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【実質無料記事!】街道の楽しみ方:川越・児玉往還の歴史を感じる大人ポタリング/散策スポット② (埼玉・坂戸/東松山)


こちらの投稿は、「大人散策辞典 ”wiki stroll” ~tomoaki blog~」の "Original の記事" を基本同じ内容で、記載している記事になります。Original の記事では、より多くの写真も含め記載しておりますので、併せてご参照頂けますと幸いです。


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【はじめに】

今回は、 川越児玉往還近辺の大人散策/ポタリングコース をご紹介致します(後半戦バージョン)。

別記事で、本記事で紹介する「川越・児玉往還の歴史を感じる大人ポタリング/散策スポットの前半戦」を紹介させて頂きましたが(リンク参照)こちらの記事では、その後半戦を記載させて頂きます。前回の前半戦の記事でも記載させて頂きましたが、川越街道(川越児玉往還)鎌倉街道(堀兼道?)日光脇往還、そして東山道武蔵路等の道を調べ、この周辺は「昔、交通の要衝だった可能性もあり(勝手な思い込みかもしれませんが…)、歴史的観点をベースに散策・ポタリングを楽しんでも面白いエリアだと思った」次第です。以下に、その大人散策・ポタリングコース@坂戸・東松山、をご紹介します。

川越児玉往還の大人散策・前半戦の様子
日高市付近にある日光脇往還の石碑

【川越児玉往還近辺の大人散策/ポタリングコース@坂戸/東松山】

今回も、川越・児玉往還に沿って(若干ずれますが)、散策・ポタリングスポットの後半戦をご紹介します。東武東上線の若葉駅からスタートし、最終的には、同じく東武東上線の高坂駅に行くコースです。最低でも10-11㎞程の工程になると思われます。別記事で触れました前半戦とほぼ同じ距離位です。以下、前半戦の最終ポイントとさせて頂いた、聖天宮から記載させて頂きます。

聖天宮

別記事で紹介しましたので、詳細はそちらをご確認頂ければと思いますが、「道教と言う台湾の宗教のお寺」と言う認識で正しい様です。はっきり申し上げ、圧巻の建物で、近くにいらっしゃった際は、必ず立ち寄って頂きたいスポットです

外からだけでも、十分にその迫力を感じる事が出来ますが(横浜の中華街を連想させる建造物)、内部に入るとその迫力を倍以上に感じる事が出来ると思います。多くの日本人同様、私達夫婦も宗教に、ほとんどこだわりのない者なので、建造物として、そして芸術作品として、楽しませて頂きました。尚こちらは、前半戦の最終スポットにしても、後半戦のスタートポイントにしても、どちらでも良いと思います。

聖天宮①
聖天宮②

・雷電塚古墳

雷電塚古墳は、昔は、木々に覆われていたようですが、今は土がむき出しになっている感じで、川越市的場の牛塚(別記事参照)でも感じましたが、「このままでは風化してしまうのでないか?」と思った次第です。一方では、形状が良く解り、それはそれでよいのですが・・・。Wikipediaによると、以下の様にあります。

雷電塚古墳(らいでんづかこふん)は、埼玉県坂戸市の雷電塚古墳群内にある前方後円墳である。(略) 
概要:墳長47メートル。後円部径25.5メートル・高さ4.5メートル。前方部幅23メートル・高さ3.25メートル。前方部を東南に向けている。墳丘に沿うように周溝が巡る。(略) 1990年(平成2年)には発掘調査が行われ、周溝から多量の埴輪片と須恵器片が出土した。本格的な調査は行われておらず、主体部は不明。1958年(昭和33年)3月20日付けで埼玉県指定史跡に指定された。雷電塚古墳の周辺は現在畑であるが、発掘調査の結果円墳の周溝が10基分確認されており、雷電山古墳の周囲には多数の円墳が造られていたとみられる”、

https://ja.wikipedia.org/wiki/雷電塚古墳_(坂戸市)

まだ、本格的な調査が行わていないと言う事は、まだ地下には、かつての統治者や装飾品が、手つかずで眠っていると言う事でしょうか? 本当にワクワクしてしまいます。

雷電塚古墳①
雷電塚古墳②
雷電塚古墳③

・東光寺

東光寺は、雷電塚古墳のすぐ北にあります。こちらのホームページによると、以下の様にあります。

東光寺は、薬王山浄水院東光寺と称し、新義真言宗智山派大智寺の末寺であり、本尊の不動明王坐像は享保十八年(一七三三年)に法橋幸慶が作ったものといわれている。当寺に関する古記録は、散逸して現存しないが、明治の末に編さんされた「三芳野村郷土誌稿」によれば、(略) 承安元年(一一七一)この清浄地に薬師如来の翠影彷佛として出現し、里人おそれて深く信仰し、以来、薬師如来を本尊として日光、月光菩薩十二神将を配し、かつ、かたわらに愛宕権現を奉祀したと伝えられている。
しかし、新田義貞鎌倉攻めの折、鎌倉海道を通り別所山で休息していたところ東と西に光を放つところがあり、そのところに寺を建てて東光、西光の両寺としたとの伝承もあるが、いずれにしても、鎌倉海道をはさみ両寺は、往古の領主青木氏の菩提寺として、この地の信仰の中心になっていたものであろう”、

https://www.to-kouji.com/about/

つまり、「それぞれ時代の整合性は合わないが、鎌倉街道が、以下に紹介する西光寺とのこの東光寺の間にあった可能性がある」と言う事の様です。しかし、「別所山」がどこにあったのかは、分かりませんでした。

東光寺①
東光寺②

・西光寺

上記、東光寺のホームページによる所によると、兄弟のお寺と言う事の様です。しかし、西光寺の門前にあった説明文には、江戸時代の建立とあります。この矛盾は矛盾で、深堀したくなりますが、触れないのも楽しみ方の1つとして、今回は触れずに置きます。別の機会で、再度深堀しようと思いますが…。

西光寺①
西光寺②

・大宮住吉神社・弁天池

西光寺の南に、大宮住吉神社があります。鳥居は、ぐるっと回りこんで南側にありますのでそちらが正式ルートでしょうが、西光寺方面の北側からも入る事が出来ました(裏口的?)。周囲は、静かな住宅街で、畑も沢山あるエリアです。その中にある神社で、結構立派な社殿に、「大宮住吉神楽が伝わる神社」として有名なようですので、立派な神楽殿もありました。また、南側には美しく整備された弁天池もあり、地域の人が大切に守り伝えている印象を強く持った神社です。

大宮住吉神社①
大宮住吉神社②
大宮住吉神社③

・勝呂神社古墳

大宮住吉神社を出て北側に進むと、左側に小高い山の上にある神社が見えてきます。こちらが、勝呂神社です。現地の説明文によると、

”寛和2年(986年)、古墳の上に北陸鎮護の神として知られる加賀一宮白山比咩神社の御分霊が勧請されました”、

とあります。小高い山は「古墳」で、その上に神社があると言う事の様です。写真で見て頂いた通り、立派で目立つ神社で、その名の通り、勝負毎にご利益がありそうな雰囲気があります。また、同じく現地の説明文の最後の方には、

”神社の東を東山道武蔵路が通っていた事が確認され”、

とあります。つまり、「大宮住吉神社から来た道が、東山道武蔵路?」と理解した次第です。確かに、直線的な道だった認識です。また、上記大宮住吉神社の西、勝呂神社の南には、「東山道武蔵路の痕跡があった!」との説明看板(地図参照)もありましたので、今後の更なる調査に期待したい所です!

勝呂神社古墳①
勝呂神社古墳②
勝呂神社古墳③
勝呂神社古墳④
「東山道武蔵路」の痕跡を開設した説明看板

・勝呂廃寺

勝呂神社古墳を西に向かうと、大きな石碑が目印となっており、その北側に勝呂廃寺の跡があります。現地の説明文によると、

飛鳥時代の終わりごろ(680年ごろ)、この地に寺院が建てられました”、

とあります。これまでの神社仏閣と比べ、一回りも、二回りも、時代のある場所の様です。埼玉最古のお寺の1つとの事の様で、すぐ東側の道が、南に一直線に伸びる様子は、東山道武蔵路?、参道?と思った次第です。皆様も現地に赴き、雰囲気を感じ、皆様それぞれに思いを馳せてみてはいかがでしょうか?

勝呂廃寺①
勝呂廃寺②
勝呂廃寺近くの直線道路

・島田橋

大分それてしまいましたが、勝呂廃寺から更に西に、数百メートル進むと、川越児玉往還に出ます。そしてこの道を北に進むと、お地蔵様(〆松地蔵尊)がいりゃっしゃり、更に道なりに北上すると「旧街道の様な雰囲気を残す一直線の道」になります(入口に信号があり、若干分かりにくいですが・・・)。

この直線の道を越辺川まで進むと、突き当りの堤防の傍らに、お地蔵様と石碑があり、この堤防を越えたところが、こちらも別記事で(「郷愁を誘う川越周辺の橋」の1つとして)紹介させて頂きました、時代劇でもよくロケ地としてよく使われる橋の島田橋です。非常に雰囲気のある橋で、この橋を超えると、坂戸市から東松山市に入ります。

島田橋付近の旧街道の雰囲気を残す一直線の道の様子①
島田橋付近の旧街道の雰囲気を残す一直線の道の様子②
島田橋付近の旧街道の雰囲気を残す一直線の道の様子③
島田橋①
島田橋②

・八幡神社の大ケヤキ  @2023年5月追加

若干コース外れますが、上記紹介の島田橋の少し北にある「八幡神社」に大木があります。それは、樹齢700年以上と言われる大ケヤキ。迫力の根っこも含め、見学頂ければと思います。また、こちらも別記事の狛〇シリーズのページで紹介しておりますが、こちらの社殿の屋根には、八幡様の神使・鳩が、2羽おり、正に「狛鳩(鳩瓦?)」と言った感じですので、こちらもあわせてご覧頂ければと思います。

八幡神社の大ケヤキ①
八幡神社の大ケヤキ②
八幡神社の大ケヤキ③
八幡様の社殿
屋根の上にいらっしゃる八幡様の神使の鳩(「狛鳩?」)

・どんぐり山公園 (毛塚1号墳)

島田橋を超え、さらに進むむと、大きな道(248号線)が左から寄り添ってきます。この付近で、八王子からくる 日光脇往還 と一時の間合流するようで(島田橋の所で合流済みの可能性も十分にあると思いますが…)、広い通りと川越児玉往還の交差するポイントには「古い道標」があります。ここまでくればゴールの高坂駅は目の前ですが、若干の寄り道で「どんぐり山公園」を目指します。この辺りには、古墳が多くあった様ですが、残った数少ない古墳で、綺麗に公園として、整備されています。ここの説明文、子供を意識した文面で特徴的であった事を覚えています(長い滑り台もありますし…)。このどんぐり山公園から1㎞ちょっと北上すると、ゴールの高坂駅です。

道標
「どんぐり山公園」 (毛塚1号墳) の様子①
「どんぐり山公園」 (毛塚1号墳) の様子②
「どんぐり山公園」 (毛塚1号墳) の様子③

・高坂陣屋跡・標柱(石柱)・石橋/石橋供養塔

どんぐり山公園から再度「川越児玉往還」に戻り、六地蔵等を見つつ、高坂駅を超えてしまいますが、余力があれば脚を運延ばして頂くと、高坂陣屋跡とその先の河岸段丘の下に、石橋・石橋供養塔を見る事が出来ます

高坂陣屋跡は、小規模ですが、土塁が残っており、都幾川の河岸段丘の上に築かれている事が、実感できると思います(付近の城跡・陣屋を別記事で紹介してます)。

高坂陣屋跡①
高坂陣屋跡②
高坂陣屋跡③

また、この付近に、別記事で紹介した、川越児玉往還/日光脇往還の痕跡と言われる、石柱(みちしるべ)と石橋もあります。石柱(みちしるべ)のある場所から西に進み東武東上線を越える方向は「川越児玉往還」の様です。一方、そのまま北上し、都幾川を越える道が日光脇往還の様で、高坂陣屋跡付近の河岸段丘を下った場所に、日光脇往還の痕跡、江戸時代に使われていたと伝わる石橋・石橋供養塔があります。

道しるべ(標柱)①
道しるべ(標柱)②
道しるべ(標柱)③
石橋
供養塔①
供養塔②
供養塔③

越辺川をこえる島田橋は、川越児玉往還と認識していたので、上記にも触れましたが、もし島田橋の川越側で川越児玉往還日光脇往還が合流していたら、「島田橋からこの石柱(みちしるべ)までの道は、川越児玉往還日光脇往還」と言う事でしょうか? それともこの場所、もしくはもう少し手前で、「川越児玉往還日光脇往還が交差していた」と言う事でしょうか? こんな事を考えつつ、散策するのは、正に大人散策だと思った次第です。

【最後に】

以上が、埼玉県坂戸市の聖天宮周辺の川越・児玉往還に沿ったスポットの紹介における、後半戦になります。別記事で前半戦も記載しておりますので、1日で、今回紹介した後半戦と別途紹介した前半戦を一気に回っても良いと思いますが、この後半戦の行程(:若葉駅から、上記コースを進んで、高坂駅まで)で、恐らく11㎞程度には、なると思います。その為、散策(徒歩でめぐる)のであれば、2回に分けた方が良い気がしました。

また、実際に散策してみて改めて思った事は、「この地域、もう少し調べてみたい」と言う思いでした。確かに今は、(大変申し訳ないのですが)「街の外れ」と言った印象を持ちましたが、歴史をたどってみると、結構重要な地域であったのでないかと思った次第です。今と違って、昔は地形(高低差や川の流れ等)の制約を受けたでしょうから、重要な場所には、重要になる理由があると思います。言い換えますと、「少し高い所にあり、水害を受けにくい」「基本、道は災害の受けにくい場所に通されるので、良い土地には、自然と道が交わるようになり、人の行きかう絶対量が多い」、「神社やお寺、古墳と言った史跡も同様の傾向にある」と言った事が想像できるという意味です。

東武東上線を東から西に超えた先の三日月湖
川越児玉往還(旧道(と思われる))様子・痕跡①
川越児玉往還(旧道(と思われる))様子・痕跡②
川越児玉往還(旧道(と思われる))様子・痕跡③
川越児玉往還(旧道(と思われる))様子・痕跡④

尚、川越児玉往還ですが、高崎を目指す道なので、この先も続いております。一部写真、地図にて共有しますので、ご参考になれば幸いです。また、上記石柱(みちしるべ)付近にもある三日月湖高坂周辺の大人散策情報、越辺川から入間方面の「 日光脇往還 」の大人散策情報等も、別記事にて記載しておりますので、併せてご参照頂けますと幸いです。



以下、上記紹介しました「各スポットを一覧で把握でき、実際に現地訪問した際でも自身の位置をスマホで確認しつつ大人散策できる地図(Google My Map で作成:以下のイメージ)」については、有料での記載とさせて頂きますが、大人散策辞典 ”wiki stroll” ~tomoaki blog~」の Original 記事では、無料で開放しています。有料エリアのご購入、フォローによるクリエーターサポート等の応援は、喜んで受けさせて頂きますが、「大人散策辞典 ”wiki stroll” ~tomoaki blog~」の Original 記事と併せてご参照頂ければと思っております。

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