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芸術に対する考え方が揺らいだ日

初めに


今年の春休み私は、上野の国立西洋美術館の「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」という展覧会に足を運びました。

内容としては、性的少数者・身体障がい者・在日朝鮮人・路上生活者などの普段は決して日の当たらない人達を題材としていて、とても刺激的で興味深くて「芸術ってなんなんだ?」ってなるような展覧会でした!

今回は、印象的だった展示を3つに分けて書いていきます。ぜひ最後まで読んでいってください!




絵というドキュメンタリー

1つ目が路上生活者に関する展示でした!この展示では、ある1人の路上生活者に焦点を当てていました。

その人の人生についてのインタビューその時の様子を描いた絵を交互に見るといった形で、絵を見るというより1つのドキュメンタリー作品を見たような感じがしました。

その人の幼少期から路上生活者になるまでの過程。その後の仲間との出会いから、最期まで紹介されると同時に絵として描かれていました。
全くの他人なのに感情移入してしまい、最後まで見たときは何とも言えない感情を抱きました。

パープルームで受けた衝撃

2つ目がパープルームという展示です!パープルームとは正式名称「パープルーム予備校」で、美術の制度や教育の問題に切り込む活動を展開している団体です。こちらに詳しく書いてあります。

展示の部屋自体が他から独立していて、中に入ると作者の強烈なメッセージと共に「これは芸術なのか?」と思わせるような作品が多くありました。
そんな疑問を持った私は展示を見ていく中で「それが芸術かどうかは誰が決めるんだ!何だって良いだろう!」というメッセージを受け取りました。

大学の授業でも「優れている芸術というのは、その時の権力が決める。だから、目の前の紙コップはゴミにもなるし、権力者が認めれば芸術作品にもなりうる」という話を思い出しました。

パープルームの展示を通して、芸術聞くと華やかな有名な絵画を思い浮かべていた私にとって、この展示は芸術に対する考え方が揺らぐモノになりました。

分からないを楽しむ

最後は展覧会全体を通しての話になるのですが、「分からないを楽しむ」という感想を持ちました!
今まで偉そうに展覧会について書いてきたのですが、正直難解な絵があったり、何を表しているのか分からない展示も多くありました。

そうした作品を目にした時に分からないからと言って、思考を放棄するのは簡単です。ただ、それが何を表そうとしているのか・作者は何を伝えたいのかを考えることが、芸術作品を鑑賞する楽しみだと思います。

今回の展覧会はいわゆるマイノリティにスポットを当てたもので、芸術のジャンルとしては曖昧だったからこそ、「分からないを楽しむ」ことが出来ました!


終わりに

ここまで読んでくださりありがとうございました。
今回の展覧会では、普段目にする芸術とは一線を画す展示が行われていて、とても良かったです。
展覧会は5月12日まで開催されているので、この記事を読んで少しでも興味を持った方は、ぜひ足を運んでみてください!
それではまた!


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