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#2 「生きる」とは

こんばんは。さくです。
今日は「生きる」ことについて考えてみました。

そもそも長生きしたいなんて思ったことない

わたしは昔から長生きしたいなんて考えたことありません。
こんなことを人に話せば病んでると思われますが、全然病んでない。
それは多分、日々のエネルギー消費と充電のバランスが取れていないからだと考えています。

わたしは人と関わるときにすごくエネルギーを使います。
相手が何を考えているか、自分が不快な思いをさせていないか、気になって仕方がありません。
(このような考え方をするようになったルーツはまた今度お話します)
そのため、エネルギーは毎日減る一方なので、
たとえ日常に楽しい出来事があったとしても、未来に悲観的になっているのだと思います。

死にたいわたし

わたしが性被害に遭ったあと、周りの人は「無理するな」「ゆっくり休め」とばかり。
事件によってわたしのエネルギーは奪われ、充電する気にもならなかったので、すぐに死にたいと考えました。

わたしが選んだ方法はくびをつる方法。
理由は実行のしやすさと後処理のしやすさ(早期発見される自信がありました)。
しかし結局は、おせっかいな友人に強行突破されて失敗しました。

なぜ自死は悪とされているのか

最近では自殺者の増加が問題になっていると聞きます。
なぜ自死は悪とされているのでしょうか。

①周りの人が悲しむから(常套句)

両親が悲しむよ、家族が悲しむよ。
わたしが一番言われた言葉です。
悲しむ気持ちはわかるけど、いつかどうせ死ぬんだからいいじゃんねと思っちゃう。

②生物としてマイノリティーの考え方だから

わたしが自分を納得させたのはこの考えです。

わたしが「死にたい」と考えるのは、この”考える”という行為のせいです。
普通の生物は自身の種の繁栄を目的に本能的に生きています。
これが生物の基本的で当たり前で大前提なんだろうな。
わたしは”考える”せいで、この大前提に抵抗を覚えてしまった。
だからこの大前提を信じてやまないマジョリティーに理解してもらうことはやめました。
わたしは生物として劣等種なんだと思います。

わたしの生きる意味

なんで生きるのかについてですが、面倒くさいからです。
マジョリティーに扮するほうが楽ちんです。

病人扱いされて生きるのはエネルギーを余計に消費するので、
一般人扱いされたいから元気なふりをする。
病院でも会社でも家族の前でも友達の前でも元気なふりをします。

でも死にたい気持ちは全然減りません。
いつかこの気持ちをわかってくれるマイノリティーのひととお話してみたいな。


今日は疲れたのでここまで。
拙い文章を読んでいただいてありがとうございました。

さく

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