あの時音楽室の片隅で。
現在公開中のアニメのジャズ映画のポスターを見かけた時、忘れていた記憶をふと思い出した。
私が高校に入学したばかりのときのことだ。
当時の私は何の部活に入るか悩んでいた。
そんな時、土曜プレミアムか金曜ロードショーかなにかで、スウィングガールズが放送された。
今改めてキャストを振り返ると、上野樹里、貫地谷しほり、本仮屋ユイカ、平岡裕太、と錚々たる豪華な顔ぶれである。気付いてなかったけれど高橋一生もいた。
テレビの中でとにかく仲間達と楽しそうに演奏するシーンに胸を躍らせ、猪と格闘するシーンに笑い、青信号のメロディーに裏拍子を刻みながら歩道を渡るシーンに心惹かれた。
私がしたいことは、これかもしれない!
私の高校では珍しくビッグバンドでジャズを演奏していたことも映画と一緒だったため、これは運命の導きだ!と信じ、その後は他の部活見学もせず、すぐに入部を決めた。
当時部員数は60名程度で、学内最大規模の部活だった。楽器は、ほとんどの人が自分の楽器を持っておらず、部室にある歴代受け継がれてきた少し古くなった楽器を使う。楽器の在庫数によって、割り振られる楽器が変わる。
私は映画の主人公と同じサックスをしたいと希望し、無事に念願叶った。
しかし、主人公はテナーサックス、私は誤ってひと回り小さいアルトサックスを選んでいた。
そのことに気付いたのは、入部から2ヶ月後くらいのことで、結局そのままアルトサックスを3年続けることとなる。
気付いた時は自分の間抜けさに呆れつつ、手の中で少し錆びて鈍い光を放つアルトサックスを見つめて自分に言い聞かせた。
そんなこともある。
3年間の中にはジャズフェスティバルや公民館での演奏、文化祭、卒業式、テレビ出演など様々な記憶があるが、最も鮮明なのは部活終了後、有志で適当な曲をセッションすることだった。
In a sentimental mood,Monin', Take the A train,April in Paris,In the mood,Take five,
One O'clock jump,Sesame street,My favorite things,,,
様々な曲を演奏した。
下手でもとにかく楽しさが最優先で、心ゆくままに自分も仲間の演奏も楽しんだ。
また、そのセッションは学年を跨いで部員が参加しており、中には憧れの先輩方もよく混ざっていた。
小柄でおっとりしているのに周りをよく見ながらかっこよくベースを弾くバンマス(バンドマスター)のM先輩。
バンマスを支えるがっしりした体格と豪快な発言、でも可愛いものが好きなドラムのK部長。
学年一の優秀者で、冷静な発言をするテナーサックスのA先輩。
自然なラブラブさで、見ていて何故か癒されてしまうトランペットのT&N先輩カップル。
とにかく個々のキャラが際立った楽しい
先輩ばかりだった。
私は中でもテナーサックスの先輩が大好きだった。
同じ木管ということで、全体練習前のグループ練習では指導していただくことも多かったが、誰より自分に厳しく周りに優しい人だった。
芯のある、少し低く優しい音色も先輩を表すのにぴったりだと思った。
こっそりと、よく目で追っていた。
先輩方は大学への進学が無事決まり、憧れのテナーサックスの先輩も県外の大学へ進学することとなった。
卒業した後は、1、2度夏休みに顔を出してくれたこともあったが、なかなか連絡を取る機会もなく、疎遠になっていった。
それから時はたち、私もブラスバンド部の部長に抜擢されて、どうにか1年の業務を遂行し、最後の演奏会を迎えた日。
演奏を終えバックヤードに戻った私に、近付いてきた小柄な女性がいた。
私が憧れていた、元バンマスのM先輩だった。
笑顔で、演奏よかったよ、と軽く伝えてくれたのち、彼女の電話を手渡された。通話中のようである。耳に当てると、懐かしい声の響き。電話の相手はテナーサックスのA先輩だつた。
「久しぶり。
大学の講義の都合で、どうしてもそちらに行けなかったけど、最後の演奏と聞いていてもたってもいられず、バンマスにお願いして、ずっと電話を通話状態にしてもらって演奏聞いていたよ。
すごく上手になったね、頑張ったんだね。
ソロ、素敵だったよ。
3年間お疲れ様。」
話そうとしても嗚咽が漏れ、泣くことしか出来なかった。
声を聞くたび、向かいで微笑むM先輩を見るたび、楽しかった過去の記憶がぶわっと走馬灯のように流れ込んできた。
部長になってからはバンマスとギクシャクしたり、やる気のない部員とにきつく当たってぶつかることもあった。
自分の統率力のなさに落ち込むこともよくあった。
どうして先輩方みたいにかっこよく振る舞えないんだろうと、うまく演奏出来ないんだろうと悩む日々も多かった。
それでも続けてこれた。
過去を知る先輩から、今の自分を肯定してもらえた。
きっとこの電話がなければ、泣かなかったと思う。
この人達の後輩になれて、憧れて続けてきてよかった、と心から思った。
その後、私も一浪後大学へと進学するが、先輩方とは結局疎遠になってしまった。
今回この文書を書くに当たり、ふとFacebookでA先輩の名前を調べたところ、大学院博士課程を卒業後、薬学博士としていくつも論文を発表し、様々な賞を受賞しながら活躍されていた。流石進学校1の成績優秀者である。
先輩は私のことを覚えているだろうか。
いつかまたどこかで会えたら嬉しい。
そう思いながら、そっとブラウザを閉じる。
スウィングガールズほどの賑やかさはなかったけれど、窓を開け放って音楽室の隅のドラムに集まり、先輩と同級生と自由に楽器を鳴らしたあの夏休みは、古いサックスの鈍い金色の光と共に今でも鮮明に脳裏に蘇る。
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