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  <連載小説> 沈み橋、流れ橋

―明治・大正・昭和 一族三代のものがたり―


第1章(9)

「もう昔の時代やない。けどな、ここに残ってわしを見張っといてくれ」
 世が世ならとっくに暖簾分けをして別の屋号で店を構えているはずの近江屋大番頭、佐助は、新しい商売には今ひとつ自信がなかったものの、丁稚の時代から仕込んできた駒蔵にそう懇願されて、新会社「正栄社」の幹部として残る決断をした。こうなったらこの会社の行く末、どこまでも見届けてやろやないかい、という気になっていた。
「佐助はん、なんや思う?」
 ブラジルに輸出する竹製品について、丁稚たちがああでもないこうでもないと額を寄せ合っているのにしびれを切らしたらしい駒蔵に、急に答を求められて、
「そうでんなあ。こっちは冬であっちは夏。夏に必要なもんゆうたら、スダレでっか?」
 と、自社主力製品を口にすると、駒蔵は、そや、さすがやなあ、佐助はんはなあ、と感心して相好を崩した。
「なんや、スダレか」
 丁稚たちは口々にそう漏らすと、誰も行ったことのない季節も反対の国に、うちの簾がどうやって運ばれて行くんやろ、どないな風にあっちの人らが使うんやろか、などと想像して楽しんでいる。その様子に、駒蔵はさらに顔をほころばせた。社員たちとともに新商売への期待に胸躍らせていたのだ。貿易、という商売を思うとき、駒蔵の脳裏にはいつも、神戸居留地の向こうに広がっていた海があった。ブラジルへの初荷を送り出す際には、社員全員を大阪港に連れて行った。そして岸壁を離れ、遠い海原に向けて蒸気を上げる貨物船を、みんなで手を振って見送った。
 貿易事業は予想以上にうまく進んだ。日本製の上質な竹が夏のブラジルで有り難がられ、日本で冬には売れない簾に次々と注文が入るようになった。それ以外にも夏に使う竹の衝立や、行李やざるの類もどんどん輸出した。ちなみに日本政府の移民政策が始まるのはまだ少し先、明治四十一(1908)年のことである。

 事業が軌道に乗ると、ついに「近江屋」の看板が「正栄社」に架け替えられる日が来た。それを機に、駒蔵は目と鼻の先の曽根崎一丁目に製造工場を新しく作った。正栄社副社長となった佐助の一番の心配事は、齢三十を越え、相変わらず新地通いが止まない駒蔵を、そろそろ落ち着かせねばということだった。
 実際、駒蔵が二十四の時から通い始めた新地のお茶屋には、何軒か馴染みができていたが、特にこのところ足しげく顔を出すのが「京縫きょうぬい」というお茶屋だった。新地の中心からはちょっと外れにあり、取り寄せる料理も手配する芸子も、それほど質が高いわけではない。むしろあまり高級な客を相手にする店ではなかった。駒蔵の理由はただ一つ、女将、正しくは、女将を最近継いだばかりのこの店の娘に、ぞっこんだったのである。
 長年店を切り盛りしていた女将は、つい先ごろ、流行病で急逝してしまった。京縫は代々、女が継ぐものと決まっていたので、まだ十八だった娘の千鶴ちづが次の女将を務めることとなった。
 千鶴は女将の実子ではなく、養女であった。父は医者の家系、母の実家は寺子屋を経営していたという堅実な家に生まれた千鶴を、曽根崎新地のさして裕福でもないお茶屋に養女に出すようなことは、当時それほど珍しくもなかったようである。家の格式とか、案外そんなことに庶民は無頓着だったのだ。だいたいどこも子供が多いし、大勢いる子供の一人を、跡取りがいない家の養子や養女に、ということはよくあった。かくいう駒蔵もそうやって近江屋の跡取りとなったのだから。
 先代の女将は気っ風のいい人で、駒蔵はその時分に京縫に連れて行かれたのだが、当時から彼の目の端に引っかかっていたのが、女将の背後にいて修行中の千鶴であった。とにかく目立たぬように、邪魔にならぬように立ち動く姿のきびきびとした美しさに、駒蔵は目を奪われた。よく気がつき、それをさりげなく女将に伝える。もしくは黙って補う。じっと見ていると時々目が合った。目が合うことすら客に対して礼を失することであるかのように、控えめに目を伏せ黙礼する千鶴に、駒蔵は芸子に対する興味とは別の恋情を抱いた。
 あるとき厠に立った際に、中庭の廊下で千鶴と偶然出くわした。すれ違いざま、駒蔵は千鶴の手を握った。千鶴は嫌がることも慌てることもせず、見事に返した。「わてはいまだ見習いの身。お客さんとそないなことはいたしまへん。女将になれる日が来ましたら、続きをしまひょ」
 ぞくっとした。駒蔵は三日にあげず京縫に通うようになった。女将の突然の死によってあとを継いだ千鶴は、やがて駒蔵との約束を果たすことになった。
 当時の駒蔵には、新商売も新地での遊興も、どちらも大いなる活力を与えてくれるものだった。そして駒蔵の活力を成すものの中心に、千鶴はいた。

 ところが、千鶴に心を奪われて何か月も経たないうちに、駒蔵は、また別の女とも恋に落ちていた。それより八年前、お初天神で助けた少女、老松町の履物屋の長女、森井美津が、美しく成長して再び駒蔵の前に現れたのである。
 佐助が出入り業者から、美人で評判の娘の噂を聞きつけ、駒蔵の嫁にと白羽の矢を立てたのだ。今日三時に、大事なお客さんが来はるから店にいてほしいと佐助に言われて、「正栄社」に看板を掛け替えた門口から外に出たところで、駒蔵はちょうど入店しようとしていた美津と出くわした。
 どちらに御用で、と尋ねながら駒蔵は、まさに眉目秀麗という言葉が相応しいその娘に一瞬にして心を奪われていた。美津は、大島紬のアンサンブルに身を包んだ、背筋のピンと伸びた男に、出会い頭に声をかけられてちょっとびっくりし、その桜色の頬を染めながら尋ねた。
「廣谷駒蔵さん、いてはりますか?」
(つづく・次回は2月15日配信の予定です)  

* 実在の資料、証言をもとにしたフィクションです。 



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