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初めての海外の記憶


SHOWです。今日は初めて日本を出たときの記憶をさかのぼってみようと思います。

私が初めて海外に出かけたのは30年少し前、短大に通っていた頃のことでした。
通っていた英会話学校で、2週間ほどのホームステイをするプログラムがあり、両親のすすめもあって夏休みにカナダのカルガリーへ行きました。

成田からサンフランシスコで一泊、サンフランシスコからカルガリーへ行くというルートだったのですが、最初からトラブル発生、成田のホテルにスーツケースの鍵を忘れてしまったのです。カルガリーに到着して、ホストファザーにスーツケースの留め金をこじ開けてもらい、荷物を取り出す羽目になりました。着替え替わりにサンフランシスコで黒いTシャツを買ってホストファミリーに会ったのですが、「いいTシャツだね-」と褒められました。黒Tシャツは私も気に入って、長いこと愛用していました。
成田からサンフランシスコまで、10時間近く飛行機に乗るのは初めてで、しんどい思いをしました。考えてみると、空席が結構あって比較的自由に機内を移動できたような気がします。アメリカの空港では、サンドイッチやら食べ物が目をむくくらい大きくて、びっくりしたのを覚えています。ちなみに、後でアメリカに留学して思ったのですが最初は胃袋が小さくてもアメリカに住んでいるとボリュームの多い食事になれて、普通に平らげるようになるんですよね。だから簡単に太ってしまうのです。恐ろしや。

カルガリーを起点にバンフへ日帰り旅行をしたり、近所のティールームへ連れて行ってもらったり、キャンピングカーで一泊旅行に連れて行ってもらったり、ホストファミリーにはいろいろ良くしてもらいました。バンフは広大な大地に湖や岩山があるのですが、静かで厳しい自然を感じました。カルガリーの中心地にも連れて行ってもらいました。賑やかな感じではなく、ひっそりとした街だった記憶があります。1988年にカルガリーオリンピックがあったのですが、当時の横断幕やらのぼりなど、その時の名残がちらほらとありました。それから大学の見学もさせてもらいました。敷地がひろくてカフェテリアがポップな感じでおしゃれでした。お世話になった先は広大な畑の広がるのどかな場所で、干し草が巻き取られてあちこちに広がっていました。郵便の受け取りも車で20分ほどの距離にあるコンビニの私書箱を利用するような田舎でした。ホストファミリーは畑をもっていて、ほんの少しですが畑仕事を手伝わせてもらいました。朝食にはワイルドライスを炊いたものに卵を混ぜて、お好み焼き風のものを毎日焼いて食べていました。今でも、「おいしかったな-」と思い出します。ホームステイプログラムでは「日本食をご馳走する」というミッションがあり、ちらしずしを作ったのですが、不評でした。何口かは食べてくれたのですが、そのあとは手付かず、後でちらしずしにトマトソース系のものをかけてホストファミリーが食べていたような…。お米に酢が入るのが、苦手だったのかな?当時は日本の知名度がとても低く、地元の紹介として横浜の写真集を持って行ったのですが、「へぇ、こんな都会なんだ!」とびっくりされました。カナダでの現在の日本の知名度はどれほどのものなのか。あまり変わらない気がします。とはいっても、日本でもカナダのニュースは大して入ってこないので、ひとのことは言えないですね。海外のニュースを見てよその国を知った気になっていても実はたいしたことは自分は知らないこと、また、日本という国はよそからみれば未知の国であり、大して関心をもたれているわけではないと身に沁みてわかりました。
カナダに大和和紀先生の「ヨコハマ物語」と「あさきゆめみし」を持って行ったのですが、ホストファミリーは興味津々で眺めていました。平安時代と明治時代のコミックなのですが、その時代時代の着物が珍しかったようです。

ホストファミリーは当時60代くらいのご夫婦でした。家の近所に息子さん夫婦が住んでいて、そこのお子さんとも少しですが一緒に遊びました。息子さんのお嫁さんに、大きな手作りのバッグをお餞別にもらいました。ほかにも、ホストファミリーとはちいさな思い出がいろいろあります。映画の「赤毛のアン」を観たり、時間つぶしに「ナンシー・ドリュー」シリーズの本を貸してもらったり、一緒に洗濯をしたり。3年ほど前まで、ホストファミリーとは12月にカードをつけて手紙のやりとりをしていました。懐かしいです。

日本へ帰国する前日、近所の中華料理屋さんでお別れ会をしてもらいました。とはいっても、日本で想像する中華とは違い、中華焼きそばは「ソース焼きうどん」だったりしましたが。でも、久しぶりになじみのある食事ができてほっとした記憶があります。

出発当日、ホストファミリーの家の近所は八月だというのに雪が降っていました。朝は暖房をつけるくらいの寒さでした。交通止めなどもなく無事に帰国できましたが…。さすがにカルガリーでも8月の雪は何十年に一度の出来事だったとあとで教えてもらいました。

この経験のあと、アメリカに留学をし、海外の旅行に何度か行きましたがこのホームステイの経験はいろいろな意味で活きています。海外から日本はどのように認識されているのか、
上手の自己主張の大切さ、危機管理の意識の持ち方など、ホームステイをして必要だと思えるようになりました。また、この時の経験がなければ留学もしてなかったと思います。今はもう連絡をやりとりすることもなくなったホストファミリーはどうしているかな?元気でいてくれますように。


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