孫子と日本史:教え⑪「善く戦う者は、これを勢に求めて、人に責めず」と河越夜戦 (孫子と北条氏の関連)
こちらの投稿は、「大人散策辞典 ”wiki stroll” ~tomoaki blog~」の "Original の記事" を基本同じ内容で、記載している記事になります。Original の記事では、より多くの写真も含め記載しておりますので、併せてご参照頂けますと幸いです。
PR : amazon : 日本史関連書籍 & 旅行関連書籍はこちら!
はじめに:「善く戦う者は、これを勢に求めて、人に責めず」のメッセージは?】
本日は、孫子の中に出てくる言葉で、「善く戦う者は、これを勢に求めて、人に責めず」を、考えてみたいと思います。(本ブログの別記事で、個人的に選んだ、「孫子の教え一覧」も記載していますので、併せてご参照ください)
「善く戦う者は、これを勢に求めて、人に責めず」って、聞いたことありますか? 私の理解は、「戦上手な者は、一人一人に「ガンバレ!」と言うのでなく、組織全体に「勢い」を持たせることで、勝利を手繰り寄せられる人材で、これが出来る事が重要」といった様な意味でとらえています。孫子の時代もそうだったのでしょうが、組織の力を最大限に引き出すために、組織全体に勢いを持たせるって、永遠のテーマですよね・・・。
”孫子”に関しては、Wikipedia の力を借りますと以下の様にあります。
2500年も前の兵法書で、古典の中の古典と言う事でしょうか? 勿論、現代版のものしか、私には読む事は出来ませんが、「端的でシンプルな文章は、読む側の状況に応じて、理解し、考えを巡らせる為のベースとなる、原理原則が書かれた書物」、言った認識を個人的に持っております。
現在の川越城本丸御殿と小田原城 (河越夜戦とはほぼ関係ありませんが…)
【「善く戦う者は、これを勢に求めて、人に責めず」の日本史おける実例は?】
では、「善く戦う者は、これを勢に求めて、人に責めず」を実践できた好例を、日本史の中の戦で見つけてみようと思った時、真っ先に思い浮かんだのが、日本三大奇襲にも数えられる「河越夜戦」です。川越在住の地元びいき的な考えで、この戦を持ち出している事、否めませんが、この戦は、北条方が、”勢い”、を最大限に生かして勝利を勝ち取った、頭脳戦だと思っています。
まずは、Wikipedia の力をかり、河越夜戦を調べてみますと、以下の様にあります。
北条軍が、河越城内に3000。これを、山内上杉家・扇谷上杉家・足利古河公方の軍、8万が包囲し、その援軍に北条氏康の8000が向かったという構図の様です。8万 vs 1.1万で、1.1万の北条軍が勝ったわけですから、勢いを最大限に生かした、頭脳戦の要素が強いと思た次第です。
改めて、このWikipedia の項目を読み進めると、以下の様に記載れています。少々長いですが、なるべく”略”、を入れますので、全体像をつかんで頂ければと思います。
河越夜戦跡と伝わる東明寺(個人的に違うと思ってますが…)の様子とMap
「略」を入れつつ、引用いたしましたが、長くなってしまいましたので、私なりの理解を簡単に申し上げますと、以下の様になります。
北条軍は、まずは、奇襲(夜襲)を計画した上で、偽りの降伏の意思を明示し、かつ戦意に乏しいと思わせる為「あえて」敗走もし、敵を油断させ、敵の勢いを極限まで削いだうえで、自軍から奇襲をかけ、勢いがつき過ぎて、後方から、”まて!”、がかかるほどの勢いで、大軍を蹴散らし、更に立てこもっていた河越城内から、その勢いに呼応する形で、更に相手を撃破。結果、1.1万の兵力で、自軍の総数以上の敵兵を撃破し、8万の兵を追い払っってしまった戦
勝手な思い込みと、勝手な計算かもしれませんが、「智略をもってすれば、組織の勢いの力(=自軍と敵軍の勢いの差)を極限まで高める事が出来、その力は、1.1万 vs 8万なので、個々人一人一人の力の8倍にもなる」と言ったところでしょうか・・・。
(河越夜戦自体の経過は不明な所が多いと言われているので、かなりの想像(妄想?)入りますが、別記事でその経過の仮設を記載しておりますので、併せてご参照ください;以下仮説の経過Map)
ちなみにこの戦の後、上杉憲政は居城の平井城も奪われ、越後の長尾景虎を頼って敗走し、これが故に、後に関東管領の職と上杉性を景虎が受け継ぐ形で、上杉謙信と名乗っていく訳ですね。正に河越夜戦は、時代の大きな節目となった訳です。
【最後に】
上記の様な、勝手な考察をさせて頂きましたが、皆さまはどう思われましたでしょうか?
私的には、孫子の言うとり「戦は、”勢い”、が非常に重要」と言う事を改めて感じましたし、現代でも、特にスポーツの世界なんかでは、勢いに乗る(=波に乗る)事の重要性を感じる事が、多々ある事思い出しました。しかし、更に重要なのは、「どうやって、”勢い”、に乗るのか?」だと思います。やはり、永遠のテイマーだと思ってしまいました。
(上記、河越夜戦の激戦地と伝わる、東明寺やその周辺観光の情報を別記事で記載しています。また、「河越夜戦における戦いの経過」に付き勝手な個人的仮説を別記事で紹介させて頂いております。また、個人的に選んだ、「孫子の教え一覧」も記載していますので、併せてご参照ください)
以下、個人的な仮説に基づいた『河越夜戦の戦いの経過』をGoogleマイプレイスで作成したそれぞれの場所の位置関係Map
PR : amazon : 日本史関連書籍 & 旅行関連書籍はこちら!
記事を読んで頂き、ありがとうございます 皆様にお役立ちできる記事の作成、努力して参ります!