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明日死ぬとしたら

明日死ぬとしたら何をする?

よくある問いだ。
目にするたびに私も考える。
家族や友達に会いたいかもしれない。
でも感傷に浸ってしまうのは怖い。離れ難くて、次の人のところに行けないことも容易に想像できる。

自分の痕跡を消す?
たとえば日記。
中学生の頃のが残っているけど、あれらは全部捨てたい。誰にも見られたくない。でもちらっと見るとごく稀に良いことが書いてあったり、大人になった今では思いつかないことが見つかったりするので捨てられず、ずるずると捨てられずにいる。たしか1冊くらいは、良いところだけ抜き出してWordに書き写して捨てた。作業が面倒すぎてそれ以来進んでいない。
あれが他人の目に触れるのは恥ずかしいしなにより我ながら性格悪い。あの頃はこんなに性格悪かったんだ!?とびっくりすることばかりだ。書くばかりでなく、口に出すことで周りを傷つけていなかったか恐ろしくなる。

たぶん、おそらく、まちがいなく、人を傷つけてきたに違いない。そして私もまた傷ついていた。
言葉によって人を傷つけ、また傷つけられもしてきた私が書くことを志してもいいものだろうか。

最後の日にはなにをするだろう?という問いをそっちのけでそんなことを考える。
要するに、いつくるかわからない未来を考えることには向いていないらしい。明日とせいぜい数か月後を考えるので精一杯だ。

2024.6.23

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