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音楽のカバーは原曲(本家)を超えられない?🙃

こんにちは!
またちょっと気になることを書いてみます。

皆さんはよくカバー曲を耳にすると思います。カフェで流れる優しいピアノの旋律、YouTubeでバズっているアニメの主題歌コピー、さらには音楽番組での一流アーティストによる感動的なカバーまで。
でも、"カバー"ってどういう意味があるのでしょうか?何を"カバー"してるんでしょうか?
そして、いわゆる“原曲”と呼ばれるものを超越することは、本当に不可能なのでしょうか?

私の友人に、原曲至上主義の人がいます。私が車でカバーされた曲を流すと、やっばり原曲の方がいいなぁって言われます。たしかーに!!原曲は間違いなくいい!!
しかーし!カバーの方がいいと思えるときもあるんじゃない?って思うんです。

特に音楽では、「作詞・作曲者」と「歌い手」が別々であることが珍しくありません。なら本家の歌い手も、この詩をカバーしていると言えるんじゃないでしょうか。
カバーという言葉は、詩を再解釈することを意味しているんじゃないか、って考えたんです。

何か伝えたいこと、どうしても言いたいことが詩に込められていて、それを歌い手が解釈してメロディに刻む。
ならば、他の人が曲をカバーすることは、その詩を再解釈してメロディに刻む行為じゃないかと思うんです。(本家の歌い手をカバーすれば、それは模倣に近いものになります。)
この場合、本家とカバーする側は、同じ詩を解釈する、という同じ条件(スタート地点)で始まっているため、どちらが勝る可能性もあると考えられます。

カバーを模倣ではなく、再解釈と考える。それならば、カバーする人の個性や解釈、さらに時代背景までを考慮に入れた構築等によって、カバー曲が原曲とは別の光を放ち、「超える」ことだって、全然可能だと思うんです🤩

その詩への解釈がより好きだと思える方を、自分の中で上だと思うのはありなんじゃないでしょうか。
そこまで深く考えなくても、声色が好き、表現力が好き、柔らかさが好き、とかでもいいと思います。それは、無意識のうちに、自分の詩への解釈に近づくために必要な特性が含まれている方を選んでいる!のかもしれないです。笑

そこまで考えた上で、やっぱり本家が上だ!ってなるのは素晴らしいことですよね。
私には、思考停止で本家が常に上だ、って考え方はちょっと感性に合わない感じがします😳
原曲を聴いたことがない人に、原曲とカバーを同時に聴かせて、どちらが上かを聞けば、カバーを挙げることもあるでしょうし。。

模倣になっているカバーか、それとも再解釈といえるカバーか。
それは私たちで好きに判断しちゃいましょう💡

もちろん、本家の楽曲に敬意を表しつつも、全く新しい作品へと生まれ変わることができるカバーも楽しみたい!
私たちは、「原曲が至高」と決めつけるのではなく、「カバーは新たな発見への誘い」と考えることができるのではないでしょうか?
じゃあ、次にあなたが聴くカバー曲は、ただのカバーではなく、新しい楽曲の「発見」として楽しむことができるかもしれませんね😊

今日はどの曲を聞こうかなぁー。ちなみに私はこぴさんのカバーが大好きです😍

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