日記 打鍵だけ

タイピングが好きだ。

少し前に安めのゲーミングPCを手に入れた時、真っ先にやったのが寿司打だった。ありとあらゆるPCゲームを楽しみにしていて、届いてすぐウキウキで設置した立派なPCで、即座に寿司打を検索した。その時気づいたのは、私は結局タイピングがしたいからPCを買ったのだ、ということだった。
一応、マイクラの好きなMODをスペックの基準にして買ったPCだったので、そのあとはちゃんとマイクラを入れ、MODを導入してしばらく遊んだし、他のSteamゲームもいくつかインストールしてプレイして、「ゲーミングPCを買った意味」を満たしていった。が、どこまで行っても私が本当にPCに求めていることって「タイピングができること」で、それと「ゲーミングPCを所有しているという満足感」が真の購入動機であった。今ではいくつかのソシャゲを同時起動してデイリーをしながら、寿司打とカラータイルを行ったり来たりするだけの装置と化している。楽しいから良し。

どうしてこんなにもタイピングが好きなのだろう、とたまに疑問に思う。単純に連続でボタンを押しまくるのが楽しいからだろうか。高速で文章が生成されていくのが面白いんだろうか。昔から慣れていたから周りよりも多少速くタイピングができた経験が影響しているのか。どれもまあその通りだと思うし、同時にどれも核心的な理由になっていない気がする。

今はスコスコキーボードを買い替え、赤軸の優しいカチャカチャ感により、さらに打鍵が楽しくなっている。なんなら青軸も欲しくなっている。買っても寿司打やるだけなのにね。でもほしい。カッチャカチャしたい。どうにかして青軸を買うそれらしい理由を生成できないだろうか。ChatGPTにでも聞いてみるかな。


ついさっきも寿司打を繰り返しやっていた。ずっと好きでい続けているタイピングゲームだが、なかなか上手くはならない。正しい運指じゃないのと、正確性を大事にしていないからだ。初期位置だけは正しいのだが、それ以外は打っているうちに自然に身についたもののため、最高効率の打ち方ができていない。指が疲れやすいのもそのせいかな。
最高効率の打ち方といえば、ひらがな入力が最速だという話はよく聞く。そりゃ打鍵数からしてそうとしか考えられないものの、「ひらがな入力」が自分からほど遠い存在すぎてなかなか想像できない。と最近まで思っていたのだが、つい先日、身近にひらがな入力マンが現れた。バレないようにチラ見していたら、まー速いのなんのって。絵が上手い人が描いているところを見ている時と似た感覚だった。なんだか魔法を見ているような、あの感じ。訓練すればできるのだろうが、しようとも思わないため、ひらがな入力はずっと私の中で特殊能力であり続けるのだろう。

ここまでタイピングについていろいろ打っていた中で気づいたが、私は「タイピングによって画面にその結果が反映されること」、ひいてはタイピングそのものを魔法として認識していて、それを面白がっているのかもしれない。魔法、すなわち「仕組みがよくわからないけどすごいこと」だ。それなら納得できる。タイピングは、私が使える唯一の魔法だったのだ!・・・・・・そうかな?うーん・・・・・・まあそうだった方がうれしいもんな。そうです。やったね!


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