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第24回後半_軽薄と誠実_第11回耽楽的楽曲紹介

片倉洸一の耽楽的音声記録
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1:軽薄と誠実
・人間関係への態度の測定基準 軽薄――――誠実 どっちに傾く?
・誠実さ―正直でいられるか、無理をしないでいられるか
・軽薄さ―表面的な反応だけしてよく逃げる傾向が強い。曖昧に済ませて返事をはっきりしない「日本的」反応の典型とも言える。
※「軽薄」を「社交的」と良さそうに言い換える事も可。

2:軽薄な連中の見本市
例1:邪口―自分から言い出した「読書会」を放置、シェアハウス仲間も同類で全て放置されて逃げられる。ざまあ

例2:B(邪口、古情らがいたシェアハウスの家主)―大学時代に色々と手を出しては放置して退学、ついには映画監督志望になって同居人らと共依存関係を形成、同居人の善意を利用して使い倒して制作した「映画」で下手な成功経験を経て所在不明。どこまでも他人に依存しなければ何もできない〇〇野郎。

↑こいつらの共通点―周りの人間に影響を受けて自分も何かできると錯覚して何もできない軽薄なワナビー。末路は本人以外容易に想像がつく。
※幡ヶ谷のシェアハウスは家賃折版だった模様(古情談)。周囲のお情けで成り立っていた場所が崩壊するのは必然だったわけです。

例3:4月に誕生日だったS氏―自分から始めた話を元気のいい返事をして放置。そこから誕生会にて数年ぶりの再会。そんなのが中心の誕生会が軽薄さで満ちてるのは当然。事業主ってそんなのでいいのか。
例4:Sに近しいU氏―前回のMさんの話についてダメもとで尋ねたら、予想外にいい返事が来てやはり放置。やはり同族。そんなんなら最初から返事しない方がいいぞ。

↑間違ってもこの手の連中と金の絡む約束はしない方がいいでしょう。自分から始めた会話、宣言すらまともに完結できない奴らなのだから。例の誕生会が片倉にとって地獄だったのはこの点から見ても納得。

3:軽薄と誠実の友人関係
・軽薄な連中は最初の返事だけはいい
・類は友を呼ぶ―軽薄な連中に近い人間ほど軽薄、誠実な人間に近い人間ほど誠実であると思われる。軽薄な連中の周りには同じような生き物しかいないのも当然。
※性格も趣味も正反対なのに相性が良い、みたいな組み合わせも結局は当人らの軽薄度、誠実度という点は似てるためだと思われる。ここが違えばいくら性格が似ていても相性は悪い。
・軽薄と誠実の「友人」―基準からして違う。よって、数も違う。
・軽薄な連中の利用法―関係の初期段階だけは得意なので無駄に広く浅い人間関係を持っている。連中からある程度離れたところの誠実そうな人間と知り合うのには使えるかも?
・誠実な人間に「友人」が少ないのは当然である―出会うのも関係を形成するのも難しい。ただし一旦始まると独自の人間関係が形成される。
※よくある人見知りと社交的な人間の性質にも通じてる。
・古情の誠実さの分析―誠実で自分の役割にも忠実な故にBとの依存関係に甘んじていた。

4:耽楽的楽曲紹介第11回耽楽的楽曲紹介陳鴻宇「火燒雲」
https://note.com/brainy_azalea673/n/n7aec676ef3f7
・中国の同世代が歌う「現代」に共鳴
・内モンゴル自治区出身の漢民族という文学的な出自
・日々の繰り返しの合間に途方に暮れる哀愁
・現代的でいて普遍的なFolkの体現者陳鴻宇の哀愁に誠実な人間は頷く。

自分に対して誠実な貯金や人は信用して、貴方が同類でもない限り軽薄な連中は避けろ!または軽薄には軽薄で返すのが得策。

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