「死刑について」平野啓一郎 読み終わり 読書記録

この本は死刑廃止シンポジウムの時の講演会を再構成して書籍化したものだそうです。

平野啓一郎さんの作品は実はそんなに読んでいなくて、唯一かなり前ですが「決壊」という作品を上下巻で読みました。内容的にも量的にも、とってもヘビーだったのを覚えています。

実は、この「死刑について」の中でも、「決壊」の内容が結構出てきます。小説の中では徹底的に被害者の視点で書いて「『人を殺すことがなぜいけないのか』という、単純ながら根本的な問題についてとことん考えました。」とありました。

しかし、この小説を書き終わって、死刑制度はあるべきではないと強く感じたそうです。もともとは死刑存置派だった筆者がヨーロッパの人たちのリベラルで寛容な考え方に触れるにつれ、それまでの積極的賛成論者とまでは言えないが「やむをえない」というあやふやな考えから、はっきりと死刑制度に反対する立場になった、ということでした。

この「決壊」で被害者側に着目するきっかけになったのは、ヨーロッパの文学では、加害者を主人公にした傑作はたくさんある、と。『罪と罰』『異邦人』『冷血』などです。

これは、欧米では宗教的な背景から、加害者をどう社会的に受け入れるかということを、文学の中で描いていく伝統があったそうです。しかし、被害者はというと、あたかも存在していないかのように扱われているのではないか、という思いから、被害者の側に注目した作品を書きたかったそうです。  

これがきっかけにはなりましたが、なぜ死刑に反対なのか、と理由はいくつか挙げられてました。中でも、警察が完璧ではない以上、冤罪を生む可能性があると言ってたのが、恐怖を感じました。

「飯塚事件」と呼ばれる事件は、実際に冤罪の可能性がある中で、死刑が執行されました。

自分自身の考えと言っても安易に語ることはできませんよね。平野さんの仰ってることもわかるし、被害者の立場になれば…。でも、最後の方で平野さんは「死刑をめぐる議論は、この国と社会をどのようなものにしていくかという深い議論につながっていく問題だ」と。つまり、死刑になるから人を殺してはいけない、という抑止力よりも、「人間が人間を殺してはいけない」という絶対的な禁止として捉えるべきだ、と。日本に昔からある「死んでお詫びします」のような考えが当たり前ではなく、被害者の心に寄り添った議論をするべきであると。

余談ですが「決壊」を読んだのはかなり前のことになります。そのときは心理描写などが複雑で、難解だったという記憶しかありません。京都大学の法学部出身と知って、頭がいいんだなー、私はだめだ~となりました。

それ以来平野さんの著書は避けてきたのですが(ごめんなさい🙇)この本は話言葉を文章にしているので、とっても読みやすかったです。映画化された「ある男」についてもこの本の中で触れられているので、読んでみたくなりました。


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