WS-152️⃣

帚木蓬生「ネガティブ・ケイパビリティ」から。高輪、海城で出題。

問一 漢字

問二 具体例選択。「浅い理解」をキーワードに読み進めると直後に「浅い理解でとどまりやすいのは、重ね合わせ的理解です。いわゆる小さな細々とした理解を積み重ねて、大きな理解を目指します。」とあるので、この具体例となっている選択肢を選ぶ。
ア   × 「通説を知る」という「重ね合わせ的理解=浅い理解」と、「自分でも観測」という「発見的理解」が混在している。
イ   ○ 「逸話を集める」のは「重ね合わせ的理解=浅い理解」。
ウ   × 「いろいろな材料を吟味し、少しずつ改良を加えながら試作を繰り返す」のは「自分で発見していく」ので「発見的理解=深い理解」。
エ   × 「自分の考えを確かめる」のは「自分で発見していく」ので「発見的理解=深い理解」。

問三 説明選択。線部の指示語「それ」の内容は「発見的理解」なので、L33「自分で発見していくしかないかたちの理解」である。続けてL35「自然の解明の足がかりとして立てられるとしたら、自分で考えた仮説くらいです。 この 仮説に沿って自然を観察し、うまく説明できるかどうかを検証します。この検証には到達点がありません。不断の検証を自ら重ねることによって、深い理解、発見的理解に到達します。」と説明されている。これを言い換えた選択肢を選ぶ。発見的理解には「仮説」が必要であり、それに触れている選択肢はウしかない。
ア   × 「自然の成り立ちがあらゆるものの基本だと考え」るという前提が根拠なし。また「自然の構造からうまく説明できるかどうかを検証することで未知のものを解明」するとも述べられていない。
イ   × 「小さな理解をこつこつと積み重ねていく」のは「重ね合わせ的理解=浅い理解」なので逆。
ウ   ○
エ   × 「自分自身でマニュアルを作成」するとは書かれていない。

問四 説明選択。比喩の意味をとらえる。指示語「そうやって得られた理解」の内容は、L41「ヒトを含めた自然と対峙したとき、今は理解できない事柄でも、不思議さや神秘に対して(拙速に解決策を見出す<のではなく>、)興味を抱いてその宙吊りの状態を耐え」ることで得られたL44「ヒトと自然の深い理解」=「発見的理解」。「地図」、「海図」の喩えは「人生の指針」程度の意味。
ア × 「発見的理解/深い理解」は「未知の分野」を「宙吊り」にするので「はっきり示してくれる」ものではない。
イ × 「歴史」や「感情」の話はしていない。
ウ × 喩えなので、そのまま「世界の見取り図」という意味はありえない。またアと同様「明解に示してくれる」ものでもない。
エ ○ 

問五 説明選択。線部の主語は「音楽」なので、この話題はL51~62。音楽はL58「悲しみ」やL58「喜び」といった感情を表現しようとし、L60「分かることを拒否して、そのずっと奥の心のひだまで音は到達して、魂をゆさぶる」もの。そしてL52「もともと音楽など分かるはずはなく、分からなくていいのです。味わうだけです」と説明されていることから、「音楽」についても「深い理解」に至るには「発見的理解=深い理解」と同様L38「不断の検証」が必要。このことをL59「答えを出してはおしまい、というような深みを音で追求していきます」と表現している。これが選択肢ア「常にその表現を追求する試み」に相当する。
ア   ○ 強意表現「常に」が入っているが、正答。
イ   × 「音楽」は「どうすれば理解してもらえるか」を追求するのではない。また感情にふれていない。
ウ   × 「これが答えだというように完成させてしまう」ことが「深みが出ない」理由ではない。因果の誤り。また強意表現「必ず」が入っているし、「必ずその直前でとどめられる」も根拠なし。
エ   × 「不断の挑戦」とは感情表現の追求であり、「うたや演奏などの技術の向上」はその方法に過ぎない。

問六 説明選択。問われているものに注意。抽象画のどのような点が、「さらなる高みで感覚に訴える」のかを読み取る。「抽象画」について書かれたL62~75から読み取る。ド・スタールの具体例で考えるが、分かりにくければ消去法。L66「サッカーを描く」に際し、L66「手っ取り早い」L66「数人がボールを取り合う写真」を用いるのではなく、L65「ブロックのかたまりが、せめぎ合っているような画面」を用いることで「さらなる高みで感覚に訴える」のだから、これを抽象化した選択肢を選ぶ。簡単に言えば“具体”から“抽象”の変換を行っているということ。
ア × 抽象画は「現実らしさ」を生み出さない。
イ × 「形」や「色」は「よく分からない」訳ではない。また「錯覚」するのに「きちんと分かる」というのは矛盾している。
ウ ○
エ × 抽象画は「分かりやすく」表現できない。

問七 説明選択。問四、五、六と連関。抽象画も「発見的理解」=「深い理解」の例であり、「深い理解」ができれば「さらなる高み」に到達できる。ということは、「音楽」と同じで、「分かる」のではなく「味わう」ことを続けることでより深い感動を味わえる。
ア   × 「分かった」とあるが、抽象画はL62「分かることを拒否する」。また「自分の理解力について新たな自信が生まれた」も根拠なし。
イ   × 論点ズレ。ここでの「喜び」は「分からなくても良いのだ、ということに気づいた」ことによるものではない。
ウ   ○
エ   × 「分かることをあきらめた」訳ではないし、「物事の理解に到達する」というのは「分かる」こと。抽象画はL62「分かることを拒否する」。

問八 説明選択。意味段落(L76~89)の理解。「すれ違い」が起こっている大学教授と大作家の対比。大学教授は質問に対してL82「即座にそれはこうこうこうですと答えました」とあり、質問に正しく答えることを求められていると思った。これに対して大作家の本心はL86「大作家は、相手に自分が抱く疑問に参加し、一緒に考えてみる姿勢を期待したに違いなかった」と推測しており、L88「謎や未知の事柄」に対してL87「一緒に考えて」ほしかったということ。
ア   ○
イ   × 大学教授は博覧強記で知られた人なので、答えられたのは「たまたま」ではない。
ウ   × 「鼻につく態度であると受け止めてしまった」訳ではない。
エ   × 大学教授が「軽い気持ちで答えた」かは不明。また大学教授の目的は「質問に対して真剣に考え、議論してくれる人物かどうかを確かめるため」ではない。

問九 ⑩主張記述。画一的な思考に陥らないために必要な姿勢とはタイトルになっているネガティブ・ケイパビリティである。キーワードは「ネガティブ・ケイパビリティ」。最終段落をベースにまとめる。
<必要な姿勢/すべきこと>
L43「興味を抱いてその宙吊りの状態を耐えなさい」
L100「謎を謎として興味を抱いたまま、宙ぶらりんの、どうしようもない状態を耐え抜く」
→興味を抱いて、分からない状態のまま耐える/謎を謎として興味を抱いたまま、分からない状態に耐える①+①+①
 ※「宙吊り」は比喩。
<「必要な姿勢」をとる方法/精神面>
 L101「その先には必ず発展的な深い理解が待ち受けていることを確信して、耐えていく持続力」
→発展的な深い理解が待ち受けていると確信する/発展的理解ができると信じる/深い理解が可能になると確信する①
<「必要な姿勢」のためにすべきこと/行動面>
L35「自然の解明の足がかりとして立てられるとしたら、自分の考えた仮説くらいです。 この仮説に沿って自然を観察し、うまく説明できるかどうかを検証します」
L38「不断に検証を自ら重ねることによって、深い理解、発見的理解に到達します」
→自ら仮説を立てて、不断に検証を重ねていく②+②
<背景/してはいけないこと/対比>
L42「今は理解できない事柄でも、不思議さや神秘に対して拙速な解決策を見出すのではなく」
L99「ネガティブ・ケイパビリティは拙速な理解ではなく」
→謎に対して、既存の理解をもとにした拙速な解決を図らない/不思議さや神秘に対し拙速な解決策を求めない/今は理解できない事柄に対し拙速な理解を求めない②
A.謎に対して、既存の理解をもとにした拙速な解決を図るのではなく、すぐに理解できなくても諦めずに、その先に深い理解があることを信じて、自ら仮説を立てて不断に検証を重ねていく姿勢。

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