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ライフストーリー⑤私の魂とからだはベストパートナー

人生を振り返ることで私はこんなに周りの人に愛されていた事に気付く。

小学生の時はとにかく遊んでいた。年子に弟がいて私は遊び半分は弟の友達と一緒に野球や、雀取り、サイクリング、隠れ家など遊んでた。隣の県の関西弁のお爺ちゃんは50歳くらいで車の免許をとりいろいろなところに連れてってくれた。おばあちゃんの仕事の送迎もしていて気がつくと90キロの速度が出ていたので90歳過ぎたらみんなして止めていた。耳が遠いのでとちょっと嫌みを言ってみるとそれは反応していて弟と笑っていたのを覚えている。今思うと申し訳なかったと反省する。でも、いつも冗談を言ってはよく笑っていた。96歳で亡くなったが、今じいちゃんを感じると胸がキューとなる。毎朝作ってくれた具だくさんの味噌汁、多分味噌は自家製、釣りによく連れてってくれたとき鼻水が垂れてもそのまま垂れ流しでお構いなしのお爺ちゃん。水もなるべくいい物をと病気だったおばあちゃんのためにも山へ一緒に取りに行った。毎年遠くの山の川へ泳ぎに行かせてくれたり、花火大会も隣の県まで連れてってくれていた。不思議ちゃんと呼ばれていた私は、ある日釣りに行く前夜、塗るムヒに興味がありふと、これを舐めるとどうなるんだろう?と思い、ほんの少しだけ舐めてみた。そしたら、釣りに行こうという朝に起きたら下着内に下痢便一面と高熱が出てしまい従姉妹のおばさんに洗ってもらい看病してもらった。小さいながらにあの下着をよく手で洗ってもらえたなと感動した。

おばあちゃんが高校生の時になくなりお爺ちゃんは大人になってからだったが、とにかく孫が好きだったじいちゃんばあちゃん。皆が悲しかったが皆で乗り越えた瞬間があった。それから異例の葬式になった。おばあちゃんの時は腰からストンと力が入らなくなった。お爺ちゃんの時は雨の日でバスから白い蛇をみた、これは縁起がいいと父が言っていた。私と同じ年の従姉妹がじいちゃんと何年か一緒に住んでいて結婚しなくてもと、じいちゃんの指輪を今もしている。体の肉がなくなり骨になってもかっこよかった。堅くてとてもきれいな形をしていて、じいちゃんが好きすぎて骨を箸で回収するときは笑いが出てきて変な人たちに見えていただろう。でも、楽しくなっていて入り口で写真を撮ったくらいだ。お葬式では教壇にじいちゃんどんちゃん騒ぎをし鳩をとばした。骨は本人の希望であった海へ孫は連れて行った。私はパニック障害を患っていたので船の途中で怖くなってきて従兄弟の兄ちゃんが船をとめてくれた。弟はじいちゃんと海へ一緒に泳いだ。

その写真にはじいちゃんも写っていたようだと孫たちは目を疑いながら微笑んだ。じいちゃんは「皆仲良くしなさい」といっていた。自然と「孫会」が発足された。じいちゃんが築いてくれた固い絆となり、とても感謝している。

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