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【読書記録】古賀史健『さみしい夜にはペンを持て』【自分が自分の味方であれるように】

美しい表紙に惹かれて手にとった本です。
内容も挿絵を交えながら、児童文学を思わせる読みやすさで一気読みしてしまいました。


心でただ思うことと、文章に起こして考えることの違い。
日記を書くことの大切さ。
心に響くことの多い内容でした。

下記、大事だと思った部分を引用します。

「ああ。おじさんはね、こんなふうに思うんだ。だれかに話すとスッキリする。それは頭のなかを大掃除するような気持ちよさじゃないかって」

p.39

「そうだ。おじさんの頭のなかにも、タコジローくんの頭のなかにも、たくさんの『ことばにならない思い』が渦巻いている。コトバミンの泡としてね。しかもその泡は、つまり思いは、放っておくとどんどん増えていく。頭のなかがまっしろに濁って、なにも見えなくなるくらいに増えていく。だからこうやって、コトバクラゲたちに片づけてもらうんだ」

p.40

「もちろんさ。タコジローくんは、文章を書くのが苦手なわけじゃない。ただ、ことばを決めるのが早すぎる。手っ取り早く、便利なことばで片づけている。ことばを探す面倒くささに、屈している。おかげで、自分の気持ちから離れた文章になっている。それだけのことさ」

p.85

「家族や友だちと一緒にいるのに、さみしい。だれかとおしゃべりしながらも、さみしい。友だちもいて、家族もいる。笑顔もあるし、たのしい時間もある。それでもやっぱりさみしいんだよ」
「友だちがいるのに?どうして?」
「そこに『自分』がいないからさ」
(中略)
「そこまではおじさんにもわからない。ただね、ひとりになりたいのは『みんなと一緒にいると、自分ではいられなくなる』からなんだよ。会社とか、家族とか、タコジローくんで言えば学校だとか、そういう場所でずうっと『みんな』のなかにいると、なんでもない『自分』ではいられなくなるんだ」

p.96~97

「日記を書くのはね、自分という名のダンジョンを冒険することなんだ。終わることのない、日ごとに変わるダンジョンをね。それでもダンジョンを進んでいけば、すこしずつ謎が解けてくる。自分が何者なのか、わかってくる。きょうひとつの日記をつければ、1面クリア。あしたにまた日記をつければ、また1面クリア。そんなふうにして、どんどん自分の奥深くを探検していくんだ。――どうだろう。ちょっと、おもしろそうだと思わないかい?」

p.103

「だってぼく、なんとなくイライラしてただけだよ?そういうことって、おじさんもあるでしょ?どうして『なんとなく』のままじゃダメなの?」
「なにも解決しないからだよ。なんとなく、イライラする。なんとなく、不安になる。なんとなく、嫌いになる。そうやって、自分の感情を『なんとなく』で片づけていても、なにも解決しない。コトバミマンの泡は残り、膨らんでいく一方だ」
「でも、感情に答えなんかあるの?答えなんか見つかるの?」
「出すんだよ」
 おじさんは、かなりはっきりした口調で言った。
「答えは、見つけるものじゃない。出すものだ。いまの自分が『あのときの自分』の感情に、答えを出す。あのときの自分はこうだったはずだと、答えを決める。そうやって決めないことには、なにひとつ書けないんだ」

p.127

「そうだね。忘れるってさ、とってもいいことなんだ。ぼくたちは、前を向いて進んでいく。あたらしい出来事を受け止めて、あたらしい記憶で心を埋めて、古い記憶を消していく。景色は流れ、記憶も流れていく。それが前に進むってことなんだからね」

p.274


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