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いじめをすることのデメリット

 いじめ問題……ほぼ毎年のようにどこかでは必ず聞く単語となっているような気がします。イジメは駄目、やってはいけないこと、そんな当たり前すぎることを改めてやっても意味はないと思いますので、ここではイジメ加害者になることのデメリットをあげることで、イジメを抑制することが出来ればいいなと思い、今回はペンをとっております。そして最終的には、イジメのみならず複数のよくないことをすることのメリットデメリットにまでつなげていけることが出来ればと思います。

①イジメという行為について

 そもそもイジメとはどういう行為のことをさすのでしょうか? 文部科学省によりますと『児童生徒に対して、当該児童生徒が在籍する学校に在籍している等当該児童生徒と一定の人的関係のあるほかの児童生徒が行う心理的又は物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものも含む)であって、当該行為の対象となった児童生徒が心身の苦痛を感じているもの』とされています。ややこしいですが、要約すると被害者に対してその被害者と関係のある人物がその生徒にして心身に苦痛を与えるもの、と認識してよいと思います。
 また、このイジメには犯罪行為が行われていることも認められているので、その場合は警察への通報も考えられるといいます……というより、私としては警察への通報は当たり前のものなんですけどもね。
 さてさて、そんなイジメ行為、ですが現状許されないものではあるものの恐らくは完全になくなることはないとは思うんです。なぜなら学校という閉ざされた空間のみならず、社会に出てもこのイジメという行為は一部で行われておりますし、たびたび大きな社会問題に発展しております。
 ですが、もしも私たちの日常でそういったイジメ加害者となってしまいそうになったときにこれからの警告をふと思い出してくださればと思います。イジメ加害者の大きなデメリットについて。

2.刑事罰、民事訴訟


 殴る蹴るは暴行罪、そこでお金を奪えば強盗、その他、傷害、侮辱罪、名誉毀損罪、強要罪、脅迫罪……これらの行為はイジメという名前を被って行われることが非常に高い犯罪です。もしかすると、もっとあるかもしれませんね。さて、これらの罪により実際に逮捕、起訴されるかといいますと実際のところそこまでは行かないでしょう。良くも悪くも現行犯で捕まえにくく、明らかであってもなかなか立件できないかもしれませんね。しかし、前歴ぐらいならついてしまう可能性は非常に高いことでしょう。
 事件を起こしたが和解をした、厳重注意ですんだ、検察官により不起訴処分となった等、これらの場合には前歴がつきます。いや、それだけなら……と思うかもしれませんがこれらがついしてまうと、もし今後些細な犯罪に巻き込まれたとき、前歴がついている、という理由で執行猶予がつかなくなったり、より重い罰を下されてしまう可能性が非常に高いです。
 いやいや、犯罪行為になんて手を出さないよと思ったかもしれませんが、これはイジメ加害者になるかもしれないときに思い出してもらいたいものです。つまり今、イジメという名前の簑を被った犯罪行為に荷担しようとしているかもしれません。それがもう二度とないと言い切れるでしょうか?
 さらに、刑事と民事は全く別物。未成年だからといった、いいわけも通じないでしょう。もしもイジメを通じて障害を残してしまったら、その慰謝料を払わなければなりません。
前科や損害賠償がついてもいいのであれば、とめはしませんが……。

3.チャンスをつぶされる

 東京オリンピックの閉会式、その楽曲の作曲という大役を任された山田圭吾氏が辞任をしたことを覚えていらっしゃる方は多くいるかもしれませんね。
 辞任理由は過去に障害を抱える同級生をいじめていたこと。また、それらを悔いていたかというとそんなことなく、むしろ自慢げだったこと等が決定打になり辞任となってしまいました。
 私はその人の人となりなど正直興味はありませんが、もったいないなと感じました。せっかくの大役を、過去のイジメが原因で降りなければならなかったのです。
 それだけはないでしょう。今後、この方に何かを頼もうと調べれば確実にこの件がヒットしてしまいます。それが小さな仕事であれば問題ないかもしれませんが、大きな仕事になればなるほど、この人はよけておこうと思うのは当然の行いではないでしょうか。少なくとも私はそうします。彼に仕事を頼める立場になったとして、絶対に頼まないでしょう。そのプロジェクトから不穏因子を少しでも排除したいので。
 また、イジメの原因ってなんだろうと考えるとある事実が浮き彫りになってしまいます。
イジメの原因、例えば人より成績がいいとか、逆に悪いとか。容姿が目立つとか、妙におどおどしいとか、何でもかまいません。ですがイジメのターゲットに見定めたということはその人がなにかしら目立っていたということにならないでしょうか。その目立ち方がいいか悪いかはひとまず置いておいてそれを気にくわなく思ったのでしょう。
 もしも大きなチャンスをつかんだ人がいたとして、そんな目立つ人を100人が100人賞賛するはずがないですよね。足を引っ張ろうとする存在がいるでしょう。そうして調べた結果、些細ながらもイジメに荷担をしていたら?
 その瞬間全ての努力が水泡に帰すことは容易に想像出来てしまいます。
 また同時にいじめた人物が復讐をしないとも限りませんよね。その復讐のしかたが直接的なのか、間接的なのかわかりませんが、巡り巡って不幸になるのはあなたではないでしょうか……。
 それでもそのイジメってやる価値あるのかなとは私ははなはだ疑問です。

4.悪名は無名に勝る、しかし悪名にしかならない

 筆者の名前なんかより、最近話題になったお寿司屋さんの迷惑行為をはじめとした事件の加害者の名前の方が皆さんの目に入る機会が多いでしょう。一見すると世間への認知度を上げるという行為に関しては悪名の方が早いし、私がどれだけ声を上げても、まぁ、負け犬の遠吠えといわれるでしょう。しかし、大切なのはこの無名というのはいつでも有名になれるチャンスを潜ませていることにあります。私が、というつもりはありませんが先日まで無名だった人がなにか大きな発見をしたり、バズッたりすることで有名になるチャンスがいくらでもあるんです。しかし、先に悪名というものがあると、その後どれだけすごいことをしてもあの悪名の人がこういうこともしたんだという認識にしかならないのです。そしてその後の継続性や応援する人を考えても、悪名の名は徐々に徐々にくすんでいきます。
 それならいつまでもチャンスの塊でいられる無名の方を私は選びます。

5.まとめ


 ここまでつらつら並べてみましたが私は絶対にイジメというものがなくなることはないと思っています。もちろん少なくはなっていくでしょうが、ゼロは難しいでしょう。そんな中で私たちに出来るのは極力このイジメに関わらないように生きていくということだと思います。善人になれ、というつもりはありませんが悪人にはならないようにしてもらいたいのです。
 ただし、怖いのは集団で何かを行うと一人一人の責任意識が薄れてしまうという心理状態が発生してしまいます。詳細は省きますが芸術家、マリーナ・アブラモヴィッチ氏によるパフォーマンス『リズム0』では最終的に彼女に性的暴行を加える、銃弾の入った拳銃を突きつけるといった事態にまで発展をしました。もちろん、これは過度な演出も手伝ってのことですが、人というのは正常な判断がつきにくくなる事態というものが存在しています。
 本来ならやらないようなことをやってしまう、その行動は誰しもが持っていることだと思います。そのとき、自身の善の心について問い合わせてみても、ばれない、大丈夫と思ってしまうかもしれません。ですが、これをすることでの自身へのメリットとデメリットは、と冷静に考えると、ほとんどの場合においてはデメリットが勝ることは言うまでもないでしょう。これはイジメ以外にも通じる部分です。どれだけ面倒くさくても犯罪行為を行うとその後のデメリットは非常に大きなものとなってしまいます。最悪、日本の最高刑は死刑ですからその命を賭すことになるでしょう。
 それでも有名になりたい? では日本の確定死刑囚の名前どれだけいえますか? いえもっと言いましょう。全員言えますか?
 そう出ない時点で、その有名のなりかたは一過性のものに過ぎないことが容易に分かると思います。
 しかし、アイドルの名前をさらさら言えたり、政治家の名前を言えたり、その道の研究をしている人ならノーベル賞に受賞された人の名前も覚えることでしょう。悪名の一過性と比べれば努力し続けていくことによって開いた花の美しさは比べるもないことが事実です。
 努力は実らないことも多くあるでしょうが、それでも努力をしたという仕草をみたのならばその行動に感銘を受ける人もいるし、最低限の幸せをつかむことはできるのではないでしょうか、と問いかけたところでおしまいにしたいと思います。

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