「らしい」特急列車で行く碓氷

発端は突然に

「25日発売」

えっ?マジ…?21日頃じゃなくて…?

なんてことだ、明日は秋葉原行って鉄道雑誌やらまとめて買いまくろうと思ったのにもっとも重要な一冊がまだ買えないではないか。1年越しの鉄道ピクトリアルアーカイブス「私鉄高速電車発達史(ⅱ)」を買うことこそが至上ミッションだというのに。
この金曜日に仕事を終えて気づいた事実、まあ現地に行って気付くよりはマシだがさて明日行ってもしょうがないなこれは…どこか乗り鉄でもしようか。この考えに至るのに数秒も要さなかった。

さてそれならどこに行こうか。最初考えたのは「魚食べに行こうかな」だった、そうなると沼津か房総か。どちらも行けば確実に満足できる場所だ。朝食も抜いて電車に飛び乗り目的地に着いてオススメのメニューなどを見比べて旨い丼をかき込む、これこそ現地に訪れる旅の楽しさの一つだろう。いやいや、飛行機延々と眺めるのも捨てがたい。朝から夕方まで成田空港で飛行機見ていようか、羽田空港でもいいな。最近は渡航制限も大きく緩和され国際線の本数もだいぶ戻ってきた。便数が多く主要なエアラインの集う羽田空港か、あるいは多様な会社の色とりどりの機体を見られてLCCや貨物便など多様性に事欠かない成田空港か。それとも秩父に行ってSuicaで秩父鉄道乗ってきてわらじカツでも食べてくるか、西武秩父線はラビューまだ乗ったことないし4000系だってじきにサステナ車両に置換えられてしまう可能性が高い。秩父鉄道が増発された姿も見てみたいので遠からずまた行くとしてさあどこに…

えっ文化むらのオハネ12が塗り直された…?何これ綺麗…そんな書き込みを見つけ、めでたく確定。

そうだ、横川、行こう。

由緒正しき「幹線特急」

横川に行くとなると野田線沿線の筆者の場合、大宮経由で高崎に向かい信越本線に乗り換えるのがファーストチョイスだろう。基本的に選ぶ要素というと高崎線の普通列車かあるいは新幹線、もし時間が合うなら在来線特急列車に乗るかもしれない程度になるか。過去碓氷バスで軽井沢に出て新幹線で帰ったこともあるがこれもなかなかのマイナーチョイスだろう。

では私はどうしたか、春日部駅に降り立った。

ホームを渡って見る野田線
奥に見える11267F

ここから東武動物公園駅に移動、お目当ての列車がやってきた。

入線したりょうもう号

特急「りょうもう」号、赤城行きの列車で太田まで向かう。この列車こそ今回の最初の目玉である、使用車両は200系。引退が始まったもののまだまだ日々浅草と伊勢崎・赤城を結んでいる30年選手である…のだがこの車両の歴史はさらに長い。更に30年ほど前の昭和30年代中盤に当時の東武特急に対する最大のライバルである国鉄日光線電化に対抗するために投入された1720系(+1700系)「デラックスロマンスカー」の機器を使用して製造された車両なのである。
かつてノンストップで日光へ駆けたサウンドで北関東へひた走る、考えようによってはここまでの贅沢な時間もそうそうない。小気味良い「特急電車らしい」直流モーター音を楽しめる特急は関東でもあまり残ってはいない。常磐線を変えた651系も少し西の高崎線に残っていたのだが先日ついに逝ってしまった今日、近郊型と一線を画したサウンドを聴ける特急というだけで愛おしい気持ちをもって車内での時間を愉しみたくなる。勿論近郊型のような力強い音で駅を飛ばしていく特急電車もそれはそれで楽しい時間を満喫できる、西武の特急小江戸などこれといった目的が無くとも是非乗りたい列車である。
それにしても新鋭の500系「リバティ」は着実に増備が進んでいる、快適な時間を提供してくれる良い電車ではあるけれど200系に残された時間はさほど長くはないだろう。伝統的な特急電車らしい特急電車を楽しみたいならば少しでも早く乗るべき電車なのではないだろうか。日光への激戦を偲びつつ根津嘉一郎が未来を信じて伸ばした鉄路を駆け抜けているとえも言われぬ時間を感じられることだろう。
館林以北の単線区間もいかにも「地方幹線の特急」という趣だ。交換待ちでリバティを待ったりりょうもうが脇を駆けていったり、全線複線の日光線系統では下今市以北の鬼怒川線方面でゆっくりと走るのみの単線だがこちらでは駅をいくつも飛ばしていく特急らしい特急として単線を走っていく。停車駅でもない駅で運転停車するのもいかにも「らしい」時間だ。

…停まったと同時に選挙カーの連呼が流れてきたのは、まあご愛嬌といったところか。

前パンと前パン

初夏の文化むら

211系ローカル列車を乗り継ぎ目的地はここだ、信越本線は横川の碓氷峠鉄道文化むら。初夏の日差しと新緑が眩しい。

明るい新緑に佇む
顔を見せる感じで

駅を出て一気に向かうは車両展示、塗り直されたオハネ12のみならず他の車輌も碓氷峠と直接は関係なくとも個性的で魅力的なのがこの施設の良いところだ。おそらく現役時に通過したことは無かったであろうとしても10系軽量客車が3両も保存されているというのは代えがたいポイントである。この軽量客車というものが碓氷峠にどれほど貢献したか、扱いづらい車両であったともいうがその貢献は更に注目されてもよいだろう。

オハネ12をデッキ側から
洗面所側から

まず今回の目玉たるオハネ12、塗り直された姿が美しい。

発電ユニットと燃料タンク
発電用エンジン

グリーンマックスの客車キットを組もうとするとき幾度となく見るような床下機器を堪能できる。
なんでもこのオハネ12は近いうちに宿泊施設として供用する方針だそうな、快適性はまあともかくとしてスハネ30以来の「純正な『ハネ』」の面影を遺した車両で眠り、朝を迎える。聞いただけで文字を見ただけでわくわくする響きではないか。一度歩みを止めたこの車両が再び歩み出し、一体どんな物語を紡いでくれるのだろう。

碓氷峠の「お決まり」?

文化むら滞在を終えて帰ろうとする前に腹ごしらえだけはしておきたい。少し歩くと「おぎのや」のドライブインがある、誰もがまず思い付く定番だが定番には定番になるだけの理由がある。地上のレストランならではということで汁物を付けていただく。

峠の釜めし with なめこ汁

信越本線の駅弁というとそもそも起点の高崎駅からしてだるま弁当で名高い高崎弁当がある。そこから普通列車で30分そこそこのこの横川駅もまた全国的に有名な駅弁を擁する。そうなった経緯こそこの地の特異性を雄弁に物語っている、まるで関所を思わせる補助機関車が必要な区間、それによって義務的に発生する長時間停車、長い移動時間で空いてきた胃袋、開いた窓から駅弁を買えた時代。純粋な弁当としての魅力だけでなく鉄道の歴史を凝縮したような物語もまた峠の釜めしの魅力を成しているのではないだろうか。

でもやっぱり新幹線は好き

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