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25歳の私が協力隊参加を選んだわけ②〜社会人編〜

こんにちは!なぎです🌞

*もう一つの夢*

さて無事に就職先も決まり、大学を卒業。
学生最後の春休みに、オーストラリアへ1ヶ月旅行に行きました。
世界中から集まった人、ゆったりと流れる時間、何倍も広く感じる空…たった1ヶ月で、すっかりオーストリアに惚れ込んでしまいました。
特に夕方5時ごろになるとレストランでスーツを着たサラリーマンがビールを飲んでいたのは衝撃で!
日本だったら、ありえない光景…
仕事もプライベートも大切にする文化が素敵だなぁ💭
ここに住みたい!と直感でそう感じました。

しかし、新型コロナウイルスの影響で予定していたニュージーランド旅行は断念し、バタバタと帰国。
でも、絶対にまたオーストラリアに戻ってくる!と自分に約束しました。

*新社会人&転職*

就職時に、「3年働いて協力隊に参加するかワーホリに行く!」と決めていました。3年という期間に明確な理由はないけれど、日本での社会人経験が今後に何かしら活かせるだろうと思ったからです。

そうして営業職としての仕事がスタート。
美容商材を代理店へ売り込むことが主な業務内容でした。
素晴らしい上司にも巡り合い、仕事も楽しかったです。
しかし、何かが物足りない、何か満たされない日々。このままでいいのかな、という漠然とした不安がありました。
そんな時に、展示会の現場でお客さんの生の声を聞けたり、直接接客して笑顔になってもらえた時に、「代理店営業よりも、人の笑顔や喜びに触れられる方が好きだな」と感じました。

また同時期に、教員になった友人たちから仕事の話を聞いて、教育実習の頃のやりがいと楽しさを思い出しました。
当時の職場に未来を感じなかったこともあり、「来年、教員に転職しようかなぁ」とぼんやり考え、大学時代の恩師に電話。
すぐに教育委員会の知人に繋いでくれました。

こういう時の勢いって本当不思議なものがあって…
転職相談のつもりで訪れた教育委員会で住所を伝えたら、家から5分の学校でちょうど産休に入る先生がいるから講師を探している。週3回で働ける講師を探しているけど、転職するなら週5日の常勤に変更するから手続きしよう!と・・・
あれよあれよと話が進んで、その場でほぼ勤務校が確定。
すぐに上司に伝え、退職届を提出しました。
あまりに早く事が進み、なんだか運命に導かれているような気がしました💭

*教員生活*

こうして教員としての生活がスタート。
学生時代にボランティアもしていなかったので、大変なことも多くありましたが、それ以上に毎日ぐんぐん成長していく子どもたちと共に過ごす日々は、喜びと感動に満ち溢れていました。

「これが私の天職だ!」とも思ったし、周りにも「営業より先生に向いてるね」と言われました。
一方で、長時間労働やサービス残業ありきの膨大な仕事量に憤りも感じていました。

さて、25歳になった社会人2年目。
30歳までには結婚したいという謎の願望から、協力隊かワーホリか悩みに悩みます。笑
しかし、協力隊募集を見て、「協力隊に参加して国際協力したい」という学生時代の気持ちを思い出し、応募を決めました。
その後無事に合格し、2023年度の1次隊で参加に至ります。

*自分の選択を振り返って*

社会人経験3年。
教員経験は2年3ヶ月と少ない実務経験。
でも私は、このタイミングで協力隊に参加して良かったと思っています。
一番の理由は、その後の選択肢が多いこと。
帰国時の年齢は27歳。
もう一度日本の学校現場に戻るか、他の仕事にチャレンジするか、ワーホリに行くか・・・
その時何がしたいか、まだ分かりませんが多くの選択肢が広がっていることにワクワクします。
もちろん、何歳になっても新しい挑戦はできます。でもライフステージの変化で選択肢が狭まってしまうのは、否定できません。
活動中、全学年の指導経験があれば…と思う瞬間もありますが、少ないながらも指導経験があるこのタイミングで参加したことに後悔はありません。

一度きりの人生。
あの時こうしていれば・・・と後悔しないために、やりたいと思ったことには、チャレンジしていきたいです。
そして私の選択を応援してくれた家族、職場の方々には感謝の気持ちでいっぱいです。

長くなりましたが、こんな思いで協力隊に参加しています!
読んでいただき、ありがとうございました❣️


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