【実質無料記事!】孫子と日本史:教え⑫「呉越同舟」の実例は、薩長同盟 (孫子と龍馬の関連)
こちらの投稿は、「大人散策辞典 ”wiki stroll” ~tomoaki blog~」の "Original の記事" を基本同じ内容で、記載している記事になります。Original の記事では、より多くの写真も含め記載しておりますので、併せてご参照頂けますと幸いです。
【「呉越同舟」のメッセージは?】
本日は、孫子の中に出てくる言葉で、「呉越同舟」を、考えてみたいと思います。(本ブログの別記事で、個人的に選んだ、「孫子の教え一覧」も記載していますので、併せてご参照ください)
「呉越同舟」って、聞いたことありますか?
正確に言うと「呉越同舟」という言葉自体は、孫子の中には、出てこない様ですが、出典は、孫子の様です。つまり…、孫子の中に出てくるのは、『古代中国の国で、敵対する「呉」の国の人と、「越」の国の人が、同じ船に乗り合わせた際、悪天候に見舞われ、船が沈みそうになったら、お互いに協力し合い、その難局を乗り越える様にするだろう』と比喩的に取り上げられている「例」の認識です。
そもそもこの比喩は、軍隊を統率するにあたり、どうやって実行していくかを説明する為に出した「例」で、「互いに敵同士でも、それぞれが厳しい環境に置かれ、互いの利となる目的を共有できれば、協力し合う事が出来る」と言う事を説明するために出した「例」と考えて良いと思っています。
また、別の視点から考えると「風林火山」が上げられると思います。
『故其疾如風、其徐如林、侵掠如火、不動如山、難知如陰、動如雷霆、掠郷分衆、廓地分利、懸權而動」(故に其の疾きこと風の如く、其の徐(しず)かなること林の如く、侵掠(しんりゃく)すること火の如く、動かざること山の如く、知りがたきこと陰の如く、動くこと雷霆(らいてい)の如し、郷を掠めて衆を分かち、地を廓めて利を分かち、権を懸けて動く)』と孫子中にはあり、武田信玄の軍旗にもなったフレーズがありますが(前半部分だけですが)、いつの間にか、「風林火山」と言われる様になった事象と同じで、メッセージを込めた、四文熟語として、「呉越同舟」が一般的になったという見方をして良いという認識です(風林火山に関しては、別記事で記載しています)。
風林火山の軍旗(Wikipedia より)と武田氏館跡(躑躅ヶ崎館跡)Map
【「呉越同舟」の日本史における実例は?】
では、日本史の中において、この「呉越同舟」の例を考えてみますと、、、
以下、有料での記載とさせて頂きますが、「大人散策辞典 ”wiki stroll” ~tomoaki blog~」の Original 記事では、無料で開放しています。有料エリアのご購入、フォローによるクリエーターサポート等の応援は、喜んで受けさせて頂きますが、「大人散策辞典 ”wiki stroll” ~tomoaki blog~」の Original 記事と併せてご参照頂ければと思っております。
こちらのリンクより
Original 記事の参照が可能です!
ここから先は
¥ 300
記事を読んで頂き、ありがとうございます 皆様にお役立ちできる記事の作成、努力して参ります!