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若年性レビーの初心者家族②

弱音が語られる部分が多くあります。
不愉快に感じられそうであれば閲覧をお避けください。

診断を聞いた初期の頃の私

今回は診断を聞いた頃の私の経験を綴ってみます。
まだメンタルにストップがかかる部分もあり、詳細ではないかもしれません。ご容赦ください。

夫がレビーを発症し入院した頃、病気についてたくさん調べました。
当然レビーについては真っ先に調べましたが、同時に他の病の可能性はないのかと症状から色々な疾患を調べました。調べれば調べる程、ひとつひとつ別の病気の可能性が消えて絶望感が増して行きます。
ベテラン医師が、慎重に言葉を選びながら伝えてくださった診断です。素人がネットの専門サイト、書籍、公開されている論文などなど一生懸命読み込みましたが、覆る情報はありませんでした。
どうして。どうして。と繰り返しながら毎日ひとりで大泣きし続けました。

入院前、職場には急に休みをもらったり色々迷惑をかけていました。ですから出勤すると、皆心配してくれて夫のことを聞きます。私は「まだ何の病気かはっきりしなくて、お薬試しながら様子みてもらってる」と答えていました。

どうすれば良いのかネットで調べると出てくるのは介護サポートや入居施設の事ばかり。私見です、違ったらすみません。
もちろんとても大変な部分ですから当然なのかもしれません。今現在私はまだ介護をしていませんのでその頃には「いいから介護のサポート手厚く!」と思うことでしょう(^^;)
ですが私が求めていたのは、突然家族がレビー小体病になった初期のサポート、心の支えでした。同じ境遇の方に出会いたい。共感してもらえる人に話しを聞いてもらいたい、という気持ちだったと思います。

この頃は毎日がパニックでしたので、何をしたら良いのか、何が優先なのか、どうすればいいかわからない日々の中とにかく色々なことを調べました。
病気や治療について色々調べたり、市役所に電話してみたり、行政の相談の予約をとったり、相談に行くにはまだ要素が足りなかったと気づいてキャンセルしたり、ぐちゃぐちゃです。
迷惑な人でした。申し訳ございません。

その中で若年性認知症当事者の会や、発信する活動をされている当事者の方は見かけましたが、その家族が表に出ているのを私は見つけられませんでした。
誰にも話せず辛かったので、コミュニティがあれば同じ経験をされた方と繋がれると考えたのですが、辿り着けませんでした。
今思えば、若年性レビーの家族会がなくて良かったです。
当時の私は自分のツラさや混乱を誰かに押し付けてしまったかもしれません。迷惑をかけるだけだっただろうと思います。

仕事に行き、帰ったら調べもの。
夫の両親とだけ病気の話が出来ました。夫の両親は優しく私を気遣ってくれました。この頃唯一気持ちを共有できる存在でした。特に義母とはたまにですがお互いに言葉をかけ合っていました。
自分の実家には夫の病名を伝えただけでした。両親はいつでも家に帰っておいでと言ってくれましたが、頼ることは出来ませんでした。自分の親には心配をかけたくありませんでした。

ネットや書籍でレビー当事者の方の発信をみて「うちの夫もこの方のように、家で一緒に過ごせるようになるかもしれない」という想いを支えに過ごしました。

結局ひとり耐え続ける限界に近づいた頃に、以前一度お世話になったことがある県の精神保健福祉センターで話しを聞いていただきました。親身になって私の話しを聞いてくださり、大泣きしながらツライ気持ちを話しました。
この先の事も、必要な事だけは一応自分で調べたのですが、ぐちゃぐちゃに書かれてよく分からないたくさんのメモをたよりに、大混乱だった私のやるべき事を「障害年金や障害者手帳の窓口、治療費や生活費などの相談事は最寄りの行政の窓口、病院の相談員さんへの相談。まずはこれをしましょう。次はこれ。」と、整理してくださいました。
その時の私には神様か天使さまに思えるくらい大変ありがたかったです。
散々吐き出させてもらってかなり気持ちが落ち着きました。この時、家族以外の誰かにはじめて夫の病名を話しました。これまで無差別に助けを求めてしまいそうだった事もあり病名は絶対に言ってはいけないと決めつけていましたが、話す相手を選べば話しても良いんだと助言していただきました。

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