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先輩に言われたこと、38歳転職のとき

大げさに言えば、誰しも人生の転機のときに巡り合った先輩の言葉は、記憶に刻まれ時折思い出す。思い出すたびに、その言葉の背景への思考は深まることは、年齢を重ねることの楽しさの一つだろう。
「そうか、先輩の言葉にはそんな意味があったのか」。
 
今になって思うと38歳のとき「無知は力なり」と2回目の無謀な転職をした。当時の世間常識では転職定年は35歳ぐらい、35歳を過ぎると新聞の求人広告はほぼ消えた(今では想像できないが、当時は新聞が求人広告の有力媒体だった)。
30歳ころの第1回目の転職と違って、後がないと不安でいっぱいだった。そんなときに、先輩からかけられた言葉が長く記憶に残っている。
 
若い人に頭を下げられるか
多少仕事の経験を積みそれなりに仕事スキルが身についていても、新しい組織でそれがそのまま通用することは絶対にない。どんな組織にも独特のお作法やローカルルール、組織文化があるので、若い先輩に教えを乞う必要がある。
 
また、仕事に必要な新しいスキルや情報に慣れるのは若い人の方が圧倒的に優れている。自分ができないことや知らないことは、素直に教えを乞うことが不可欠。これができないとどんなに優れて能力のある人でも、組織のなかでは生き残れない。
 
その後の長い経営コンサルティング活動のなかで、身に染みて分かったこと。
前職の経験やスキルに依存し、新しい組織の先輩に教えを乞うことができない優秀なキャリア採用者。新しい組織に馴染めず、結局2年目を迎えることなく、その会社から消えてしまうケースにたくさん出合っている。
 
「若い人に頭を下げられるか」が先輩からの言葉だった。
 
3年ぐらい死ぬ気で働け
仲間に認められるには個人の生活を犠牲にしても、100%組織のために人一倍働きそれなりの成果を早期に上げることが求められた昭和の時代。早期に成果を上げると、組織の中では信用と信頼を獲得し、次の新しいチャンスが巡ってくることになる。
 
今と異なり、昭和の時代なので度を越したハードワークが推奨された。経営コンサルティングの現場で出合った、令和の今なら完全にアウトの実例をいくつか紹介しよう。
 
風邪で1日休んだ同僚に対し、「1日で治るような風邪で会社休むかなぁ」などと言う、ビジネス人は世の中には実在した。同じように健康診断結果で問題がなく正常の場合、「仕事してるんか」と言い切る管理者も存在した。
アフターファイブのおつき合い、深酒して帰宅しても翌朝は”這ってでも出勤しない”と、信頼感を失うことも。令和の今なら、アフターファイブのおつき合いも常識的になり、過度の飲酒は推奨されていない。
そんなモーレツなハードワークというより、会社員生活100%の時代だった。
そんな時代に先輩に言われたこと。
 
「新しい会社では3年ぐらい死ぬ気で働け」だった。
 
3年ぐらいという期限付きなのがミソで、組織に受け入れられさえすればそれなりに甘い居心地のよい会社員生活になることが多かったわけだ。
 
転職できるうちが華
転職が今ほど一般的ではなかったが、新しい会社や成長している会社では転職者を受け入れていたのは事実。
伝統的大手企業では、38歳という年齢は何回目かの目に見えない幹部社員選抜が終わっており、そこに入り込むのはほぼ不可能だった。
 
そんな時代背景のなかで、先輩が言った言葉。
 
「転職できる、新しい所に移れるうちが華」、「そのうちどこにも移れなくなる」、と言われ、転職できる最後のチャンスを精いっぱい生かそうと思っのを時々思い出す。
 
 その22:2023/03/14

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