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何が何でも、最高の人生を送ってやる

はじめまして、社会人2年目のxiao(シャオ)です。この度ずっとやってみようと思っていたnoteを始めてみます。
元々写真や映像を撮ったり絵を描いたりして自己表現をするのが好きなのですが、もっと今自分が感じていることを文字にして言語化したいという欲求に駆られ、気がついたらキーボードを叩いていました。
気ままな投稿となりそうですが、よければぜひ覗きに来てくださいまし。

簡単な自己紹介

北は北海道の札幌でのびのび生まれ育ち、大学進学を機に上京。大学ではジャズダンスに出会い、これまで一度もやったことのなかったダンスを踊りまくるアクティブな大学生活を過ごす。
卒業後は皆さんも知っているであろう某大手金融機関に入社。このワードだけ聞くとエリート感半端ないが、出身大学では石を投げれば誰かは当たるようなメジャーな就職先だった。

新卒入社で経験した絶望感

ここからが本題。新入社員が多く配属される支店業務に自分も携わるのだろうと思いきや、初っ端からまさかの本部配属。とはいえ新しい環境に行くのは比較的好きなので、不安と期待が入り混じった配属初日。初日で、早くも来たる社会人生活が憂鬱になる。
詳しい描写は割愛するが、とにかく「ザ・昭和の日本企業」といった風が吹いていて、これまで自分が体験してきた世界と違いすぎる。日々に違和感しか感じない。そんな毎日を半年間送った後、突然会社で倒れ、気がついたら心療内科から適応障害の診断書をもらって休職していた。

休職していた期間の話は、また別の機会にするとしよう。会社をもうやめようと数えきれぬ回数思ったが、とにかく3ヶ月間の休職を経て、私は復職することになる。人事が会社にある別の部署を采配してくれたのだ。
別の部署に復職して4ヶ月が経つ今、去年の憂鬱さが嘘みたいに毎日楽しく、生き生きと働けている。環境の大切さを改めて思い知った。と、同時に、自分自身に新たな人生の価値観ができた。

何が何でも、最高の人生を送ってやる。

別に収入をがっぽり稼いで遊びまくるとか、イケメンと結婚するとか、そういうステータス的なものではない。「自分自身の声に正直に耳を傾け、自分の人生に妥協しない」ということ。これは簡単なようで、意外と難しい(らしい)。らしいと書いたのは、これまで自分はどちらかというとそういう(自分に正直な)生き方をしてきたからだ。
しかし社会人になると、自分の選択に責任がつく分、心と頭の分離に正直に動けない自分がいた。せっかく就活で苦労して入った大手企業なのに、新卒で半年の転職なんて、休職中の給与は?、その間も家賃の支払いはくる。ここだけの話、仕事以外にも辛く苦しいことがたくさんあった一年だった。それでも、今回の人事采配がなければ、自分は何かしら動いていただろう。知人に言わせると、それができることはすごいことらしい。

まだまだブラック企業と呼ばれる企業も普通に存在するこの日本社会、日々の生活に希望を持てず働いている社会人はどれくらいいるのだろう。ちょっと前の自分みたいに。そしてその状況を自覚していながらも、行動に移す憂鬱さ(とお金の問題)で、今の生活に妥協してしまう人はどれくらいいるのだろう。

今、自分の道は自分で選べる

今の部署に来てから気がついたことがある。それは、自分の周りにいる人は自分の鏡だということ。類は友を呼ぶ、という言葉があるが、人生の選択を何でも自分でできるようになった今、それはあらゆる場面で実感する。
私は基本、人を軸にして生きている。あの人のために頑張りたい、この人と一緒に楽しみたい。自分が起こした行動に返ってくる他者の言動で、自分がどんな人なのかをようやく知ることができる。
だから私は、何が何でも幸せになる。どんな状況に陥っても、それがどんなに大変な道でも、自分で幸せは掴みにいく。そうすると、自然と自分の周りにも、自分が一緒にいて居心地がいいと思える相手が集まってくるのだ。引力みたいに。
恵まれているものへの感謝の気持ちは忘れない。だけど、自分が一番幸せになれる道は、自分で選ぶ。そうすれば、どう転がっても最高の人生にしかならないはず。


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