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2023/06/01 Tempalay

Tempalayのツアー初日に馳せ参じることができた。

前回が22年のビバラだったのでほぼ1年ぶりになる。この1年の間、小原綾斗は新たにバンドを組み、AAAMYYYは母になり、藤本夏樹はソロ活動に勤しみ、そしてわたしは卒業要件である5回の実習全てを終えた。疲れた。

このライブはファンの投票で曲が決まる!という企画を基にセトリが組まれており、久しぶりになかなかお目に掛かれない曲との出会いがあるのでは・・・!と胸を躍らせながら会場に赴いた。
まあ結果としては普段のライブとあまり変わらないセトリだった。

曲順に感想を書いていたらネタバレになってしまいそうなので全体的な感想になるが、1年ぶりのTempalayはそれまでと変わらずわたしに「死」がどのようなものなのか、「生」がどのようなものか身をもって知らせてくれた。だが今までと異なるのは、「生きる」ことに肯定的で受容的な部分があることだった。

出産を経験したAAAMYYY、一児の父である藤本夏樹、(2階席から「パパ〜〜!!」と叫ぶキキちゃま・・・🫶🏻🫶🏻)、Booorn!!という新曲、ファンの声を生かしたセトリに加え、「子ども」という存在が鍵になるツアーでもあると感じた。
「子ども」の存在が小原綾斗の曲作りにも影響しているのか、「おもちゃばこ」のようなTempalayのライブの中に「いつくしみ」が感ぜられる不思議な気分になった。

今回の小原綾斗について。

今回ちょうど小原綾斗がよく見える位置にいたのだが、ずっとかわいいしずっとかっこいい、尊すぎる存在。でありながらセンシュアルで繊細で儚い、小原綾斗は罪人(つみんちゅ)。来世はあんな男性に生まれ変わりたいものだ。
その中でも2階席のキッズスペースを見上げる小原綾斗が印象的だった。この日は2階席に数人子どもが集まっているスペースがあり、託児所よろしく賑やかな空間ができていた。それを下のステージから見上げていた小原綾斗の目はどこか父親のようないつくしみを孕んだ目をしていた。それを見て、どうして小原綾斗には「守るもの」がないのか、どうして小原綾斗がだれかの父親で道標ではないのかと憤りさえ感じるほどだった。

ライブでの彼等はもはや言うまでもないが、エンターテインメントに富んでいながらどこまでも音楽家であった。

セトリの中にだいぶ久しぶりな曲があったのだが、元気で若々しいかわいささえ感じる音源とは異なり、大人になったTempalayから出てくる可愛い歌詞、音数も増え厚みの増したサウンド、どこを切り取っても至高に尽きるものだった。個人的には割と気になっている曲で、いつかライブで出会せたら最高だなと思っていたので、念願叶ってしまって幸せだった。変な声も出た。

最後の曲、やはり予想通りだったがあの曲を聴いた時の世紀末感、全てが終わってしまう寂しさ、Tempalayと離れ離れになってしまう悲しさには全く慣れることができない。あの曲が流れてくると自然に泣きたくなってしまう。小原綾斗の「さようなら」がこんなにひどく沁みることはない。良い年して情けないと思うが、それだけTempalayのライブでは童心に帰ることができると思うと、いつまでも大人にはなりたくないなと嘆きたくなる。

これどうやって付けてるんだろう


終演後の胸いっぱいで幸せな気持ち、Tempalayにまたしばらく会えない寂しい気持ち、アドレナリンが出て満たされた気持ち、幾つになってもどこへ行ってもこんな思いをずっとしていたい。いつまでもTempalayと共にありたい。そのためにはTempalay御一行、小原綾斗にはいつまでも元気でいてもらわないとこまる。

どうか末長くあなたたちが音楽を楽しく作れる世界でありますように。そしてわたしたちとまた巡り合ってくれますように。

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