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事故物件、浄化いたします。(2)

#創作大賞2023 #お仕事小説部門

☆3☆

1109号室の新しい住人の粗相の後始末を終え、裕司が管理人室に戻った頃には昼を過ぎていた。ようやく管理人室用のポストを確認すると、予想した通り、新しい住人の入居届が投函されていた。

ベルセレナマンション管理組合殿
入居届
1109号室 小沢 達樹
入居日 20××年10月1日
居住者
小沢 達樹(世帯主・50)
小沢 百合亜(妻・47)
小沢 真理亜(子・19)
小沢 夏樹(子・10)

賃貸や売買のどちらでも、入居者が引っ越ししてきた当日、入居届を管理員室に投函するのがこのマンションの決まりとなっている。昨日引っ越ししてきたばかりの小沢一家も、手続きをちゃんとしてくれていた。

「それにしても、1109号室とは。まだ、それほど日も経っていないのに、そんなに早く入居者が見つかるなんてな。それとも、時間が止まっているのは、俺だけなのか…?」
そう、この1109号室こそ、裕司が異動させられる原因となった事故物件だ。7月に事件が起き、その後の警察による現場検証、賃借人の退去、原状回復のための清掃とリフォームを終え、新たな賃借人を募集して入居まで3か月弱…異例の早さといえよう。

駅から近い物件や、春の卒入学、人事異動の繁忙期ならいざ知らず、特に駅に近くもないこのマンションで、しかも10月入居とは。普通の感覚だと急ぐ理由が見当たらない。しかも事故物件だぞ…?それとも、事故物件マニア一家か何かなのか?事件を起こした犯人だってまだ捕まらないのに、気味悪くないのか?

裕司の頭の中を疑問が次々と駆け巡る中、管理室と入居者の通路の間にあるガラスの小窓をトントンと叩く人物が外に立っていた。

管理員室のドアを開けて裕司は部屋の外に出た。
「1109号室の小沢です。先ほどは、うちの娘を助けていただきありがとうございました。」
外国の血筋でも入っているのだろうか、目の色は薄いグレーの、目鼻立ちのはっきりした女性が菓子折りを持って立っていた。
「いえ、たまたま通りかかっただけですから。それに少し歩くのをお手伝いしただけですし、どうかお気になさらないでください。」
そう裕司がそう答えると、その女性、1109号室の新たな住人である百合亜はふっと表情をゆるめた。
「そう言っていただけて、良い管理人さんがいるマンションに来られて幸せというものです。ありがとうございます。それとは別に、これは引っ越しのご挨拶ですので、よかったら召し上がってください。」
(文禄堂のカステラか…俺の好物だ)
そう思った裕司は思わず菓子折りを受け取ってしまった。
「あ、どうかお気遣いなくで。」
後から言うのも、間が抜けている。
「いえ、もともと用意していたものですから。少しですけど、受け取ってもらえた方が嬉しいです。」
にっこり笑う百合亜。
「これからご迷惑をおかけすることもあるかもしれませんが、どうかよろしくお願いいたします。」
深々と一礼をして去っていく百合亜。

上品な佇まいの百合亜と話せて少々気分が高揚したのか、先ほどまでの疑問をすっかり忘れ去った裕司であった。

☆4☆

「今日はモップ掛けをして、エントランスの床の土ぼこりを綺麗にしよう。」
8月に営業から突然異動を命じられ、管理員の仕事に従事して早3ヶ月。裕司はすっかり清掃作業が板についてきた。もともと綺麗好きで、清掃をすることで自分の置かれている環境が整うことや、試行錯誤の末に業務改善できることが単純に楽しかったから頑張れたのだと思う。
「どこに行っても、俺は俺のできることをすればいいんだよ。」
独り言は、ちょっと増えたかもしれない。

ご機嫌でエントランスのタイルをモップで清掃していると、後ろから声をかけられた。
「あの…先日は、ありがとうございました。」
鈴を鳴らすような小さな、でも響く声。
振り向くと、先日は体調がすぐれぬ様子だったが、今は顔色も良くなった、1109号室の小沢真理亜が立っていた。
この日は10月の下旬、薄手のベージュのコートに青いロングスカート、白いスニーカーを履いていた。派手ではないのに、華がある。
そして、裕司の最初の予感通り、目を合わせたら視線を逸らせなくなるような、惹きつける光をたたえた瞳が輝いていた。

(続く)

https://note.com/brainy_clover264/n/n90a88d61fedb


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