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きゅうくらりんとドキドキ文芸部から彼女の心情を語る


まず初めに、私はアホです。
未熟な知識と解釈で物語を展開するのでついて来れない人は読まない方がいいです。
(ネタバレ注意)まずはドキドキ文芸部の方から解釈を広げていくよ
ドキドキ文芸部は所謂ギャルゲーで無料で遊ぶことが出来ます。鬱的な内容を含まれる為リタイヤする人が多くて有名です。いきなり読んでも理解不能かもしれませんが、鬱の1部分を解説出来たらなと思います。(めちゃくちゃ眠いのでかなり内容ごちゃごちゃです。)
ぶっちゃけ鬱より鬱です。理解できない人が多いと思いますが、これを歌にして不協和音を巧みに使いこなして表現しきったいよわさんは凄い方です。(いよわファンでは無いよ。)気になった方は「きゅうくらりん」で調べてみると良いかもです。


サヨリ(ドキドキ文芸部の1人のメンバー)と主人公は幼なじみで、いつも登下校を一緒にするくらい仲の良い友達。けれど高校生になってサヨリの寝坊が多くなってきた。主人公はそれに嫌気がさして、待たないてあげる事が多くなっていった。サヨリが急いで身支度して、自分の事を置いていった主人公に追いつくと、結局待っててくれたんでしょ〜と言うシーンがゲーム序盤ではある。自分の事を待っててくれる人がいるから朝起きれるという幻想に縋ってないと生きていけない。とその時私は捉えた。その他諸々の会話を見ると、サヨリが主人公に恋心を抱いているということが分かる。

昔みたいに朝起こしに来てくれればいいんだよ!とサヨリに言われますが、
=自分が起きる理由になる。迎えに来てくれる人がいるという安堵感。にもしかしたら溺れているのではないか?と後々になって感じ始めてくる。

サヨリの髪は整えられていなくて、身だしなみもよろしいとは思えない。服装のボタンをとめずにだらんとした格好。物語では朝ごはんに卵を挟んだトーストを食べた!というセリフがあったが、これらはきゅうくらりんのくらりちゃんのビジュと似ている。
このようにかなり伏線が序盤から張り巡らされているゲームなので、オススメはしませんが、後学のために心理を勉強したい方は見てもいいかもしれません。

サヨリは天真爛漫でおバカさんでよく笑うという印象が強い女の子だ。仲を取り持ったり、いつもニコニコ笑っていたりする。そんな彼女を軸に物語の序盤はどんどん渦巻いていく。

ドキドキ文芸部の部員それぞれが詩を書くというイベントがあるが、サヨリが最初に書いた詩を提示する。
詩や絵は自己を投影させるのにはもってこいの媒体だ。芸術は意識の根底にあるものを反映しやすい。だから嘘偽りが少ない世界だと私は考えている。以降が彼女の詩だ。

「親愛なるお日様へ。

ブラインドから差し込む朝の陽射しで、きみが寂しかったのがわかるよ。
額にキスをしてくれるとベッドから起き上がれるの。
目をゴシゴシして眠気を拭う。

表に出て遊ぼうって誘ってるの?
雨ならいいのにって思ってないか確かめているの?
上を仰ぐ。真っ青な空。
ヒミツだけど、わたしもきみを信じているよ。

キミが居なきゃずっと眠ってられるのにね。
でも怒ってないよ。

あさごはんたべたいな。」

次の詩を書く時「良い詩を書いてくるね!」と主人公に言い、サヨリはまたひとつの詩を作ってくる。
「ビン

クッキー缶のフタのように、頭をパカッと開ける。
私の夢を全部詰めた、ひみつの場所よ。
小さな日光のボールが集まって、子猫のように擦り寄ってくる。
親指と人差し指とでひとつつまむ。
あったかくて、ちくちくするの。
でもうかうかしてられない!大切にビンにしまう。
そのビンを、他のビンと同じように棚に置いていくんだ。
ビンが並ぶ、その中にはシアワセ、シアワセ、シアワセ。

私のコレクションが友達の輪を広げたよ。
ビンの中身は償いの星明かりになるの。
友達が何かを感じて仕方がないとき。
こういうときにビンが役に立つのよ。

夜な夜なの夢、ふくらんで。
ぞくぞくともだち、ビンは増える。
わたしの指はより奥へ、奥へ。
まるで、暗い洞窟の中でいたるところに隠されたヒミツを探るような。
掘って、掘って。
削って、削って。

フタのホコリを吹き飛ばす。
いつの間にか時が過ぎてる。
もっといっぱいあっはずの、空っぽの棚。
鍵のかかったドアの向こうから友達の視線を感じる。

やっとできたよ。ドアを開けると、友だちが入ってくる。
ドタドタと押し寄せる。そんなにビンが欲しいの?
わたしは必死に棚から次々とビンを取り出す。
友達ひとりひとりに持たせていく。
ひとつひとう、全部のビンを。
だけど渡すたびに、足もとのタイルで粉々になっていく。
床にぜんぶ、散らばるシアワセ、シアワセ、シアワセ。

ともだちの、笑わないともだちの為だったんだよ。
みんなみんな叫んでいる。訴えている。何かを。
ただ聞こえるのは残響、残響、残響、残響、残響
私の頭の中で。」

詩は自己投影と言ったが、この子は良い詩を作ってくると言ってこの詩を持ってきたので、自己の闇を反映している訳だが、エンターテインメントの一貫として強調していて、まだ奥底に闇を隠しているのが予測できる。

ほかの文芸部のメンバーとも詩を通して、同時進行で仲良くなるのだが、サヨリが放課後に、主人公に「ユリちゃんに一緒に帰ろうって誘われたら、断る?」と聞くシーンがある。
主人公は、引っ込み思案のユリちゃんの誘いを断るのは酷だから一緒に帰ると思うと答えるのだが、それに対してサヨリは「まぁ、そうかもね…でも私こういうの考えるの好きなんだ。私が貴方にとって必要なくなる日も近いね」と答える。
「お前の代わりはいないのだからそんなことを言うな」的なことを主人公は言いますが、「うーん…そうなのかな…」とサヨリは浮かない表情で返します。

サヨリの言動はゲーム序盤から全て、ある感情で一貫している。「主人公にたくさんの友達ができて欲しい。主人公がほかの友だちと幸せそうにしてるのが私にとって一番大事」
しかしこの詩や会話を通していく上で、どんどんサヨリの奥底も発言の意図さえも見えてくるような気がする。否、奥底ではなく、まだ底の上澄みだけ見えてるのかもしれない。どんどん自分の存在を無いものにしていくサヨリの姿が映し出されている。(ような気がする。私が頭おかしいだけかもしれない)


ある日を境にサヨリは音沙汰が無くなる。主人公は心配になり彼女の家に訪問する。
玄関に立ち入ってもサヨリの降りてくる様子もなければ返事も無い。
この時点で勘の良い人は、最悪の場合を考えることが出来るだろうが、実際サヨリは部屋に引きこもっていただけだった。

いつものサヨリでは無かった。

その後のサヨリの言動には目も当てられない。
「私が弱かったせいで感情を表に出してしまったせいで、主人公に心配をさせてしまった。ここへ来る必要も無かったし、私のことも考える必要もなかったよね。でもこれが、私に対する罰なんだよ。世界は私を苦しめたがってるんだ。えへへ〜」と空っぽの笑顔で言う。
「私はずっと昔からこんな感じなんだよ。」
「私はずっと前から鬱病をかかえてたの。なんで毎朝学校に遅刻してるかわかる?いつもベッドから起きる理由を見つけられないから。無価値な私がやるようなことは何もないもの。なんで学校に行くの?なんで食べるの?なんで友達を作るの?なんで他の人が頑張った分を私が無駄遣いをしてしまうの?そんなに気分になるの。だから私はただ皆を幸せにしたい。私の事なんか誰にも気に掛けられずに。」
決定的な自己肯定感の低さ。思い描く幸せの背景の中に自分が入っていないという事。みんなが幸せならそれでいいという表向きは完全なキャラを作り、裏向きでは大きな闇を抱えている。
少し分からない人向けに話すのなら、自分なんか気にしないで、他の人には幸せになって欲しい。他の人が幸せになるなら私は捨てられてもいいと思っているという事。それは性格を作ってる訳でも上辺だけの綺麗事を言ってるわけでもなく、本当に心から思っていること。けど同時に幸せになりたい私もいる訳で、その私を少しでも主人公に見せちゃった。私の心が弱いせいで。という事だ。(頭がおかしい私なりの解釈)

続けてサヨリは言います。「主人公は何も分かってないよ。どうして今まで私が隠してきたか知ってる?もしこの事を知ったら、主人公は自分がしなきゃいけない事よりも私なんかのために努力を無駄にしちゃうでしょ?私は構われたくない。誰かに気を使われると切なくなってくる。たまには心地がいいけどね。あはは〜…。だから貴方には他のみんなと友達になって欲しかったの。みんなが幸せになることが私にとって1番だから。」

主人公はサヨリをギュッと抱き寄せお前の事を助けるからなと言います。サヨリは涙を流すけれど、抱き返す事はしません。

自分には愛せる自信すらない。だって彼が愛しているのは、私ではなく、まだ深い精神の奥底の内の上澄みな私だけなのだから。
けれど、この受け入れてくれた愛に、私は涙することしか出来ない。醜い私も少しは受け入れてくれたのかな。それだけで私は少しでも報われた感じがする。幸せだ。幸せなんだけどこれが幸せだと感じれない…。
彼は彼の人生があって、皆と幸せに生きる自由がある。こんな私に目をくれてやる暇なんか無いのに。私はなんて自分勝手なんだろう。自分勝手なのに、こんな私に優しくしてくれる彼に、私は涙が止まらないの。
この痛みこそ本当の罰なんだ。もう私は救えない人なんだ。
本当に簡潔に心情を描写するならこんな感じでしょう。

その後サヨリは自室にて自殺します。


サヨリは主人公の事が好きだったわけですが、私は愛されるべきではないと心から想っていたわけだ。だから人の幸せを願うことで自分の幸せにとって変わっていた。けど他の部員と仲良くなるにつれ、自分の心も痛くなってくる。主人公の幸せを願う反面、好きな主人公が他の人と仲良くしているという嫉妬の2つの存在が、互いに相反しているから。その痛みが私への「罰」として表現しているのかなと思う。誰にでもある痛みが、こんな底辺の私が彼を愛してしまったという罰に起きかわってしまう事で、罪の意識をさらに加速させる。
しかし私の罰はそんな生半可なものでは済まなかった。抱き寄せられた後に本当の波が彼女を呑み込み、行き着く先に絶望してしまうのでしょう。


よく優しい人こそ自殺すると言うが、これには賛否両論がある。うつ病にかかると他人のことなど考えられず自分のことで精一杯になるという意見があるからだ。でもサヨリは他人の幸せを願うと終始言い続けている。それが他人へ自分の優しいというイメージを定着させるためなのか、自分に言い聞かせているのかは不明だが、もしかしたら鬱な私が幸せになるために、他人の幸せを眺めていたいという欲望の表れだったのかもしれない。それを人はうつ病だとは思わない。それは優しい人のそれだと捉える人が多いのだ。

鬱の真骨頂。それは私以外の他人に興味を示せなくなること。無関心だ。サヨリは多分、他者には無関心だけど人の幸せを願う事が優しいことなのだと感じる。優しい自分を作らないと息を吸うことさえ出来ないから。
人は誰しも苦手な人がいるけど、サヨリは他人を全て良い子だと信じてやまない。否、欠点が見えても私ほどの欠点では無いと自己完結してしまう。だから他人を嫌いになることもないのだ。無関心でいたいからこそ、自分に優しくしないで欲しいのだと思う。優しさを与えられたら私も優しさを与えたくなっちゃうから。私はいつもの日常を続けてればそれでいいの。けど主人公だけはその対象外で、いつもの自分を貫き通すことが出来なかった。なぜなら大好きだったから。

1作品目の詩の事だが、親愛なるお日様をなにかのメタファーとして捉えるなら、正に主人公のことを指しているのだろう。主人公の存在がいるからこそ、私は朝起きれる。朝起きていい理由になるし存在理由にもなる。自分には存在価値がないと思い込んでても、些細な幸せに気付かないふりは出来なかったと解釈する。この詩自体は幸せを象徴しているんじゃない。朝日という絶望の中に少しの光があるからこそ、私はあさごはんをたべたい、と思うのだろう。主人公に会いに行く為に。

2作品目の詩の事だが、私は学が無いのであまり深堀できない。深堀することさえ失礼な気がする。自分の感じる幸せというものを置いておいて、人の為にその幸せを使う。慰めたり気を使ったり、助けてあげたりするけど、どんどん自分の幸せがなくなっていく。幸せが枯渇した自分を長期化したせいで、鬱状態になっちゃった。自分のことを蔑ろにして他人の幸せを願うことしか出来なくなってしまったという事でしょうか。幸せが枯渇した私にはもう他人を救ってあげられる余力さえ無いの。残るのは残響、残響、残響。頼られるという圧力。けど他人の幸せなら自分を引き裂いてでも日常を存続させる。そんな印象が感じられる。
この圧力という単語が、きゅうくらりんのサビにも影響してくるのかなと思う。(あ〜化石になっちまうよの部分。化石は何年もかけて圧縮されて固まるため)こんな私の詩を、芸術だとサヨリは思ってしまう。私の悲劇こそ芸術で、理解されないものだとわかっている。だから他の文芸部メンバー同士が喧嘩しても、彼女は人と争うことが極端に少ない。なぜなら極限の負の感情を持っているせいで、どんな事にも本当はもう興味が無いから。どんな事をしても幸せは戻ってこないのだから。

実はかなりショッキングな内容だからサヨリの3作目の詩は公表しなかったが、現実の自分と理想の自分が乖離している状況がゲームでは如実に描かれている。耐性のない人はここからのシーンは見ない方がいいと断言できるほど内容がグロテスクでリアル。

また主人公もドキドキ文芸部に入ってるわけなので当然詩を描きます。詩を書く時にあるキーワードを選択すると3人のドキドキ文芸部メンバーがそれぞれ反応します。サヨリが反応するキーワードはこんな感じ。
* 花火
* 羽根
* バラ
* 晴れ
* 悲哀
* 悲劇
* 悲惨
* 悲嘆
* 不器用龙
* 不幸
* ベッド
* 冒険
* 報われない
* 約束
* 闇
* タ暮れ
* 許し
* 陽気
* 喜び
* ロマンス
* 笑う
* 絶望
* 大切な
* 怠惰
* 宝物
* 楽しい
* ダンス
* 特別な
* 飛ぶ
* 友達
* 泣く
* 涙
* 並はずれた
* 虹
* パーティー

きゅうくらりんの歌詞にも虹が入ってたね。

さてきゅうくらりんの解説をしましょう。
1作品目の詩を見ると朝が来て嬉しいのではなく、朝が来ることで鬱な1日がまたやってきたという感情が読み取れる。これはきゅうくらりんも同様。
しらけた顔 変わってなくてよかった。これはいつもの私が作れているかどうか。変じゃないよね私。を確認している。サヨリの気持ちを代弁するなら、人を幸せにする、笑顔にするために、いつもの私を作ってから学校に行かないといけない。けれど作る私に疲れて、学校に行くのが嫌になってきた。寝坊も増えてきた。そんな感じだろう。
取り繕っていたいな。ちゃんと笑えなきゃね。大切な取り柄もないから。
みんな私の事心配しないように私は私を作っていよう。己の闇を隠して生きようという意思。私には心配される価値すらないのだから。醜い私を気遣う必要なんて1ミリたりともないんだよという意味。

空っぽが埋まらないこと。全部バレてたらどうしよう。
どんなに人に幸せを分け与えたって自分に幸せはやってこない。幸せの棚はガラ空きで、幸せがなんなのか忘れてしまった。だから私は満たされることがない。心は空虚なままだ。なんなら私は不幸を呼び寄せる存在だと思ってしまうのだろう。
バレてしまうと、他人は私なんかのために労力を割くだろう。そんなことは嫌だ。私に構わないで欲しい。私に構ってしまうと私の奥底に触れて戻って来れないって私が1番わかっているから。私に触れたことで普段の私が壊れてしまうから。

喜びより安堵が先に来ちゃった。
私なんかが幸せに恵まれる必要なんかない。今日も昨日も明日もいつも通りに私は演じ続けれる。それに対する安堵。みんなが今日も幸せにいる事が出来たという安堵感。

けれどうつる細かなヒビがこんなにも恐ろしい。この偽りの日々がいつまで持つのだろう。壊れてしまった時、私はどうなってしまうのだろうという不安。それに対する罪の意識があまりにも大きすぎて溢れてしまいそうな様子を表しているのかな?

ああ、あなたが知ってしまう。
サヨリが主人公に内なる感情を告白する時、相当の覚悟が必要だった。こんな醜い私でも愛してくれるのかなと心配もする。あぁ、やっぱり私には全てをさらけ出す覚悟なんてないや。そう思ってまた取り繕っていたいなとなってしまう。

幸せな明日を願うけど、底なしの孤独をどうしよう。みんな幸せになって欲しい。幸せになって欲しいけど、誰も私には幸せを与えてくれないの。幸せを与える必要すら私にはないの。だから私は生涯孤独で、良くも悪くも今が一番いいと思うのでしょう。作っている私がみんなを助けてあげる。みんなが幸せになることが、自分の幸せを投影していると捉えていいでしょう。

ああ、あの子の言う通り、終わりなんだ。
このあの子は、ドキドキ文芸部のモニカという少女に言われたということです。モニカはゲームの流れを自由自在に操れる言わばMC的な立ち位置の少女で、全ての結末をコントロールします。全て事の顛末を支配しているドキドキ文芸部の部長と言った所でしょう。
空っぽが埋まらない貴方を救う手は無い。とでも言われたのでしょうか。

けどその後にサヨリは主人公に抱きつかれながら、お前を助けると言われるわけです。
久しぶりの幸せの味にサヨリも理解不能だったんでしょう。サヨリは抱き返さなかった。私は幸せを味わうべき人では無いと深く根付いているから。
でもこの幸せを失うのは辛い。この幸せを感じてしまっている事すら辛い。彼に気を遣わせてしまう事も辛い。けど、この時間が過ぎ去ってしまったら私はもう私ではなくなる気がすると確信しているのでしょう。この辛さを彼女は愛した罰と言う。だから私は優しい彼の胸の中で静かに泣くのだ。
そんな死の前日に起きた幸せを夢に見ながら私はこの世から去る。この罪を真正面から向き合うには私は弱くなりすぎてしまったのだから。

私は私が幸せでいることを許せない。上澄みだけで生きて生きたかったのに、私の弱さがそれを壊してしまった。私は愛するに値されない人間。だから私はもう目を開けることなく、永遠の眠りにつきたい。最後の幸せを夢みながら、私は奥底に身を委ねるの。
私がいなかったら皆はもっと幸せに生きていたという事に、気付かぬフリが出来なくなる前に。

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