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君は「古明地こいしのドキドキ大冒険」を知っているか

こいドキには不思議と、自分でも何かをかいてみたいという欲動をかきたたせる魅力があったのだ。こいドキは絵はイラストレイター並に上手くはないし、プロットの矛盾も多く、同人作品の泥っぽさを感じさせる。決してこいドキはそのものは秀逸な作品というわけではないのだ。わたしが感銘を受けたのは、それでも作者が、表現したい世界を必死に泥臭く模索しながら表現しているような息遣いが、作品から感じられたことにある。絵が上手くないとネットに投稿してはいけないし、下手な小説は完成させる意味がない、絵から文章からその他の表現まで、一人で一つの物語を手掛けることは、大変なことで、そういうことは心の内で夢想するしかなく、結局完成などするはずもないんだと思っていたワナビーのわたしたちには、背中から蹴りを入れられたような衝撃があった。

https://note.com/brainy_lily854/n/n42fbb33caae0


注意書き・追伸
12/1投稿
6/05
この記事を書いた時点で、洗濯船氏は七年間失踪していましたが、今年1月に事実上復帰しました。復帰祝い用の記事を別に書こうと思います。
6/21
記事書けました。→https://note.com/brainy_lily854/n/n42fbb33caae0
なぜか小説になりました。
7/19いろいろと追記しました。



古明地こいしのドキドキ大冒険とは、ニコニコ動画上で投稿された、
東方手書き劇場の金字塔である。

こいドキの魅力を語ろうとすれば、それは、まず独創的な絵柄に始まり、心理ホラーとしての側面、感動巨編としての側面と枚挙に暇がなく、とりあえず見てほしいという一言に結局終わる。これが無料で見られるのだから、騙されたと思って一度は見ておかないと、人生損しますよ。

同人の泥臭さと、物語の哀切の中で

話はまず同人というものの歴史を語る必要がある。

↓2008年に総勢26名によって作られた東方合作動画。当時はこの動画専用のコミュニティ(東方手書き作者コミュニティ)も存在した。https://www.nicovideo.jp/watch/nm5308088
思えばこの頃が東方手書き界隈の全盛期だった。ニコニコ動画では、合作企画が頻繁に行われ、絵師同士の交流も盛んだった。Pixivやニコニコでは、「サムネで特定余裕」つまり、絵柄で誰が作者か判別できるくらいあなたの絵は魅力がありますよ、というような文化もあったし、個人の作家性が重んじられていた時代だった。

今やまどマギの脚本家として有名になった虚淵玄もエロゲ畑の出身だったし。奈須きのこさんも同人から世に放たれた人間だし。竹箒や竜騎士07や上海アリスなど、サブカルチャーの鬼才はコミックマーケットを舞台に活躍してきた。コミケの頒布物は少数発行なので、その分割高になりやすい。赤字は当たり前で、下手したら爆死して大損する中で、何の稼ぎにもならない同人作品を毎年のように世の中に出し続けていた作家たちは、やはりタフだったのだと思う。
逆にそれほど骨が折れることをしていると知っているから、わたしはどんな拙い作品でも、正直腹が立つような嫌いな作品でも、同人をやっている全ての人間のことを尊敬している。書き上げただけですげえことだから。

そもそもエロゲやゲーム業界自体が、かつては同人と地続きだった。基本的にエロゲの会社は数名のスタッフによって立ち上げられるし、作品制作も少数のスタッフで行われるから、それぞれの作家が自分の個性を発揮する余地があった。そこに資本が絡めば商業になり、絡まなければ同人というだけの違いで、人々の性格に違いはなかった。
しかし今や活動の場はコミケからネットに移り、良くも悪くも市場は開けた。
虚淵玄、博麗神主ZUNなど、その時代は、作品よりも、作者の名前こそが看板になっていて、作品に人格があった。なぜなら、かつては、頒布物というのは、立ち読みはともかく、特にゲームは購入しないと中身がどんなもので気に入るものなのかわからなかったので、以前遊んでみて良かった作品と同じ作者の作品を買うということが重要な指針になっていたから。今や、アニメも絵もネットやサブスクで無料で見れるので、いちいち作者がどうとか、この作画は誰がやったとか、気にする人はいなくなった。ソシャゲみたいなのが主流になったからというのもある。

与太話だが、作者の顔を知って幻滅したみたいな話はたまに聞くことがある。同人に関わらず。例えば、美少女ゲームの作者がいかついおっさんだったとか。けど逆に考えてみてくれ、いかついおっさんが美少女ゲームを作っているということが逆にすごくないか。そこは却って、自分と変わらないようなパットしない人間が、こんなにすごいものを作っているという点に憧れてしまう、というのが正しい反応だとわたしは思う。
作者を神と持て囃すのはわたしは好きではない。なぜなら、作者は神ではなく人であり、同じ人だからこそこんなものが作れるということがすごいのだから。

わたしは商業作品よりも同人作品の方が好きだし、ゲームは基本的にインディーゲームか個人的に好きなブランドの会社で作られたゲームしかやらない。
そりゃ、商業メディアの方が絶対にクオリティも高いし、面白いに決まってる。
けど一人で絵から物語まで全てを作り上げる同人作家たちが、いかに野心を持っているかを知っているのでどうしても結局同人の方を気に入ってしまう。同人の方が人間同士で直にコミュニケーションを取っているような感じがある。相手の意図がよくわかるし、どんな表情をしながら描いたのかも思い浮かんでしまう。大規模な作品になると、スタッフは閉幕後のクレジットには表記されるけど、そのスタッフが具体的にどの部分を担当したのかもわからないし、そのスタッフが個人サイトもSNSも持っていなければ、連絡を取る手段は永遠にない。一方、同人では、本当に大好きな作家とは、SNSで簡単にやり取りできるし、コミケで簡単に会えるし、何なら一緒に合作をすることもできる。
最近は、作品は好きでも作者サイドには興味がないという人が増えてきて、悲しい。まあ割とコアな趣味なのかもね。こういうのって。

だが、例えば、yumenikkiにおいては、kikiyamaが何を考えていたが最も重要になるし、ゲルニカはピカソが何を思って描いたのかが一番重要になる。でないとたとえAIに作らせたとしても変わらない。AIならゲルニカを出力できるだろうし、yumenikkiみたいなゲームも出力できるだろうが、AIの作ったゲルニカやyumenikki、価値があるだろうか。
こいドキという作品も、洗濯船が何を考えていたが最も重要になる。

本題
ぐだぐだとした前置きには区切りをつけ、本題に入る。

そんな同人において最も核心的なことを成し遂げた作品が、こいドキです。

こいドキの絵を見て、はっきり言ってこの絵は下手だ、という人もいるだろう。プロットが支離滅裂で、結局何を言いたいのかわからないかった、というような指摘も結構。何を以て絵が上手いとするか、はともかく、たしかに王道な、「絵の上手い」人ではない。では、プロットが素晴らしかというと、場面の盛り上げ方は上手いが整理されていないという答えになる。このようにこいドキという作品を、絵が上手いかとかプロットが上手いかとかそういう要素で解剖していくと、海水を採取して月の満ち欠けのメカニズムを解明するような無意味さがある。こいドキの本当の魅力はそんなところにはない。まさに38万キロ離れた月にこそそれはある。

洗濯船さんには失礼だけど、絵が商業程上手いわけでもなく、プロットが小説のように明晰で秀逸なわけでもない。

にも関わらず、
多くの三次創作を生み、海外でもKKHTAと呼び慕われ人気を博している。
ピクシブを見ていると本当に実感するのだが、こいドキの三次創作やオマージュイラストは本当に多い。普通の二次創作ではここまで三次創作が増えることはない。
PixivやTwitterでは、こいドキに衝撃を受けて、イラストを描き始めた、同人活動を始めたというユーザーが五万といる。実際わたしもその一人である。ネットに自分の絵を投稿したことのなかったわたしは、こいドキにショックを受けて初めて絵を投稿した。
なぜわたしたちはこいドキにここまで惹きつけられるのか、

その理由は、
前述した通り、絵は決して上手ではない、プロットが巧妙な訳でもないが、だからこそ、この作品は、
”自分にも作れるかもしれない。”
”絵やお話が上手くなくても作品を作っていいんだ。それをネットに投稿していいんだ”
という勇気を与えてくれることにあり、それが創作の一歩を踏み出すきっかけにさせてくれるのだと思う。
たくさんのファンを得る作品というのは世の中にいっぱいあるが、たくさんの人に創作の一歩を踏み出させる作品というのはそうそうない。そういう作品、二次創作、三次創作を多く生む作品というのは、本当に優れている作品なのだと思う。

↓有志によって作られた海外の合作動画。

なぜ海外でもこいドキが人気なのかというと、有志の人間がyoutubeに字幕をつけた動画をアップロードしていたからだ。まあ無断転載といえば無断転載であるが、そうでもなければこいドキが海外に知れ渡ることもなかっただろう。当然、字幕を書いたのは有志の人間である。わたしもこいドキの英語字幕を見たのだが、安直な直訳ではない工夫された翻訳だった。東方関連の翻訳は、神道や仏教など日本特有の概念が登場するため結構難しい。そういえばこれも同人の一つなのだと思う。思えば、
原作である東方Project、二次創作であるこいドキ、有志による翻訳、それによってこいドキを知った国外の人やそして当然国内の人による三次創作や、こいドキに触発されて創作を始めた人たち。
このレールの最初から、最後まで、全て同人なのだ。

話は逸れるが、
2017年にドキドキ文芸部(DDLC)というゲームがアメリカ合衆国で制作された。これはフリーソフトとしてネットで公開されたので、日本人もプレイすることができたが、いかんせん公式から日本語翻訳パッチがなかった。そこで、英語と日本語のマルチリンガルである有志たちが、DDLCの魅力は日本国内にも伝えるべきだ、と考え、discode上に翻訳サーバーが立ち上げられた。この翻訳チームには百人程度の方々が翻訳に携わった他、パッチを作るためのプログラマも参加し、「非公式で」日本語翻訳パッチが完成され配布された。当然だが、彼らは全員無償で翻訳に携わった。その後、翻訳の甲斐あってDDLCは日本国内でもようやくその衝撃を轟かせることになる。

↓その後ファミ通がDDLC翻訳チームにインタビューをした記事。

↓実際に翻訳の際に使われたスプレッドシート。一文毎に原文とその翻訳が区切られており、英語にそれほど自信のない人でも、一文からでも翻訳に参加することができたものだと伺える。

お堅い商業メディアであれば、他人の作ったものに勝手に翻訳をつけたり、改変したり、転載したりといったことはご法度だろうが、
同人においては、作者だけが作品を形作るのではなく、むしろ作者は最初の震源を作るだけで、ファンが作品を完成させていくものなのだと印象付けられる。むしろ、作家とファンというのが境界なく渾然一体に存在している稀有な世界が、同人なのだ。
その同人の裾野が、海外にも広がっていることを嬉しく思う。

知る人ぞ知る最狂最恐東方手書き劇場、
東方異形郷の作者も、こいドキに触発されて創作を始めたと語っている。

作者、寿司勇者トロ氏は学生時代、勉強の息抜きで視聴を始めたこいドキに強く衝撃を受け、こいドキのような作品を創りたいと、東方異形郷のストーリーを組み立てたと言う。

その後、東方異形郷の独創的な絵柄と作風で人気を得た寿司勇者トロ氏は、「紅ずきんの森」「BLACKSOULS」「BLACKSOULSII」などのゲームソフトの制作に関わるなど、精力的に自身の創作活動を続け、ネット上で支持を集めて続けている。
実は、わたしも学生時代に東方異形郷を視聴し、そこから数珠つなぎでこいドキを初めて知った。個人的にどちらも好きな作品なので、二人の絡みがあることは嬉しい。
実際、こいドキに憧れた寿司勇者トロさんは、後にこいドキと肩を並べるほどの東方ホラー手書き動画の作者になる。

こいドキには見た人に自分も創作を始めてみたいと思わせる魔性の魅力がある。それはたぶん、こいドキがけっして小綺麗な商業作品ではなく、悪く言えば素人っぽくて、だけど何か直接心に響いてくるとんでもない質量の情熱があるからだと思うし、「ああ、こんなん東方手書き動画でやっていいんだ…」みたいな先駆者としての凄さがあるからだと思う。「こんなんロボットアニメでやっていいのかよ」という驚きを与えたエヴァンゲリオン然り、「こんなんエロゲでやっていいのかよ」という驚きを与えた雫・痕然り、「こんなん魔法少女ものでやっていいのかよ」という驚きを与えたまどマギ然り、優れた作品とは、先駆者であり、革新的であるがゆえにその意外性はたくさんの人にオマージュ・リスペクトされ、やがてそれがその時代の普通になっていく。エヴァンゲリオンの、サブリミナルみたいに速いOPは当時としては画期的だったけど、そういうOPはあまりにたくさんのアニメにオマージュされたため、今やアニメのOPは速いのが当たり前になっている。
最も多くリスペクトされたものこそが、その時代(・そのジャンル)の最も革新的な作品である、という法則をわたしは提唱する。
わたしはこいドキはニコニコ動画版エヴァンゲリオンだと思っているけど、作者の洗濯船さんはそれを聞いたら微妙な反応をするだろうな。

さて、洗濯船さんが風呂敷を拡げた物語に収集をつけようと動画投稿を再開したように、わたしもこのごちゃごちゃとした記事の締めを作り、まとめあげないといけない。

わたしの言いたいことというのは、
「これならわたしも作れるかも」と思った時こそ創作の世界に足を踏み入れてほしいということだ。どうか遠慮せず、ハードルや敷居は感じずに。
最初はワナビみたいに夢想するだけでもいい。
たいていの経験のない作家というのは自分の物語を壮大にしすぎて実現できない傾向がある。だがそれでも最初は良いだろう。
まあたいていの作家がそうやって理想と現実の違いから挫折し脱落していくんだが、それでも諦めず、紆余曲折を乗り越えて、最初の一作品目を完成させ、世の中に出すことができたあなたとは、
良い酒が飲めそうだ。^^ 











       

   

       



  帰ってきた洗濯船 そして、KKHTA 15th Anniversary


今年はゆめにっきの二十周年があったり、倉橋ヨエコが復活したり、まどマギの完結編映画の公開が予告されたり、わたしの中で時が止まっていた名作や伝説が雪解けのように蘇っていくかのようです。
ずっと「雪」だった洗濯船さんのアイコンが、様々に変わり始めたので、やっと冬が終わったんだなという印象を受けます。

ファンとして一番嬉しいのは続編の公開が期待できることよりも、あなたの生存が確認されたことです 無理せず自分の創作を続けてください

「インディーゲームはね、作る人のためにある。」  ZUN

https://touhougarakuta.com/article/indieliveexpo2020-zun-talk/

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