はじめの一歩
1歳10ヶ月で親子療育に通い出した。
療育センターの1歳児クラスは、ダウン症など先天的な障害がある子たちが通っていた。赤ちゃんの頃から通っていてお母さん達には、既に絆があるように感じた。
通っているお母さんからしてみたら、長男に対して見た目は普通の子なのに、どうしても通い出したのかと興味はある様子だった。でも、そこは聞いてはいけないと思っているのか、少し距離を取られていたような気がした。
療育が始まると、通いだした理由が伝わったと思う。例えば感覚遊びの時、スライムや粘土は絶対に触れず奇声をあげる。お友達とは絶対に遊ばないし、目も合わさない。給食は偏食があって好きなものしか食べない。少しずつこの子も障害児なんだなと受け入れてもらったが、最初から通っているママ達の距離はなかなか埋まらなかった。
わたし自身も、集団療育の意味をまだ理解していなかったので、好奇の目に晒されるのが嫌で殻に閉じこもっていた。
何より嫌だったのが、療育センターに行くと、まだグレー的な感じと医療機関で言われて通い出したのに、立派な障害児として扱われるのが慣れなかった。
なかなか慣れなくて一匹狼ならぬ、二匹狼のわたしと息子。親子療育してもなかなか個別的な支援はしてもらえないんだと思い、個別支援もできるところを探した。住んでいる市内にはどこも一歳児の受け入れがなかった為、別の市のリハビリテーション専門病院に行く事にした。
そこでまずは作業療法士の療育を月に2回受ける事にした。集団療育の日に併せて、その日の午後に個別療育にも行き出した。
個別療育では、パズルやブロックを真似っこして作ったり、やり取りの練習をしたり、得意な事を伸ばしつつ、苦手なこともできるように支援してもらった。
週2回は、長男のために費やした。
最初は自分の勘でおかしいと気づいたものの、どこかで否定してもらいたかったのも事実だった。
障害のある子を持った親しかわからないかもしれないけれど、療育を始める事は、親自体が障害を受け入れる為の第一歩なんだと感じた。