ジェンダーについて

この前You Tubeを見ていて性的マイノリティーについて考えてました。難しすぎて考えが煮詰まったのでここに発散します。


私自身は性的マイノリティーではないのですが、中学生の頃、たぶんマイノリティーだった人にすごく無神経なことを言ってしまったことがあって、性的マイノリティーを区別しちゃうような発言をしてしまって(いまだに時々思い返してはうわあああああってなります)当時はまだ性的マイノリティーの存在をよくわかっていなくて、無知の自分が原因だったので少し調べて、気をつけようと思いました。本当に申し訳なかったです。

でも高校でまた、似たような感じで壁に直面しました。その時には前の反省を踏まえていて、性的マイノリティーを区別しないようにしていたら、今度はかえってそれが無神経で配慮がないみたいな、「恥ずかしいからそんなオープンな感じで言わないでくれる?」的なことを言われて、またうわあああああああと思ってものすごく自省しました。また傷つけてしまったかと思って自分ほんとうに最低だなと思いました。

それからはもう、性的マイノリティーを完全に理解するというよりも、ただ傷つけないように、絶対に干渉しないようにしようと思っていました。

でもこの前、ユーチューブで動画を見ていたら、自分をゲイだと公言している人が「『TWICEの中で誰の顔がタイプ?』って聞かれることだって私にとってはセクハラなんです!」と訴えていました。それを聞いて、ジェンダーについて触れるのってすごく難しいなと再び感じました。

ここまでの話をまとめると、とにかくどうしたらいいのかわからないということです。性的マイノリティーを区別し過ぎるのはもちろん良くないけれど、区別しないようにすると配慮がないと捉える人もいるし、TWICEの顔のタイプを聞いちゃいけないと思っている人もいるし、線引の基準が人それぞれ違いすぎてもうどうしたらいいのかわからなくなりました。

でもそのYouTuberが言っていたことで納得したことがあって、「でも、そもそも素敵な人っていうのは人との距離感を見誤らないし、そういうパーソナルな部分に踏み込んでこない」ということです。たしかにそうだと思って、自分もそういう風にしていこうと思いました。

でも「その人のパーソナルな部分を避ける」のは本当に正しくない気がするんです。それはその場しのぎという意味での姑息な手段だと思うし、そもそもパーソナルな部分とそうでない部分の境目ってどこ?って感じだし、そうやって避け続けたらなんかもう何も話せなくなるんじゃないかなって思うんです。

今はジェンダーについての話ですけど、もしかしたら近い未来では、「自認が人間以外の動物」とか「性指向が生き物ではない」とか、人間の認識のあり方の自由がさらに発展していくかもしれないと思うんです。何世紀も前の人が現在の性の多様性を予測できなかったように、今の私たちには想像できないような新しい「自認」の形がたくさん生まれてくるはずです。そうだとしたら、「私にとって動物園に行こうと誘われることはハラスメントだ」みたいに、「パーソナルな部分」が増えていくと思うんです。また難しいです。


結論として、

・今のところは、ジェンダーのようなパーソナルな部分には踏み込まないという選択がベスト(なはず…)

・パーソナルな部分とそうでない部分との境界ってどこなんだ?


ということです。また誰かを傷つけないか心配で仕方ないです。どうするのがベストなんでしょう。パーソナルな部分とそうでない部分の境界ってどこだと思いますか。




少し話は逸れますが、私は自分が全性愛者だったらよかったのになと思うんです。異性愛者でも同性愛者でもなく、全性愛者です。私は女の子を好きになったことがないので、私が恋した時には、相手の条件に「男である」という条件が入ってしまうんです。つまり「なんで俺を好きになったの?」と聞かれたら、理由の1つに「あなたが男だから」という生まれつきの特徴が入ってしまうことになるんです。生まれつきの特徴が理由で人を好きになるって、「あなたって背高いよね!だから大好き!」というのがおかしいように、ちょっと違和感があります。全性愛だったら、生まれつきの素質ではなく、その人が生まれてから自ら掴み取った価値観だけを理由に、その人を好きになれると思うんです。



ジェンダーってほんとに難しい問題です。ごちゃごちゃした文章になってしまいました。ここまで読んでくれてありがとうございます。

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