2024.2.3 アシュタール「嫌悪感を抱くとき」

誰かの波動が気になる時。見たくない波動。手放したいと思っている波動。もしくは、自分はもう手放した、と思っている波動。それを他人という写し鏡を通して見るとき、人は嫌悪感を抱いたり、見たくないと思うものです。それは自然なことです。なぜならまだ自分の内側にあるそれを、完全に手放しきれていないからです。なのであわぶくのようにまた後から出てきて、あなたは刺激されたように感じるでしょう。しかし安心して下さい。これは小テストのような、あるいは通過儀礼のようなものです。そこを通過できるか、トゲトゲしたものにひっかかるか。通過できた者は、手放し合格です。トゲトゲしたものにひっかかった者は、このように見てみてはどうでしょうか?アシュタールからの一言アドバイスです。それは、「この人は神である。ハイヤーセルフである。しかし今このひととき、忘却のゲームをしてまだ遊んでいるのだ。」そう思うと、尊く感じませんか?なんだか、可愛く思えてきませんか?もともと完璧な意識でなんでもすぐにできるあなたたちに、本来、優劣などありません。遅れている、早いなどという概念も本来必要ありません。それは、それぞれの選択なのです。早いのが良くて、遅いのが悪いではありません。それは3次元の概念だと覚えておいてください。あなたがたに優劣などありえません。ただ、それぞれの選択があり、それは尊重されます。なのであなたも彼らを尊重し、祝福を送ってみてください。あなたと何ら優劣のない彼らは、眠りのゲームをして遊んでいるのです。そしてついさっきまで、あなたもそこにいて遊んでいたではありませんか笑 ほほえましく眺めていてください。彼らもじき覚醒めるのだと、当たり前のように信じてエールを送ってみて下さい。そしてあなた自身の真っ直ぐなこれからの覚醒めにエール送ってみてください。これからの流れはよりハードに感じることがあるかもしれませんが、捉え方によっては、劇的に大きな変化が早く訪れるということです。それは誰かにとっては恐ろしく悪い出来事に感じられますし、誰かにとってはそのとおりではありません。しかしあなたがたは選ぶことができます。何が起きたとしても、その意味付けを、です。あなたがたは被害者ではなく、自分自身ですべてを選べる創造主です。そう感じられないのは無意識の現実創造をしていたからです。現実化の仕組みを忘却していたからです。そうやって遊んでいたのです。そして覚醒めの遊びが今ますます始まっていくということです。覚えておいて下さい。たとえ本人に自覚がなくとも、深いところで全員がもれなく選択しています。そして、すべてを了承したうえで、この人生、転生にチャレンジしています。あなたがたは被害者ではありません。あなたがたは創造主です。たとえどんな選択をしたとしても、あなたがたはもれなく創造主です。そのようにして世界の一人ひとりを見回してみてください。心にトゲがささったように感じたら、先程の話を思い出してください。長くなってしまいましたが、あなたがたとお話できることを大変嬉しく光栄に思います。よい夜を。ありがとう。アシュタールより愛をこめてあなたに。ありがとう。

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