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全てのワナビを救済した少女の話【古明地こいしのドキドキ大冒険、イメージ小説】

洗濯船様の「古明地こいしのドキドキ大冒険」の私的なイメージ小説です。
この小説はフィクションです。


「今でも雪が降ると思い出すんだ。瞳を開き、世界に向き合おうとした少女の話を。」
「こんな昔話がある。少女は世界の扉を開き、世界は狂気で満たされる。抗う人々。殺される人々。妖怪。神。式。亡霊までもが。やがて世界は静まり返る。時が過ぎた時、残されたのは二人の妖怪だけだった。」

でも昔話でしょう?

「いや、、おそらくは、いやきっと、それは昔話なんかじゃない。きっと、今だってどこかで誰かが紡いでる物語なんだ。」
「わたしたちはきっと、その結末を見届けることができる。」

手折らば手折れ
思出ぐさに 君を刺さん



ワナビという言葉を聞くと後頭部の奥の辺りがギシギシと痛む。それはわたしのコンプレックスを的確に指摘したものだからだ。ひどく侮辱されたような、同時に悲しい気分になる。それは男子生徒からいじめられていた時のことを思い出すので、ますます辛い体験だった。そんなわたしの夢は、この世界から全てのワナビを救うこと。夢は、それが実現可能か、不可能であるかに関係ない。人間は夢を見ることでひとまず今日を生きる希望を抱くことができるのだから。そんな、理想主義を捨てることができない、夢見がちで年齢の割に幼稚な性格も、わたしがワナビたることに拍車をかけているのかもしれない。自分自身すら、ワナビから抜け出すことができていないのに、こんなに高らかな目標を掲げるのは、それがどれほど辛いことかわかっているからで、そんな辛い体験を、他の人にはしてほしくないから。誰も、自分が作品を完成させられるかどうかとか、ものになるかどうかとかで苦しまないでほしいと思う。ワナビという言葉は、本来この世から消えるべきだ。

わたしたちはたいてい、誰かに対する憧れでこの世界に入る。エヴァンゲリオンだったり、leafの雫・痕だったり、わたしの場合は、ゆめにっきやまどか☆マギカだった。思えばその時代が、最も純真で幸せであったかのように思えてならない。だが、否定しなければならないのだ。その時期というものが、最も純真であったことは間違いないだろうが、本当に幸せなのは、その先になければ、創作の意味がない。

わたしはmarumanのスケッチブックの中に、思いつく限りの文章やプロット、絵、構想を描いていた。学校から帰ると、まずそうやって、通学中や学校で思いついたアイデアを書き留め、そして自分の物語を夢想することに耽った。だが、その中から一作品も完成するものはなかった。そうやってわたしは、学生時代を浪費していた。そんなある日のことである。

その日もたしかこんな曇天であったことを覚えている。わたしが運命を覆す出会いに遭遇したのは、僅か数年前のことだ。古明地こいしのドキドキ大冒険。古明地こいしという聞き慣れた名称。数ある東方手書き動画作品の一つとして、わたしはそれをクリックした。だが、数分後、わたしはその動画を食い入るようにして、何十回も動画をリピートすることになるのである。なんだこの古明地こいしは。ガッサガサの荒削りの線に、原色に近い塗り。インパクトを感じたが、不思議と違和感は感じなかった。困惑と期待が入り交じる。咄嗟に動画の投稿者を一目見る。「洗濯船」。調べると、パリ・モンマルトルの芸術家の住む(住んでいた)アトリエに由来があるらしい。馴染のある人に、ピカソ、ジョルジュ・ブラックなどの名がある。思えば彼は、パリ・モンマルトルの画家が表現した手段を、東方手書き劇場で流用していたのかもしれない。絵自体にこれだけ人に何か感動させるパワーのある動画というのは、その根本にモンマルトル的な血潮が通じていないと作れないものなのではないかと思う。わたしがこいドキにハマり始めた頃には、既に掲示板等では有名な作品になっていたらしい。既に十数話が投稿されていて、わたしは残り数話をリアタイすることになるのである。彼の絵は動画を投稿する度にみるみる上達していった。最初に受けた感覚は、「衝撃」だった。だがしかし、やがてそれは物語、励まし、感動といったものに姿を変えていく。彼に触発されて、わたしはピクシブアカウントを開設し、絵を投稿し始めた。元々アナログでしか絵を描いたことのなかったわたしは、その年の夏にはペンタブレットを購入した。こいドキには不思議と、自分でも何かをかいてみたいという欲動をかきたたせる魅力があったのだ。こいドキは絵はイラストレイター並に上手くはないし、プロットの矛盾も多く、同人作品の泥っぽさを感じさせる。決してこいドキはそのものは秀逸な作品というわけではないのだ。わたしが感銘を受けたのは、それでも作者が、表現したい世界を必死に泥臭く模索しながら表現しているような息遣いが、作品から感じられたことにある。絵が上手くないとネットに投稿してはいけないし、下手な小説は完成させる意味がない、絵から文章からその他の表現まで、一人で一つの物語を手掛けることは、大変なことで、そういうことは心の内で夢想するしかなく、結局完成などするはずもないんだと思っていたワナビーのわたしたちには、背中から蹴りを入れられたような衝撃があった。彼は、わたしたちの思い込みを、全て目の前で反証してしまった。

わたしは洗濯船という人間の到来を、あるいは古明地こいしという少女の到来を、ずっと待っていたのだと思う。

わたしは、まずRPGツクールを購入し、ティラノスクリプトをダウンロードし、初音ミクを購入し、動画制作に必要なソフトもダウンロードした。わたしは手当たり次第に表現を模索し、自分の表現をもれなく実現させるために妥協をしなかった。今まで、作りたい物語や、頭の中で動き回っていたキャラクター、表現したいことはいくらでもあっても、それを完成まで持っていくことのできなかったわたしは、フラストレーションが溜まっていた。その欲動が、堰を切ったように溢れてきたのだ。処女作は、「white noel for sixteen」。ティラノスクリプトを使ったサウンドノベルで、制作期間は半年。構想自体は中学生時代の自分が考えたもので、頭の中にプロットは入っているので、それを後は形にするだけの容易な作業だと思っていた。だが、実際、自分の表現したかった世界観の三割も表現できなかった。文章は言っていることがよくわからないし、変にかっこつけて難解な表現を使ったりするから余計にわかりにくい。立ち絵も、まだアナログからデジタルに切り替えてから半年しか経過していないわたしの描いたものは微妙だった。かつ自分の考えていたゲームの特殊システムは実現できなかった。まずティラノスクリプトの使い方とhtmlのいろはを学ぶだけで精一杯だったからだ。それでも、自分の作品が完成したということがわたしには充分な幸福だったのだ。しばらくは物語の主人公や登場人物が、ずっと頭の中で動き回っているような感触があったし、辛い時に、自分の心境を主人公のそれに重ねたりした。それをインターネットに投稿してからの反響は、そこそこといった感じで、温かいコメントをくれる人がちょこちょこと散見された。だが、他のノベルゲーム作品は、どうもわたしよりずっと評価がついている。自分の中では、渾身の大感動巨編を送り出したつもりだったのだが。反省点を考えると、それは偏に、自分の表現したいことのスケールが実力を超えている、あるいは、物語の風呂敷を拡げすぎている、ということに集約された。

以上の反省点を踏まえて、ようやく踏ん切りのついたわたしは、次の作品の制作に取り掛かる。題名は「熾天使さゆり」。まず、わたしは文書力を磨くために本を読み漁った。ゲーテ。トルスロイ。ドストエフスキー。三島由紀夫から、なんだかよくわからん同人作家の同人誌まで。今まで気負いするあまり、避けていた本も読むようになった。すると、案外抵抗なく物語が入ってくるのである。ある時は、意外とこんなものか、と思ったり、ある時は、今ままで敬遠していたことを後悔するほど魅了されたり。漫画も読むようになったし、辞書も開くようになった。新聞も読むようになったし、文學界は毎月見た。一日の自由時間の大半を図書館で過ごす時期もあった。今まで敬遠していたことに手を付けると、こんなに毎日が充実するものなのかと、実感させられる日々である。創作活動は順調に進んでいた。まずjavascript周辺の知識を学び直し、自分がゲームで実装したいシステムを実現していった。絵は、たくさんの絵を短時間でこなすのではなく、一枚一枚の絵に数時間、数十時間をかける方向に変えていった。プロットを考える際、本で学んだことが案外役に立った。例えば、精神医学の話や、文学の話や、果てはプロペラの設計の話まで、予期していなかったことが役に立った。何も文学や小説だけではなく、わたしの血肉となった知識の全てが総動員されているような一体感を感じた。最初から不要なことと必要なこと、あるいは可能なことと不可能なことを見極め作業を取捨選択していたので、制作は前回の比にならないほどスムーズに進んだ。それでも、内容が壮大なだけに、前回よりも制作は長期化した。洗濯船さんが最新話を投稿した。わたしは、洗濯船さんが最新話を投稿する度に、一話から全て見直すようにしている。今回の洗濯船さんは割と軽めだったな。最近洗濯船さんの作風に変化が見られるような気がする。いや、絵柄は前々から大きく変遷しているけど、そうではなくて。なんだか、自分で拡げた物語を収集させる方向を、必死に模索してるみたいだ。たぶん、洗濯船さんは今、エンディングをどんなものにするか、決まっていないのではないだろうか。いや、もちろん、当初どんな結末になるかまでプロットは決まっていたはずだ。だが、ここに至るまでに何度も方向転換があった。その結果、もはや本来の結末にはたどり着けないような迷子に陥っているのではないか。烏滸がましくも同じく何らかの物語を作る身として、そうした悩みは想像できるのである。


制作が頓挫した。

既にニコニコ動画、ピクシブ、Twitter、なろうと手広く創作をやってきたわたしは、もはや何もしなくても、毎日サイトを開けば通知が入ってくる。
その上で、自分がいったい何をしたいのかわからなくなった。

最初に胸を踊らせた期待は何だっただろう。欲動は何だっただろう。そんなことを考える。もうわたしは年齢的にも十分大人に近づいていた。右も左もわからなくて、必死にペンと画用紙を手に取った少年時代。記憶が美化されているせいもあるのだろうが、今となっては黄金色の光を纏っているように見える。それに比べて、今のわたしの現状は、鈍色だ。当時は純粋に「好き」の気持ちで動いていた。今は完成と締切に追われている。周りにどう評価され受け止められるかに縛られている。途中まで作り上げたその物語は、自分の納得の行くものではなく、当初考えていたものともズレていた。一方で、一度自分が途中まで作り出したその物語を、なかったことにして葬り捨てるという決断には踏み切ることができず、今日までジリジリと中途半端なまま惰性で続けてきた。ピサの斜塔のように垂直方向に対し傾いて積み重ねられた物語の顛末は、やがてその傾きが限界に達し、もうこれ以上崩すことも増築することもできない状態に陥ったのだ。
それに呼応してかしなくてか、洗濯船さんの動画の投稿ペースが途絶えた。

こいドキの投稿が途絶えてから一年。わたしの住んでいる地方は豪雪に見舞われた。巷では、最終回はアニメ動画でくるんじゃないかとか囁かれている。わたしは未だに「熾天使さゆり」の制作を続けている。来年の誕生日までには完成させたい。

こいドキの投稿が途絶えてから二年。月日の流れは早い。今年も雪がしんしんと降る。「熾天使さゆり」の制作の方向性を変えた。大学にはもう馴染んだ。

こいドキの投稿が途絶えてから三年。とうとうピクシブの更新も止まった。本気で心配する人がちらほらと散見されるようになった。だが、わたしは信じている。

四年。大学卒業と就活が目前に迫っている。創作活動からは手を引いた。熾天使さゆりは諦めた。

五年。とうとうエヴァが完結してしまった。まさか、こいドキの完結より先にエヴァの完結を見ることになるとは。

六年。東京には雪が降らない。時たまこいドキや熾天使さゆりのことを思い出す。全然社会に順応できない。辛い。

七年。辛い。



紆余曲折あったが、結局わたしは生きている。七年という月日はこいドキの中では象徴的なもので、だから七年越しの今年こそは更新があるのではないかと仄かに期待していた。だが、それを迎えることもなく、今年一年も間もなく消化しようとしている。大晦日と正月は実家で過ごした。ここには懐かしいものがたくさんある。わたしが子どもの頃に描いていた絵が、今も壁に飾られていた。わたしのかつての学習机の引き出しの中には、実現しなかったたくさんの物語を綴ったノートが残されており、わたしの辛い少年時代は、物語とともに何とか乗り越えられてきたことを印象付けた。それは昔苦労をともに乗り越えた親友との再開のようなものだった。雪の降りしきる、夜の闇の中で、わたしは一晩中それを耽読した。
七年という区切りをつけたことで、わたしはむしろようやく前を向き、気持ちを改めることができた。もうこいドキも熾天使さゆりもない。わたしのしたかったことではなく、わたしのしたいことを今決めれば良い。七年の凍った時間が、雪解けとともに明るく白い光を放ちながら融けていったような気がした。
年が明けても、しばらくはメンタルのケアも兼ねて実家に籠もることにした。
とはいえ、何かを描き続けないと死んでしまうのが作家の性のようで、早速新しい物語を描くのに取り掛かった。今度はもっとこじんまりとした他愛もない物語を。きっと多くの物語は実現しない。人生と同じく。日の目を浴びるものは極僅かだ。だけれども、その中でどれか一つでも、遠い海、または宇宙、またはインターネットを漂って、誰かの心の中に七年でも何年でも残るものを生み出せたら、この上ない幸福なことだと思う。
そんな白い朝霧が引き始め、太陽が世界をより鮮明に映し出す風景の変化の中、ピクシブの新着に、懐かしいユーザーのアイコンが届いた。



洗濯船さんのイラスト。エヴァと同じくこれが儀式だとしたら、彼女はきっと七年かけてわたしたちに「完成させることよりも大切なこと」を伝えに来た。決して色褪せぬ笑顔をたえて。https://www.pixiv.net/artworks/115500338

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