金)になった。
慰労金に関しては基準が明記されてないので、社長の気持ちとなる、広隆が入社した時の社長は二代目で、三代目が社長になって2年目に急死したので、査定は長男と同い年の三代目社長なので期待はしていなかった。会長職でも二代目社長が居たら65歳まで勤めたはずだから、サラリーマンも運がある。
しかし、長く勤められた会社には感謝しているので、円満退社をしたかった、そのためにこの時期になった。

営業職だったので幹部にはなれたが、その分三代目社長との軋轢や社員同士のいざこざもあって、60歳で役職を離れて1年勤めるのがやっとだった。
工場勤務や事務職の社員は65歳まで勤める人も居たが、営業職ではなかなか65歳まで勤務するのは難しい、先輩を見ていてそう感じていたので、心づもりはあったが、役職を解かれて昨日まで座っていた席に部下が座る職場は居心地の良い物ではなかった。
辞める時期を決めて、会社員の資格がある間にやれる事を考えていた。
その時期に家を出て部屋を借りて一人で住み始めた。
敏江とは再会後、月一回のペースで会っていたが、部屋を借りて住み始めた話をすると、すぐに敏江が来て(一緒に棲むと言う)何も聞かずに受け入れて同棲生活になった。
3月の始め、河津桜が満開の時期だった。

河津桜の開花

続く。






篠原まるよし風鈴(桜にメジロ)

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