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教習所の思い出


はじめに

去年の8/29(肉の日!)に免許を取得しました。
まだまだ練習中です。

車自体あまり乗ったことが無かったので
運転が上手な方が見たら
「こいつを道路に出すなぁ!」ってほど
無知な状態からのスタートです。
それではどうぞ。

いきなり門を叩く

引っ越しの片付けが一段落し、
教習所へ通うことに。
5キロ歩いて汗だくの状態で教習所の窓口に行った。
窓口おねぇさん
「お電話くだされば、送迎バスが出てましたのに。」
なるほど、普通は電話してから行くのか。

その場で約33万円支払い、
時間割の見かたと、授業の受け方を教わる。
翌日から授業スタート

車は殺人兵器です

1回目はそんな授業だった。
「父は毎朝、恐ろしい物で通勤してたのか」
若干暗い気分のまま、続けての授業で初乗車!

うぉぉぉ!やばい。
私の身長は147cmなので足が短い
ブレーキが十分に踏めない
(後に座席が前後・上下する機能を知る)
これを手懐けて操れるのか?
きょわい

座席を調整し、周囲を確認し校内を1周。
YouTubeで予習した「指さし確認」はいらないと言われた
(教習所によるらしい)
ここで、担当教官の左手薬指に光る指輪を見て
「この人を大切に思う人がいる。命を預かっている」
となったわけだ
最後は教官と交代し駐車をしてもらった。

周りの邪魔にならない事で頭がいっぱい。
座席を戻し忘れ、私専用に調節された席で
大男の教官がミチミチになりながら車を停めてくれた

タイヤはどこにあるんでしょう?

S字カーブの授業では車の感覚が掴めずに
早くハンドルを切ってタイヤが落ちまくる。
今、車の先端はどこにあって、タイヤはどこにあるんでしょう?
って質問したら車から降りて確認をさせてくれた。
想像してた位置と全く違くて、頭が混乱した。

なぜかL字は得意で
「曲がるのは上手いですね」と褒めて貰えた
ミラーと曲がり角が同じくらいでハンドルを
全部切る感覚が良かったんだと思う。

40キロを出してみよう

とろとろ20数キロくらいで校内を走っていると
教官「次の直線コースで40キロを出してみて」

え?道も真っすぐ進めない私にそんなことを。と思い
私「命が惜しくないのかい?」
教官「大丈夫、何かあったら私が止めますから。」
私「っっ……行くぜ!!!」
アクセルを踏む。
急加速!!
今!!!座ったまま!!!
私は40キロで進んでいるっっ!!!!!

校内なので40キロが出たのは1秒くらい
それでも達成感が半端じゃなかった。
教官への信頼度も高まった。

仮免許試験

恥ずかしいことに
1回落ちてる。

しかも開始3秒くらいで失格になった。

乗車後、数メートル進んでT字を右へまがり
コースへ入っていくのだが

T字で左右確認していざ進行…
のところで終了。

左から他の教習車が来ているのが見えなかった
「ピラー」という部分で死角になっていたのでは?
と教えてもらったが、
にしても確認不足だったと強く反省している。

2回目のチャレンジでは緊張しつつも合格!
その時は校内に他の教習生が居なかったことと
学生の同乗者がおらず、トイレで仲良しになった
掃除のおばちゃんが乗ってくれたのが大きかったと思う

その分、このまま道路に出てよいものか不安になったが
念入りな確認は身についた。

初めての路上

ついに来た!
道路へ出発だ!!!

対向車が怖くてスピードにムラが出たり
車線変更でタジタジと
周りに迷惑を掛けながらもなんとか終了。

キープレフトを意識しすぎて
「将来、あなたは左ミラーを失うでしょう」
占い師みたいな口調で注意を受ける

あと、昨日まで40キロ出して超興奮していたが
路上での40キロはだいぶ遅い方だった。

シュミレーションで人を轢きまくる

レースゲームみたいな機械での授業だった。
夜間や、雨の日などを想定して走っていく。
曲がり角とか、横断歩道とか
ありえない所から人が出てきたりする!

だんだんとパターンが分かってきて
曲がり角で「おまえ、出てくるだろ」という自転車発見
一時停止したら案の定飛び出し。
画面の右側2/3くらいを自転車に乗ったおっさんが占めている
バックも出来ず、フリーズ。

教官「仕方ない。轢いてください」

私「え?!うぉぉぉぉ、ごめんなさーーーーい!」

自転車の事故はカウントしないでくれたが
それでも3回人を轢いた
なんて恐ろしいシュミレーションだ

鳥刺しうんまぁ

卒業試験のためには
座学のテストで90点以上を
2回取る必要があった。
ありがたいことにスマホで
どこでも学ぶことが出来たため
仮免の時を含め
順調に進んでいった。
開発してくれた人に深く感謝している

その手柄を自分の物のように語り、
テスト&仮免合格祝いで鳥刺しを食べた。
めでたく私だけ食中毒になる。

もうね、腸をボブ・サップに捩じられてるような腹痛。
10分毎にトイレに行く始末。夜も眠れない
更に鶏肉の食中毒は40度前後の発熱を伴う。

旦那のほうは食中毒は免れたものの、
私が治るころにコロナに感染する
食中毒⇒回復の兆し⇒コロナが移るスケジュールで
教習所を2週間ほど休むことになる

熱がある人は診察できません。

初診で高熱を出している人は基本診療拒否。
市へ電話相談しても病院へ直接確認して欲しいとのこと。
旦那のほうは何とか自力で病院を見つけていたが
私は病院を探す元気も無く寝ていた。
自力で治っちゃう身体最高、元気に産んでくれた親に感謝

今後、田舎へ引っ越しをする方は
元気な時に病院に行っておいた方がいい。
2回目なら診てくれる。

とても心配してくれる教習所

これは今思うとなのだが
他の記事で書いた通り結婚指輪をしていない
実家も出身も関東。無職で長崎移住
多分、訳あり1人暮らしだと思われていた。
困っていたら食料を運ぶ。
なんでも言ってくれと電話をくれた

優しい学校だった。

高速道路に乗ってみよう

教官もちょうどインフルエンザに罹っており(夏なのに)
病み上がりコンビで、久しぶりの運転
それなのに高速道路

教官はお互い眠くならないように
めっちゃ話しかけてくれる!
「めぐみさん、関東出身と?
なら、あそこのハンバーガー屋は寄らんば。
絶品たい」
長崎イントネーションだ。

この時色々話してて判明したのだが
教官、大阪出身、大阪育ちだった

7年くらい前に祖父の家を継ぐために
長崎に来たらしい。
にしても馴染み過ぎ。

次回、初めて煽られるをお送りします。


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