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失われた繋がりを求めて

10月のある日曜、お昼の福井駅。入ってきた越美北線のキハ120はその小さな車体のどこにそれだけの乗客が乗っていたのだろうと不思議になるほどの人数をホームに吐き出し回送列車として引き上げる準備をしていた。そしてその瞬間(厳密にはその数分前)、筆者はJR西日本全線完乗を達成したのである。

繋がらなかった繋がりを繋ぐ

JR越美北線、北陸新幹線の延伸に伴い他のJR在来各線から孤立した存在になることとその利用の少なさから時として存続が危ぶまれる路線だが「北」を名乗るということは「南」が何処かにあるのかと思うのはごく自然なことだろう。
越美南線は実在する路線だが、現在は長良川鉄道という名前で運行している。何を隠そう越美とは「越前」と「美濃」を繋ぐという意味であり、元々は長良川鉄道の起点である美濃太田駅から終点の北濃駅を通って岐阜県群上市石徹白を経由して越美北線の九頭竜湖駅、そして北陸本線越前花堂駅(計画当時南福井駅)に至る構想だった。

しかしこの越美線は全通するには遅すぎて、越美北線が九頭竜湖駅まで開通した時点で既に1972年となっており鉄道が既に陸上交通において絶対的な地位を喪失していた。出来たばかりの越美北線は早くも「鉄道としての使命を終えた」赤字83線に選定され、一度はバス転換が検討されたものの豪雪地帯を走ることもあってか首の皮一枚繋がり今日に至るまで走り続けている。
南部の越美南線は戦前に開通していたが、こちらも順調とは言えず結局特定地方交通線入りし国鉄の分割民営化を待たずに第三セクターの長良川鉄道として再スタートしている。国鉄バス(→JR東海バス)が美濃白鳥駅(九頭竜湖駅を目指す場合北濃駅より近道だった)から九頭竜湖駅まで連絡していたが、これも20年以上前に廃止になっている。

現在公共交通でこの2ヶ所を移動するには白鳥交通石徹白線(平日・土曜運行で1日3便、うち昼間の便は乗車1時間前までに電話予約が必要なオンデマンド便)で「下在所」停留所まで乗車、そこから9km弱岐阜・福井県道127号線を歩いて「家族旅行村」停留所から(以下追記あり)大野市営バス前坂線(非オンデマンド便は平日のみ運行・1日7便うち4便オンデマンドで九頭竜湖駅発車1時間前までに要予約)を利用することで九頭竜湖駅に着くことができる。ただし肝心の徒歩区間は冬期通行止めになる上雨によっても通行止めになる可能性があるなどかなり難儀なルートであることは間違いない。

(2024年7月15日追記)
2024年4月より大野市営バスは運行形態が変わり、上述の前坂線は廃止されている。現在家族旅行村停留所に到着するには「和泉乗合バス(1日4便・全便オンデマンド)」を利用する必要がある。
またこの和泉乗合バスは平日のみの運行で7時台の初便は前営業日、それ以外は運行時間帯の中から希望時間の1時間前までに電話で予約をする必要がある。また、このバスは小中学生のスクールバスという性格が強くその利用状況次第では一般の利用ができないことがあるので注意されたし。

そこで「南」を受け持つ長良川鉄道はここに着目したツアーを開催している。

幻の国鉄「越美線」をたどる 未開通区間をつないだバス追体験ツアー開催

【越美南線と越美北線を結ぶツアー】募集開始

同社の観光列車を楽しみ、幻となった繋がりを偲び、そして北の鉄路に辿り着く…そんなロマンある旅をしてみようと思い、気付けば予約の電話を掛けていた。

秋の空のもとでの出会い

富士山には冠雪

いやはや朝から災難だった、常磐線が線路内人立入りで遅れて新幹線に間に合わないとは。とはいえ後続の新幹線に問題なく乗ることができて名古屋駅で撮影時間が確保できそうなのでまだ良いか。飛行機に乗る旅程ではなくて本当に良かった…空模様から期待していた富士山はマフラーをたなびかせつつも早くも雪を被った山頂までを拝むことができた。

到着した特急しらさぎ
315系

ちょうど金沢からの「しらさぎ」が到着したタイミング、これもあと半年で敦賀止まりに変わるのだろう。あと2ヶ月もしないうちに全国でのダイヤ改正プレスリリースが出るはずだが、さて今度はどんな内容が出てくるか。
次いで早くも中央西線の主力に躍り出た315系、これまでの短編成を組み合わせた構成から大きく変わった8両固定のシンプルな編成が行き来するのはまだ新鮮な景色だ。

この車番は!
315系2本目

上のしらさぎだが車番を見てみると元北越急行の683系8000番台ではないか、元々「はくたか」のJR東日本分485系を置き換えるために登場したこの車両だが北陸新幹線金沢延伸後はJR西日本のフリートに組み込まれている。
そして315系はどんどん走ってくる、今後関西本線や他路線にも進出するとのことで更に身近な存在になっていくだろう。また「しなの」新型車となる385系も車体の基本的な寸法を統一するとのことでますます存在感が高まっていくはずだ。

到着した「ひだ」
反対側から

ちょうどこの後乗る「ひだ」の上りが高山から走ってきた。国内最新かつ最速のハイブリッド車両、ここまでハイブリッド車両が活躍の舞台を広げてきたというのも技術の進化に驚かされるばかり。自分がこれから乗る「ひだ5号」は4+2の6両編成で名古屋駅を出発し、岐阜駅で方向転換および大阪からの「ひだ25号」を併結して高山まで堂々たる10両編成を組み最終的には飛騨古川まで走り抜ける。使われる車両はハイブリッド構造で全座席にコンセントが付いた最新鋭ながら方向転換や分割併合、電化区間への直通など往年の気動車急行の面影を残す面白い列車だ。これで美濃太田駅まで向かう、速度は控えめだが快適な移動を楽しめHC85系のポテンシャルを満喫できた…しかしこれはぜひとも大阪発着に乗って高速運転を体験したい。

発車していく「ひだ」
ロゴマーク

前任者のキハ85系どころか更に前の特急気動車を彷彿とさせるチャイムが車内に流れるが、全座席コンセント付きの最新ハイブリッド車両というギャップがたまらない。余裕を持った走りもあって非電化特急としてはだいぶ静かで快適という第一印象となった。岐阜駅では大阪からの「ひだ25号」を連結する、そういえば4年前に乗った列車じゃないか。そうなると次回乗るのは大阪行きのひだ36号かな…

観光列車「ながら」

ここからいよいよ越美線の旅になる、まずは長良川鉄道の観光列車「ながら号」である。ロゴが多用されたエクステリアや木を贅沢に使った内装はJR九州でお馴染みのドーンデザインによるもの、今回は眺望を楽しむためのビュープランなので乗車のみとなるが沿線の食材を用いたランチが出るプランもある。

ロングシート区画
車内デザイン(下車時撮影)

列車は美濃加茂市から関市に入っていく、関市はこの「ながら」車内にも展示されているのだが刃物の名産地として世界的に有名でもあり
Sheffield (イングランド)
Solingen (ドイツ)
Seki(日本)
で「刃物の3S」として知られているとのこと。

前側を眺める
後ろ側は…
「テケ」告知板

列車はトイレが車内にないこともありいくつかの駅で休憩と交換待ちを兼ねた停車時間がある、大矢駅では比較的長い時間となり列車前側では記念撮影が行われていたが駅舎内には国鉄時代からの鉄道用品などを展示している。これが充実の内容で正直停車時間が足りないくらい、国鉄越美南線時代の時刻表や閉塞機など見ているだけでわくわくする時間だった。

長良川の上流へ向かう
更に上流へ

東海道新幹線や近鉄名古屋線からばかり眺めているのでそういった認識がこれまではあまりなかったのだが、この鉄道の沿線から眺める長良川はなるほど水の透明感が素晴らしく清流の名に違わない。なるほどこれは鮎が名物になるのも道理、今回はあいにくご縁がなかったが…

美濃白鳥駅で交換

美濃白鳥駅から終着の北濃駅はタブレット(通票)を使用した閉塞方式を今でも使用している。北濃駅からの列車からタブレットを受け取ってこちらの運転士に渡すさまはかつての常識だったが現代ではすっかり珍しい光景になった。なおマニアックな話になるがこの区間はタブレットを使用しているものの厳密には「通票閉塞」ではなく「スタフ閉塞」である。1つの閉塞区間(ここでは美濃白鳥-北濃)で1つのみの通票を使用しており、一度列車を行き止まり側に向けて発車させるとその列車が戻ってくるまで次の列車を出発させることができないのが欠点ではあるのだが、ローカル線ではあまり大きな問題ではないため意外と多くの路線で見られるシステムでもある。

単行になって到着

途中の郡上八幡駅で後ろの車両を切り離し身軽になった姿で終点の北濃駅に到着、今日の列車はここまでとなる。到着は13時頃だが宿泊先のウイングヒルズ行きのバスはあと2時間近く後のため駅付近の散策を楽しめる…のだがこの日はあいにくの雨、幸いなことに駅舎に「終着北濃駅」という食堂が併設されておりしっかり食事をいただける。

みそかつ定食

付近には道の駅が徒歩圏内にもあり本来は退屈しない、また駅構内の転車台は設置された看板によると1902年に官鉄がアメリカから輸入し岐阜駅で使用した後1934年に越美南線北濃駅延伸に合わせてこの地に移設したという由緒正しいもの。

駅舎全体
やってきた普通列車
元の改札付近から

しばらく諸々撮影し、後は持参した本を読む。予定時間より早めにウイングヒルズ行きのマイクロバスが到着し乗車すると後は急激に高度を上げて8km程度の道のりを進んでいく。なお上述の公共交通ルートでも下在所バス停に向かう途中なのでここの上り下りを徒歩でしなければならないというわけではない。

下車前に運転手さんから一言「この雨の影響で明日迂回することになるかも知れません、明日は少し早めにお願いします」。
なんてこったい、このバスのルートにそこまでのこだわりは無いがどんなルートになるのか…

客室内

ちなみに夕食はいわゆる「団体旅行のホテルでの夕食」という趣で目玉の焼肉は名物として出てきそうな朴葉味噌ではないにしてもその味には満足、ただ山奥ということもあり夜の寒さはなかなかのものだ。ベッド上段から掛け布団を失敬し早く寝よう…

いよいよ向き合う

九頭竜湖駅

快晴の朝、バスは当初の予定通りのルートを通って九頭竜湖駅に到着しツアーとしては解散となった。
ここまでの道のりはウイングヒルズからは山道を走り白山歴史街道を通って石徹白の集落の入口付近を通過(バス路線はここまで来ている)しており、そこからは石徹白川のすぐ側を走っていく。これは確かに大雨になったら通行止めなども起こるわけだ…そしてこの石徹白川は九頭竜川水系であり昨日の長良川とは真逆に進んでいく方向に沿っていくようになる。
福井県との県境はそこからすぐ近く、漁業組合の看板でそれを知ることが出来る。流石にこの付近の道路は狭く昔走っていたというバスはどうやって走っていたのか不思議になるほど、ちなみに石徹白はかつて福井県だったのだが戦後に県との問題が表面化して岐阜県群上郡白鳥町(当時)への越境合併を経て現在は郡上市となっている(一部は福井県大野市)。
石徹白ダムを一望すると公共交通空白区間はもう終わりも近く、ダムから数分で通り過ぎた家族旅行村からは九頭竜湖駅方面にコミュニティバスがあることは上述の通り。中部縦貫道がこの区間を貫くまであと数年だが、その頃にはさらなる変化が待っているのだろうか…左に九頭竜ダムを見ると賑やかなエリアに辿り着き、そこがこの九頭竜湖駅となる。

駅裏側から
表の入口には恐竜

恐竜の像があるとは流石福井を感じる、道の駅も物販が盛んに行われていたりコンビニ併設と名実とも拠点としての機能を担っているため列車で単純に往復する場合でもぜひ立ち寄ってみたいポイントだ。

電話ボックス、ただし電話機はない
白ポストがこんなところにも
近隣公園で保存されている28651号機

列車まで時間があるのでしばらく散策、8620型蒸気機関車が保存されていたりというのもあり豪雪地帯故というのもあってかしっかり屋根が掛けられきれいな状態。一般的に旅客用の「ハチロク」だがここでは貨物列車も牽引しており、この28651号機は貨物列車牽引を主にこなしつつ1968年10月に福井国体でお召し列車牽引の栄誉を担ったエースだった。

…と機関車を眺めていたら福井行きのキハ120が来た、そろそろ駅に向かおう。

目の覚めるようなラッピング
駅舎内も恐竜
ホームにも装飾
反対側は骨格

現れたのはびっくりするようなラッピングを身に纏ったキハ120-201「ディノスター号」、北陸新幹線延伸を前に沿線名物の恐竜等の化石や星空をデザインした車両だ。なんでも運行開始がこの直前のことで運行開始3日目にして遭遇出来たことになる、下調べ不足と言ってしまえばそれは違いないのだがこの出会いは楽しいものとなった。

越前下山駅

九頭竜湖から越前大野まではこの路線の中でも特に最近に造られた鉄建公団の路線なので、揺れは少なく線形も良い。特に存廃が危ぶまれるような区間でなんとも皮肉な話だが美濃太田から福井までの全線がこのような路線として造られていれば、あるいは名古屋から北陸に通じるルートとしてそれなりの存在感を示せていたのかもしれない。

完乗の瞬間
福井駅にて

九頭竜湖からは概ね座席が埋まる程度だったのだが、越前大野に着くとこれが凄まじい混雑に。ドアを閉められるかどうかというほどの混み具合となるともう1両連結してしまっても良いのではないかというほど、とはいえ本数が極端に少ないと言うのもあり輸送密度としては少ないままというのがローカル線の辛いところか。
そして記事冒頭の瞬間になる越前花堂駅到着。この越前花堂駅までが越美北線となっており、越美北線は全列車が1駅だけ北陸本線に直通して福井駅発着となっている。この瞬間をもって筆者はJR西日本全線完乗となった次第、ここからはもう半年で第三セクター移行かと思いながら福井駅に滑り込みここで乗り換え。

681系「しらさぎ」
乗車したモハ681-2001

乗り込んだのは北陸新幹線延伸に伴い名古屋・米原ー敦賀までに短縮される見込みの「しらさぎ」それも番号を見てみると元北越急行車両ではないか。昨日見た683系8000番台に続き面白い出会いとなった。
ここからは大垣まで681系の力強いサウンドをたっぷり堪能する、北陸トンネルを高速で駆け抜けるのはこれが最後になる可能性が高そうだ。車端部に席を取ったのもあってデッキから入ってくる轟音がますます愉しい。

なおこの時旅客へのアンケートが行われていた、北陸新幹線延伸についての調査だろうか。日曜にお疲れ様です…

名古屋に向かって発車
公衆電話の跡

名古屋行きの「しらさぎ」は米原で方向転換を行う、名古屋までの利用が大半ということもありこの時乗っていたほとんどの乗客は座席の向きを変える…のだが筆者は大垣までだし隣席と後ろに誰もいないのを良いことにサボった。それはそうと折返し時間で買いに行く度胸はなかったが、米原駅となると名物駅弁である「湖北のおはなし」を買いに行きたい…

樽見鉄道の気動車
クモハ311-5
モハ313-5001

軽く昼食を買い求め、しばらく撮影する。313系5000番台は東海道本線の名古屋地区の主力で、また311系は近い内に置き換えられるとされる。
ここからは樽見鉄道、ここも元々は国鉄だった路線で鉄道敷設法によると大垣から福井県大野を経て金沢に至る路線の一部だったとされる。鉄道ファンとしての注目点は比較的近年までセメント輸送用の貨物列車が運行されており、その機関車を使った普通客車列車が運行されていたことだろう。

本巣駅で乗換
高尾駅

樽見行きとされているが途中の車庫がある本巣駅で車両交換となる、樽見鉄道の車両形式はエンジン出力を指しているもので見たことのあるような数字が出ているとなるほどという気になる。うちハイモ295型は3両あるが全てルーツが異なり旧三木鉄道から譲り受けた車両もいる。

この鉄路は加賀へ?
折返し待ち
駅前広場と

終点の樽見駅は綺麗に整備されここから出るバスなどとも乗換えやすいようになっている。実はこの樽見駅、厳密には神海駅から樽見駅の区間は国鉄線だった時期が存在しない。国鉄樽見線時代は神海駅までのみでそこから延伸工事がされていたのだがそこはローカル線の哀しさ、7割方完成した時点で工事凍結となってしまった。そこで既に運行されていた区間と建設中だった樽見駅までの区間を引き取って完成させ、今の樽見鉄道線が形作られた。

大垣駅時刻表

樽見鉄道のフリーきっぷは往復に使うだけでも元が取れる設定だが、今回は商品券付きという豪華仕様。というか仮に商品券(1,500円分)を全て使い切れた場合乗車券分は100円にしかならないのだが大丈夫なのだろうか…

走ってきた特別快速
日曜夜の名古屋までは空いていた

ここからは名古屋まで特別快速、流石に日曜夜の都心部に向かおうという人は少ないのかゆったりと空いている。名古屋からは蒲郡や豊橋に向かう乗客でかなり混雑しそうだ、そんなホームを人波かき分け新幹線ホームに向かう。

やはりこのアイスクリーム

駅弁をいただきワゴンから #シンカンセンスゴイカタイアイス ことスジャータのチョコアイスをいただく。余談だが「スゴクカタイアイス」は確かに文法上は正当だがこのアイスを語るときにはそれは正当化されない。何故ならこのワードは元々ニンジャスレイヤーの「マルノウチスゴイタカイビル」に由来するもので(以下16GB分txtファイルを省略)…

オレンジ!
先頭部
ロゴマーク

〆は品川からときわ号、先日運行開始したばかりのフレッシュひたちカラー(オレンジver.)ではないか。元々この色は4連の付属編成が纏っていたものなので定期運用での単独運行はなかった、ここで思わぬ出世となったか。先日の赤以来の偶然に喜々としてカメラを向け、家路についたのだった。

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