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【エッセイ】相性よりも運命よりも強い力を持つもの。

パストライブスを鑑賞した。
韓国語のイニョンという単語は、日本語で、『縁』『運命』という意味を表す。

ナヨンとヘソン。
強い絆で結ばれた2人は、ナヨンの家庭の事情で離れ離れになる。
ナヨンは劇作家になり、12年後に2人は再会。
それまでの時間と物理的な距離を埋めるように電話やテレビ電話で会話を重ねる。
アメリカと韓国。時差も距離もある土地でそれぞれの生活があって簡単に会うことはできない。
ナヨンはヘソンへの想いを募らせるほどに苦しくなっている自分に気づく。
『ひとまず連絡を取ることを辞めたい。』
ナヨンの申し出に納得できないヘソンだったが、会いに行くことができない状況もあって、一年後にまた連絡を取り合う約束をして会話を終える。

その後、ナヨンは作家の勉強のためアーティストプログラムに参加し、結婚相手、アーサーと出会う。

2人が交わした一年後の連絡は果たされることはなかった。

それから12年後、2人は再び連絡を取り合い、ようやく直接の再会が実現する。
ナヨンは結婚し、ニューヨークに在住していた。

ヘヨンの気持ちやナヨンの気持ちは直接的に話されることはなく、客観的に物語は進んでいく。
ただ、2人とも現実から逃れることはできず、人生の流れに流されて生きている。これでいいんだと思いながらやるせなさを抱えている。

2人が叶わなかったデートをし、電車の中で見つめ合うシーンは言葉を交わさずとも2人が想い合っていたことは明白だった。

ドラマチックな展開にするのであれば駆け落ちなどでナヨンとヘソンを繋げてしまえばいいが、それをしない。そこがリアルで。ナヨンにはもうアーサーがいる生活があって、自分の生きるべき道も確かで、『あぁ現実考えたら難しいよな。後悔を抱えて、現実に納得して生きていくしかないんだよなきっと。』って。ズンとなった。

劇中、『もうあの時の少女はいないけど貴方のもとに少女を置いてきたの』
という言葉が印象的だった。

置いて行かれた方と置いていった方。
一方は理想の中の人をひたすら恋しく思いながらも生活をこなしていく、もう一方は自分のやりがいを探究し、現実を見て生きていく。いつか忘れられることを願って。

お互いの道が分かれて、新しく出会うべき人と出会い、縁が紡がれていく。

タイミングが合った瞬間があったのは確かだし、相性が合っていたのは確かだけれど、離れている時間で形成されたお互いでは、もう一緒にいることができなくなっている。

ずっと相性が合う人はいないのかもしれない
日々変化する人間同士が互いに思いながら一緒に入れることは本当に奇跡だ。

現実はドラマみたいにはいかない。
駆け落ちなんてないし、ドラマチックな結末もない。

日々の取り止めのない日常の中での縁に強い影響を受けて進んでいく。

日々出会うべく人に出会って、それなりに紡いで、進んでいく。
強烈な運命を感じる瞬間があっても、私達はドラマの中を生きているわけではない。

人生ではタイミングが合うということが最も重要なのかもしれない。もしかしたらそれは相性の良し悪しよりも時には重要なのかもしれない。

私にも何人かいた。
ずっと一緒にいたかった人。
でも、その人はもう会うことはなくて、きっと会ったところでもう一緒には居れないのだと悟るんだろうな。
やるせなさと共に、日々の中巡り合う『イニョン』を紡ぎ生きていく。

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