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霧の宴  ミラノ Ⅱ        アンドレア            

 ヴェネツィア風の外戸から差し込む朝の陽が、床の上に光のまだら模様を描いていた。なんと素晴らしい朝だったろう!
黄金の雨とでも言いたい五月早朝の光が、露を含んだ南アルプスの山々と裾野に降り注いでいた。
 カルラを手伝って、マリアムは山荘の窓という窓を開け放ち、冷たい五月の空気を家中に満たした。
「アンドレアにまた会えるなんて、、」と、カルラは彼の部屋を整えながら嬉しさを隠そうともせず何度も繰り返した。
 山荘はアンドレアの祖父の時代に建てられたもので、医者であった祖父が、蒸し暑い夏のミラノを逃れ休養をとる度にお気に入りの孫を伴わせたことから、少年時代のアンドレアは夏のヴァカンスをこの山荘で過ごす慣わしになっていた。で、山荘の管理人の娘カルラとは、幼友達か兄妹のような間柄で、それが今まで続いていたのである。
 昨日の雨をさけて雪除けのテラスに避難させてあった茎の長い遅咲きの水仙を、カルラは一抱え程切り取って居間の大きなラリクの鉢に入れた。
 それから、夕食の買い物をするためにマリアムを誘い、一緒に村まで出かけて行った。
「これはアンドレアの大好物のチーズ、生クリームを五百グラム、無塩バターを一キログラムそれから、、、」と、リッツ農場でのカルラの多種多様の買い物は終わることがなかった。
「午後にはトルタを焼きますからね、野イチゴと生チーズのも作りましょう。これには眼がないんですよ、アンドレアは」
カルラはうきうきと何時もよりなお一層陽気であった。
 その日は、マリアムにとって夕方になるのがもどかしく、手際よく夕食の準備をするカルラを手伝いながらも、つい手元が疎かになり時計ばかりを気にするので、カルラの注意を促すことになった。
 夕日が向かい側の山入端に沈み、オレンジ色の残光が山のシルエットを墨色に描き、空が湿った茜色に染まり始めると、サロンの窓ガラスに額を押し付けるようにして、アッダ川に沿った道にジョルジョの車が現れるのをマリアムは今か今かと待った。
 その頃になると山荘のサロンには、アンドレアとジョルジョの古い友人達が集まってきて、エミリアのハーブ入りのアぺリティ―ヴォを飲みながら賑やかにアンドレアの到着を待っていた。
 やがて、薄墨色の空が深さを増し、山道にジョルジョの車が現れ、速度を落として山荘に入る小路の樹木の合間を見え隠れしながらゆるやかな坂道を登ってきた。
正面の扉が開かれ、アンドレアの姿が現れると、友人達は口々に彼の名を呼びながら駆け寄っていった。
 その夜の夕食に、アンドレアはカルラ夫婦を同席させたが、その彼の優しさと思いやりが、カルラ夫婦を感動させた。総勢15人にも及び、和やかに賑やかに大テイブルを囲んだが、最終美を飾ったのは何といってもカルラがアンドレアのために心を込めたトルタであった。
その見事な出来栄えのトルタを切り分けてから、アンドレアはシャンパングラスを片手にカルラの席に近づき、背後から「僕の大切なカルラに乾杯!」といって、上気して真っ赤に染まったカルラの頬に自分の頬をそっとあてた。カルラの眼にはみるみる涙があふれ、丸い頬を伝って流れ落ち、それを隠すために、彼女は台所に逃げ込んでしまった。
 アンドレアの疲れを気遣って、友人達は早めに山荘を引き上げていった。そして最後に残ったジョルジョが「アンドレア、明日の朝目が覚めた時点で電話をくれ、それから予定を組もうよ」と云った。

 客たちが去ったサロン、アンドレアとマリアムはぼんやりと暖炉の炎が揺らぐのを眺めていた。かなり長い間、言葉も無くそうしていた。
樹脂が焦げる匂いが漂い、時折樹皮がはじける音だけがその静寂を破った。
「なんと静かな夜だろう」ぽつりとアンドレアが呟いた。
「僕の小さな病人さんは、少し元気を取り戻したようだね。ようやく現実に戻ってきた」
「アンドレア、お疲れでしょう、もうお休みになったら?」
「うむ、君に回復の兆し見えるので、僕は安心した。あの夜は本当に驚いた、独りで旅立たせるのがとても不安だった。君をあそこまで打ちのめす力というのは、いったい何か、と僕は屡々考えてみた。君の理性も感性も麻痺させてしまう所まで追い詰めてしまうとは、C.クライバーの才は、常人では到達できない禁域に達しているのではないかと思った」
「マテオポゥロスが<美の恍惚とは神々に魅入られた魂の状態である>と書いていたのを読んだことがあるけど、オリンポスの神々に魅入られたあの方の深層意識に潜む強力な磁気にひき寄せられ、魂の奥底に眠っていた<ディオニソスの美の饗宴>に目覚めさせられてしまったのでしょう。美の官能の域とでも言ったらよいかしら、わたしは、その存在すら想像できなかった未知の部分を、自分の内部の混沌の中から引き出された、そこにのめり込んで行くのを恐れ抵抗したけれど、どうすることもできなかった。わたしは無抵抗になり自分を放棄し、その美の饗宴に全てを委ねてしまった」
「しかし、そこまで自分を分析するようになったとは、冷静さを取り戻した証拠だね。ロゴスとパトスのバランスが正常になり始めたということだろう、でも、ニンフ達は、もはや<ディオニソスの饗宴>に君を引きずり込むことはやめないだろう。何故かと云うと、ニンフたちが誘惑する美の宴に、君の感性は鋭く反応するようになってしまったから、、、それはそれでよいとして、コントロールを怠ってはいけないよ、神経のバランスを崩されないためにはね」
「マエストロC.クライバーの再現芸術が、果たしてR.ワグナーの創造した世界と、どの位一致しているかは知る由もないけれど、マエストロに息を吹き込まれた<トリスタンとイゾルデ>は、F.ニーチェを狂喜させたR.ワグナーの<ディオニソスの饗宴>を生々しく繰り広げて見せた、とわたしは思う。これはわたしの勝手な妄想だけれど、もしバイエルン王ルートヴィッヒ二世がMo.C.クライバーの<トリスタンとイゾルデ>に接する機会があったとしたら、彼は一体どのようにこの至高の美に反応したであろうか?
ルートヴィッヒ二世もまた、ニンフたちの美の官能への誘惑の罠にかかり、<デイオニソスの饗宴>に引き込まれてしまった一人ね。そして彼は、そこにどっぷりと溺れてしまった。
Mo.C.クライバーの魂の底から湧き出るあの繊細で高雅な感性が身体の細胞の隅々まで伝わっていくと、その動きはR.ヌレイエフの見事な演技の雄弁ささえ遥かに凌いでいるのではないかと思えるほど。言葉を必要としない雄弁さは、時には人間の発明による言葉よりも直接的で、それを受け止め得る双方に研ぎ澄まされた鋭い感性が備わっていれば瞬時に伝わる筈でしょう。
Mo.フェッラーリはC.クライバー論の中で、それをヴィブラツィオーネ(波動、振動)と表現しているわ」
「君の感性がディオニソスに大部分を占められているのは分かるが、一方同時にアポロン的な美も存在していることを忘れてはいけない。人間の感性の多様性は、我々自身が知り尽くせない様々な面を内部に秘めている。それらのある部分が、ディオニソスであったりアポロンであったり、同時に共生しているのさ。R.ワグナーもC.クライバーもF.ニーチェさえも、ディオニソスと共にアポロンを内部に秘めているのだね。その多様性から何かが生み出され伝達を司るメルクーリオに託されると、<その何か>はある形で表面に現れ、それを受け止める感性を持った人々の魂に振動してゆく。それが美の世界で作動する時、人は<芸術>と呼ぶ」
「ヒルマンですか?」
「うむ、だけではないけれどね」
「A.ウォーバーグが、S.ボッティチェッリのアフロディーテがその長い髪を海風に乱され、西風のゼッフィロのひと吹きが時の女神オーラの差し出すマントウを膨らませるその瞬間の動きに垣間見た古代ギリシャの<gensto vivo  ジェスト ヴィーヴォ>にニンフの幻影を見たと言われているけれど、いったいニンフの正体とは何者なの?」
「そうだねえ、我々自身が意識できない魂の深淵の混沌の中に、ひっそりと生息しているエネルギーのシムボルとでも言えるかな、、、君を虜にしたC.クライバーが命を吹き込む音楽は、実はA.ウォーバーグがS.ボッティチェッリのアフロディーテに垣間見たニンフの<gesto vivo >だったと思う。
 *gesto =身体の動き vivo =命の宿る
                    つづく

   


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