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5thシングル「桜月」の曲調予想と、あまりにも不完全なアー写について

「桜月」と題した我らが守屋麗奈さんセンターの5thシングルは、おそらく五月雨よに続いて和歌に着想を得た曲になるんじゃないか、そんな推測を立ててみた、という話です。
昨日1月4日に櫻坂46の5thシングルのタイトルと同時にアー写も解禁され、そこからだいぶ全貌が見えたように思います。

メンバーの顔がクリアに見えて、これはこれでかっこいいかも

まず5thのアー写は、これまでの独特の宗教画めいた雰囲気のものから様相を変え、カラフルかつ鮮明で、クリアな描写の写真となりました。
特に直近の1stアルバムの「As You Know」のアー写との違いが凄かった。グループのこれからを指し示す設計図、という意を汲んだ「青写真」というテーマで作られた結果、まるで葬式の写真のように暗い出来になってしまったので、その差に驚いた人がほとんどだったよう。これまで全員がほぼ同じ衣装を着ることで保たれていた統一感も崩れ、5thではメンバーそれぞれが全く異なる衣装をまとって思い思いに舞う様子は、これまでの静謐な印象から、躍動感のあるものへと変化しました。
この変化にネット上では相当数の賛否両論が飛び交っていましたが、趣味は人それぞれなので、ここではその良し悪しの議論はしません。
強いて言えば、メンバーのお顔がしっかりと見えるから素晴らしいし、個人的に初めは「ちょっとダサいかも…」と思っていたけれども、見慣れるにつれて「あれ?…もしかして…格好いい…?」ってなっているので、まあ人の好き嫌いなんて大してあてにならないものだなぁと。
少なくとも何も議論が起こらないよりは全然いいと思いました。

現代版和歌である「五月雨よ」

だいぶ脱線してしまったので、ここで本題に戻りたいと思います。5thシングルの曲がどんなものになりそうかということについて。
4thの「五月雨よ」は、溢れ続ける恋心をやまない雨に例えて歌ったものですが、これなんかまさに和歌の作詞手法そのもの。多分どこかで別の誰かも同じようなことを書いていたと思います。しらんけど。
そもそも五月雨は、和歌や俳句の題材として多くの歌人が歌っているテーマでもあって。最も有名なものが多くの人が学校で習うであろう松尾芭蕉の「五月雨を 集めてはやし 最上川」とかでしょうか。
これは長く続く五月雨のせいで最上川の流れがめっちゃ早いという情景を歌っているものでこれに倣って五月雨を使う短歌は五万とあります。
そこでは五月雨は「だらだらと続く結果、それを集めるとものすごい量になってしまう」みたいな表現として使われることが多かったりするようです。

一方、この言葉を恋の歌として使うと
おほかたに さみだるるとや 思ふらむ 君恋ひわたる 今日のながめを 
(あなたはこの雨を普通と変わらない五月雨だと思っているのでしょうか。あなたを想う私の恋の涙であるこの雨を/「和泉式部日記」和泉式部)」
のように、なかなか止まない雨を、なかなか逢えない恋人に重ね合わせてみたり、
我が宿に 雨つつみせよ さみだれの ふりにしことも 語りつくさむ
(どのみち外に出られないなら、私の家にずっといらっしゃい。梅雨の雨の降る中、もう古くなってしまった昔話も、積もる話を語り尽くそう。/「うけらが花」/橘千蔭)」
みたいに、長雨をいいことに恋人を引き止めようとしたりと、結構女々しい歌になることが多いのです。

「五月雨よ」は、冒頭の芭蕉の俳句のようにどんどんと想いが募るも、一方でこの女々しさを継承したグダグダしてはっきりしない感じを歌った、いわば現代版の和歌なのですが、その和歌路線を仮に「桜月」が継承したらどうなるのか、ここからがその予想です。

れなぁ=尼歌人

「桜月」というタイトル、そして今回のアー写の世界観、これの両方の接点を探した時に浮かび上がるのが、大田垣蓮月 という、江戸時代末期に活躍した尼僧で歌人です。
この人、尼ではありましたがめっぽう美人で有名だったらしく、その美しさを一眼見ようと押し寄せる人々にうんざりして、わざと醜くなるために歯を抜いた、なんて噂話まで作られてしまったとか。とんでもない美人という文脈では我らがれなぁさんと重なる部分がありそうですが、実はこの方がまさに「桜月」をテーマにした歌を歌っています。それが次のようなもの。

やどかさぬ 人のつらさをなさけにて 
おぼろ月よの花の下ふし

(一晩の宿を貸してくれない人の無情を、むしろ思いやりとして、
朧月夜の桜の花が散っている下で野宿するのである。
お陰で夜桜と朧月が綺麗であった。 )」

これをれなぁさんに重ねて見ると、以下のようになるかと。
一旦は坂道に入れてもらえなかったその無常を、むしろこれからの糧にして、
欅坂散り櫻となったグループの下に宿ったのである。
お陰でこうして美しく咲き誇れたのであった

と、このように、江戸時代の尼歌人のメンタリティを現代の女性の気持ちに置き換えて、もしかしたらやすすは歌を作るんじゃないかなと思ったりするのです。

蓮月はこのほかにも桜や月をテーマにした歌を歌っていて、
「うらやまし心のままに咲きてとくすがすがしくも散る桜かな
(羨ましい。心のままに咲いて、早速、ためらいもなく爽やかに散る桜であるよ)」
きっとれなぁを主人公にしたら、心のままに咲くのは同じでも、躊躇いなく爽やかにしがみつき「咲き誇り続ける」ことを選択するんじゃないでしょうか。

「願はくはのちの蓮の花のうへにくもらぬ月を見るよしもがな
(願わくば、極楽往生したのち、蓮の花の上で、曇ることのない月の光を見る手立てがあったなら)」。ちなみにこれは睡月の辞世の句。
これを今のれなぁに当てはめると、欅期から転生して生まれ変わったのち、蓮の花となり曇ることのない月の光を見る、そんな力強い歌になるはず。
そして今回のアー写。月の光にはっきりと照らされて軽やかに舞うメンバーと、そこに仁王立ちするれなぁが乗るのは、桜の花びらかとも、もしかしたら睡蓮の葉とも取れる造形の何かじゃないですか?

こんな感じで結構いろんな偶然が重なって蓮月とのいろんな共通点がありそうな今回の5th。そこにインスパイアされたものだとしたら、慈悲深く叙情的な蓮月の価値観を踏襲しながらも、でもれなぁさんが歩んできた力強く情念溢れる感情に基づいた歌なんてことになるんじゃないかと思ったりしました。

まあ、これまでの櫻坂のシングルのアーティスト写真は歌の内容とは関係なかったりしたので、今回も歌詞内容や曲そのものとは関係ないという可能性も十分あると思うのですが。チョコレートを歌ったバカみたいに明るいテクノポップかもしれません。でもそれはそれで聞きたいかも…

今回のアー写は右半分。左半分は3期生?

ちなみに余談ですが、今回解禁されたアーティスト写真には、実はまだ完成ではなくて、続きがあるように感じてならないのです。
というのも、このタイミングで発表されてこの手のアーティスト写真には、文字要素やグラフィック要素が入ったことがありませんでした。にもかかわらずそれが今回入っているのには、もちろんなんらかの意図があってのことだと思います。
また、renatalkで我らがセンターさまは「詳しくは話せないが、また解禁される」というだいぶ意味深なことをおっしゃっていて。MVとかいろんなものがこれから解禁される、という意味にも取れなくはないですが、「アー写の追加解禁がある」という意味にも取れるわけです。
で、このアー写、実はまだ完全ではなくてロゴやテキストは入れる途中。置く場所だけを示唆しているのでは。そして一番左の部分をよく見ると、これ「R」の文字が入っていませんか?

一番左の半円と、そこからつながる下の斜め線は、Rに見える気がする。


「SAKURAZAKA 46」の「RAZAKA 46」がこの写真には入る予定で、ということはつまり「SAKU」の部分がどこかに抜けているとも考えられるかなと。
そしてその欠けている左側の部分はもちろん3期生が来るべきところ。もう1枚の桜の花びら(睡蓮?)に乗った3期生が左側から合流する、そんなことも考えられそうな気がしています。


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