岸部露伴から学べること

人間の生きる意味とは何なのだろうか?という人類における最大の命題ははるか古代から検討され続けられている。その問いの答えに近づく「生き方」が岸部露伴から学べる気がした。

「だが断る」等の名言で有名な岸部露伴とは、荒木飛呂彦原作のジョジョの奇妙な冒険第四部に登場するキャラクターである。彼は天才漫画家であり、漫画に「リアリティ」を生み出すためにはどんなことでもやってのける人物像をしている。

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スピンオフ作品である「岸部露伴は動かない」では、彼の好奇心の強さと体験したことを漫画にしたいという強い意志が如実に描写されている。例えば「六壁坂」という話では、ある土地で噂されている事の取材のためだけに山を購入し、破産したというエピソードが描かれている。

そんな彼から学べる「人生観」とは何なのだろうか?

「百聞は一見に如かず」

―『味もみておこう』『なるほどクモってこんな味がするのか』

岸部露伴は漫画にリアリティを出すために「好奇心」に従い様々な体験をしていく人物だ。彼は漫画を全ての行動原理に置いているが、それを我々一般人の視点から見ていきたい。

彼のいうリアリティは何も漫画だけに限ったことではなく、自分自身の人生にも当てはめられるはずだ。例え話を一つしよう。実際にサソリを食べたことのある人と、食べたことがなくネットの知識はある人の話だ。食べたことのない人はこう言った。「サソリはエビやカニと同じ成分でできた甲殻を持つから食べれないこともないけど、すごく固いらしいからあまり食用には向いていないらしいね。」そして食べたことのある人はこう言った。「サソリの殻はものすごく固い。味自体はエビのような感じだけれども何よりあの固さがだめだ。一緒に食べた友人は嚙み砕いた弾みで口の中を切ったし、胃に殻が刺さって顔が真っ青になっていたよ。かくいう自分も口の中を切ったけどね。だからあまり食べないほうがいい。」これは実際にあった会話で、私自身の話である。私がサソリの食レポをしたときの話と、その話を聞く前に言っていた友人の話を記述した。

どう感じただろうか?あくまで局所的な話ではあるが圧倒的に「リアリティ」があるのは実際に食べた体験をしたことのある人の話ではないだろうか。具体的な描写を挟めることによってその人の話をより現実味があるものに仕立てあげてくれている。そう、何よりも「体験する」ということがその人にリアリティを与えてくれるのだ。

「好奇心」に純粋であるということ

―『おもしろいマンガ』というものはどうすれば描けるか知ってるかね?

『リアリティ』だよ!

『リアリティ』こそが作品に生命を吹き込むエネルギーであり

『リアリティ』こそがエンターテイメントなのさ

次に「好奇心」の話をしたい。我々が日々過ごしている際に起こす行動は何を原因に、何を目的にしているだろう。

アドラー心理学の話を交えたい。人々の行動には原因論と目的論という考え方がある。原因論とは、「結果にはすべて原因がある」とし、今の自分の状況は過去の行動によって決められるというものである。そして目的論とは「今自分が置かれている状況は、自分の目的を達成するために自分が選択した結果である」という考えだ。

この目的論的な考えに「好奇心」というものを付け加えると、さらに人生が豊かになるのではないだろうか。「私は好奇心に従い答えを求めるために今の自分の状況を作りだした」という考えだ。人間の行動原理の大部分は「好奇心」が占めている。何かをしたい、こういった仕事がしてみたい、あの人のことがもっと知りたい、、、etc. 行動を起こす前、体験をする前、すべてに置いて前提には「好奇心」がある。その「好奇心」に純粋であれ、ということだ。

「好奇心」がなければ行動は起こせない。しかし人間たるもの大小に関わらず「好奇心」は少なからず持っているはずだ。人間関係、仕事、勉強、探していけば一つくらいあるだろう。その「好奇心」を大切にしていってほしい。そしてその「知識欲」を満たせたときにこそ人として「リアリティ」が生まれる。

そしてその行動には自己顕示欲が伴ってはならない。他人の評価を気にしていては本当の「好奇心」とは言えない。誰々に褒められたいからこうしよう、もっと認めてほしいからこうしよう、という風になってしまってはダメだ。それは他人が起点となっており、自分自身の本当に持っている「好奇心」が原点となっていないからだ。他人によって無理やり形成された行動原理は果たして「リアリティ」を生むのだろうか?岸部露伴はこのようなセリフを残している。

―この岸辺露伴が金やちやほやされるためにマンガを描いてると思っていたのかァーーーーッ!!

だらだらと書き連ねてきたが、岸部露伴は「好奇心」に基づく「体験」によって漫画にリアリティを生み出している。そして人間が生きていく上で一番必要なのは人間としての「リアリティ」である。それは誰に誇示するでもない、ただの自己満足であってもいい。今抑圧された人生を送っている人も岸部露伴のように「好奇心」に純粋になって「行動」を起こしてみてはどうだろか。そして行動を起こした際には、目的として「知識欲を満たすため」と考えれば、自分の置かれた状況にも納得がいくだろう。

「リアリティ」のない人間はつまらないものだ。話の内容は聞いた話をそのまま話しているだけであり、何より中身がない。ここでいう中身というのは話の内容ということではなく、厚みのことだ。実際に体験していないことをいくら取り繕っても薄っぺらい話となってしまう。人間が生きる意味とは畢竟ここの部分にあるのではないだろうか。自己満足でもいい、自分の人生に厚みという「リアリティ」を生み出すため、日々「好奇心」に純粋であり「体験」をやめないということだ。

自分自身もこれからの人生、できる限り自分の「好奇心」に従い「体験」をし続けて生きたいと思う。


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