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健康マインド(昭和の女流歌人❗)「岩谷時子」①

同世代の女流歌人(うたびと)→作詞家として名前があがるのは、(岩谷時子)(安井かずみ)(山口洋子)です。

岩谷時子 1916年(大正5年)生まれ。
宝塚歌劇団の機関誌(歌劇)の編集長をしていた岩谷時子は当時15歳の新人(越路吹雪)と出会いました。
二人で上京して東宝の文系部に所属して越路のマネージャーの仕事を務めました。
以後ず〜と越路に寄り添っていました。

岩谷時子と越路吹雪

最初は越路吹雪のために、シャンソンの日本語歌詞を作る事だったようです。
♫(愛の讃歌)(サン・トワ・マミー)(ラスト・ダンスは私に)(首ったけ)(ろくでなし)❗
越路吹雪の全てを演出しました。
越路が亡くなってからも、多くの歌手に、数多くの歌を届けます。
女性の歌が多い中で、この人気者の歌も❗

♫(君といつまでも)(お嫁においで)

郷ひろみの(男の子女の子)・(花とみつばち)
私の好きな❗沢田研二(君をのせて)も岩谷さんです。

♫風に向いながら  皮の靴をはいて 肩と肩をぶつけながら 遠い道を歩く  僕の地図はやぶれ  くれる人もいない だから僕ら 肩を抱いて二人だけで歩く  君のこころ ふさぐ時には 粋な粋な歌をうたい 
君をのせて 夜の海を 渡る舟になろう❗

名曲ですね~❗
君をのせて 夜の海を 渡る舟になろう❗ですよ。

もうきりがない位の歌を紡いでくれました。

佐良直美 ♫『いいじゃないの幸せならば

あのとき  あなたとくちづけをして あのとき  あの子と 別れた私 つめたい女だと 人は云うけれどいいじゃないの  幸せならば
あの晩  あの子の顔も忘れて あの晩  あなたに抱 かれた私 わるい女だと 人は言うけれどいいじゃないの幸せならば

名曲ですよね~❗
あの時の佐良直美の声で歌詞に説得力がありました。
まだまだあります。
続く


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