見出し画像

【流浪の月】カルマン症候群ってどんな病気?実体験をアラサー女が告白

華やかな高校の学校生活の中で一週間の中で何度か嫌いな時間があった。
それは体育の時間。

運動音痴だからその時間が嫌というわけではなく、その前後の着替えの時間が苦痛で仕方ない。

周りの女の子を観察してみるとふっくらとした胸に可愛いブラジャーをして「その上下お揃いのブラ似合ってるね」だなんてその年の女の子の間では普通の話を広げる。
私はその会話に入っていけず、汗ばんだ自分の体を隠すように制服を誰にも見られないようにしながら着替える。
赤ちゃんの頃から変わっていないのではないかと思えるような胸に、ただの気持ちばかりつけられたカップ付きキャミソールが恥ずかしいから。


毎回の体育の時間が憂鬱だったのに、さらに気分を落とすことになった行事が修学旅行。
そう、お風呂の時間がやってくる。
全てがあらわになるこの時間は普通の女の子であれば楽しい時間。
年頃の女の子たちなのでお風呂の中では「わぁ、おっぱい大きいね」なんて会話も繰り広げられる。
制服を着たままだと普通の可愛い女の子でいられるのに、この時間だけは私が普通ではないおかしい人間であることがバレてしまう。

体を洗うタオルで一生懸命に隠すが、どう頑張っても見えてしまう体の全て。

胸は体つきで他にも小さい子もいるのでなんとか誤魔化せるが、一番困るのがアンダーヘア。
あるはずのところに、一ミリだって毛が生えていない。
産毛が少し濃くなったときに「毛が生えた」と喜ぶくらい毛がない。
この頃の私はそれがとても恥ずかしかったので周りの友人には自分で剃っていると話していた。
子供がお風呂に入っているのと同じ状態の17歳の体。
耐え難い羞恥に襲われる瞬間だった。


体への劣等感を抱きながら、17歳になっても月経が来ない体に異変を感じた母が婦人科へ連れて行ってくれた。
30歳になった今なら感謝できるのだが思春期真っ只中の当時はその事実を受け入れることができずに病院で母と二人で1時間ほど泣いた。

先生から言われたのは以下の通り。

「原発性無月経と言って自分じゃ妊娠できない体です。」

他にも難しい言葉を並べていましたが耳には残らなかった。
当時保育士を目指すくらい子供が大好きで、子供は3人欲しいなぁなんて考えていた私にショッキングな出来事。

子供を作れないってどういうこと?大人になれないの?もはや女じゃないのかな?この事実を知って結婚してくれる人はいるの?一生独身で終わる?
あー私は普通の人ができることをできずに終わるのか。

そんなことをぼーっと考えていた時に母が隣で囁いた
「普通の体に産んであげられなくてごめんね」

この言葉に一生分の涙を出したのではないだろうか。一生忘れられないと思う。

そうか私は普通の体じゃないんだ・・・・・・・ということを突きつけられた瞬間だったから。
「ちゃんと産まれなくてごめんね」ってお母さんに言いたいところをグッと抑えた。

誰も悪くないのに劣化品認定されたような気持ちで悲しさと怒りの感情が溢れた。

親は「死ぬわけじゃないんだからね」と励ましてきたが、私はこの日から死んだ魚のような目で生きていたと思う。


あまりにもショックでこの時、先生に一つだけ嘘をついた
「匂いはわかる?」
このクエスチョンに私は「わかります」と答えている。


狭い集合住宅の団地から溢れかえるカレーの匂い。騒ぎ声と一緒に流れてくる焼肉の匂い。学校のトイレの消臭剤の匂い。授業参観のお母さんたちがつけてくる香水の混じった匂い。

私、これ全部わからないよ。
でもわかったフリするのがとっても上手。みんなと会話を合わせたいから。
というか「におい」というものが生まれた時からわからない。

一番小さな時から思い出すと、5歳くらいの時に食べたスーパーに売ってるりんご・みかん・ぶどうとかの飴やガム。
みんなは目を瞑って味あてゲームをしていたけれど、私にはただの甘いガムでどれを食べても同じ。
匂いで味をつけているガムはどれも同じで、唯一レモン味だけは酸っぱくてちゃんと味がわかるから好きだった。

この時は匂いがわからないなんて思わないから、ただ自分が舌バカなんだなって思っている。

ちなみに味覚はちゃんとわかっていて、インターネットで調べたら生まれつき鼻の悪い人は味覚はあるらしい。

次に「におい」を感じたのは、小学校の理科の時間。
アンモニア臭。
クラスメイトの友達がアンモニアを嗅いで「くっさーい」と騒いでいるので私も試してみる。
試験管を鼻のすぐそばに寄せても何も感じないので、試験管の穴のところまで鼻を入れようとしたところで理科の先生に危険だからやめなさいと怒られた。
テストの時にアンモニアは刺激匂と書かされたけれど、実体験としては無臭が正解でどれだけ鼻を近づけてもわからなかったよ先生。



そして「におい」を感じたいと思った24歳。
大好きな恋人、しかも東大卒という頭のいい彼氏ができた。

これが初めての恋人ではなく、初経験は17歳の高校生の時。
生理が来ないことを不思議に思い薬を飲み始めた時だったので、裸になった時にぺったんこの胸、アンダーヘアは一切ない状態だった。

最初は彼に自分で剃ったと嘘をついたが、面倒くさくなって病気ということを途中から話した。
しかし、相手の理解が追いついていなく「俺が守るよ」なんて病気のことをよくわかってもいないやつに励まされた。
当時、恋空が流行っていてなんだか私が死んでしまう悲劇のヒロインごっこをしている気分。
それ以降の彼氏には、ごっこ遊びも嫌だし毛が生えてきたこともあって病気のことは言ってない。

しかし、24歳の時の彼氏に病気のことがバレてしまった。
しかも自分が想像していたよりもずっと大きな形として。

不運なことに彼の趣味が香水集めで、いろんな香水を試して匂いを当てさせられるが全くわかるはずもない。
さらにはシャンプーも数種類使い分けていて本人は甘いココナッツの香りに包まれている時が幸せそうだった。

あまりに私が匂いを外すものだから、怪しんだのだろう。
病気で飲んでいた薬を探し出して、ネットや本屋さんなどで文献を読み漁ったというのだからさすが東大生だなと思った。

そしてフラワーの香りのディフューザーが置かれたベッドの上で唐突に話かけられる。
「カルマン症候群だと思うよ」

何それ?と言ったのは私の方。
今まで原発性無月経だと思っていたのに、10万人に一人の難病という言葉が重くのしかかる。
彼の検索エンジンを見せてもらうと
検索「薬名 匂いわからない 手足長い」

そこに書かれていた症状は確かに私だった。

カルマン症候群は今までも述べた通り、匂いが生まれつきわからず、女性の場合は月経なども起こらないので胸の膨らみやアンダーヘアがはえてこないなどの症状が起こる。

ただ女性としてのホルモン数値が低いので、ちゃんと薬を飲み続けないと骨粗鬆症になりやすいと母からも口を酸っぱくして言われた。


身内ではなく、ただの恋人に難病だよと教えられるのはものすごく屈辱だったが、悲しい気持ちよりも自分の体と向き合える嬉しさがあった。

だからあの時、匂いがわからなかったのか。だから私の体は手足が友達よりも長いのか。
全てのことが線で繋がれた瞬間だった。


この時の彼とは別れているが、結果として彼が調べてくれたおかげでカルマン症候群という病気と向き合うことになり、ちゃんとした病院にも行けた。


病院での検査は一日で終わるもので、ぶっとくて痛すぎる注射と脳の検査、そして嗅覚検査がある。
25年以上生きてきてわからなかったものがはっきりと病名として突きつけられてスッキリした不思議な感覚と、自分は指定難病に認定されるくらいの病気を持っているのかという恐怖が入り混じった不思議な感覚。

ちなみに違う病院からもらってきた紹介状の病名は隠されていたらしい。
そっか、お母さんは病名知っていたんだな。カルマン症候群だと私が知ったら高校生の女の子にとっては絶望だもんね・・・
とその時初めて母の優しさと苦悩を知った。

この検査の時に得たものは指定難病と自己注射。


私は30歳になるギリギリで、「子供ができなかったら犬でも飼おう」とサラッと言える人と結婚した。

病気のことを理解した上での結婚とはいえ、結婚後すぐの不妊治療が始まり現在進行形。

注射を数本打つことで、きちんと排卵してそれだけで女性としての役割を持てているということに感動した。

子供ができるかもしれないという望みと、今まで女性的発達をしてこなくて悲しかった学生時代を思い出すと注射の痛みなんかなんてこともない。

普通の人の不妊治療よりは大変かもしれないが良かったこともある。
カルマン症候群は子供を作れない病気ではないらしい。

きちんと薬を飲んだり、注射を打つと子供でできる可能性があるとのことで今は私もその奇跡を待ち望んでいる。


この事実を
一生子供ができないのではないかと絶望していた17歳の私に教えてあげたい。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?