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この書籍を読んでいる途中で綴っておきたいこと

「叱らない」が子どもを苦しめる
藪下 遊・髙坂康雄 著 (ちくまプリマ―新書)を読んでいます。

この書籍をネットで知った時、
「?」という気持ちと、「うんうん」という気持ちの両方がありました。

その本の紹介欄に、「褒めて伸ばす」が定着してきたが、
それだけでは・・・という内容があったからです。

「褒めて伸ばす」ということをかなり強く意識して実践してきた、
実践している僕としては、「え?」という気持ちがわきました。
と同時に、感情的に「怒る」のはダメだけど、
「叱る」は場面によっては必要だよなぁ~という考えもあるので、
「叱らない」というのは確かに「どうかなぁ?」という気持ちも
あったからです。

これは、タイトルや前書きだけでなく、
「全部読んでみないと!!」となり読み始めました。

今、5分の3くらい読み終えて、今浮かんだことを綴っておきたいと思うようになりました。

20年前の保育・幼稚園の現場時代、
「なんでもかんでも、子どもたちを枠にはめている」ように感じたので、
「それは何か変でしょ!!」と思って、
その枠を壊す、崩すことを一人していた時期がありました。

保育・幼稚園現場の常識は、世の常識と乖離しているのでは・・・
と個人的に感じたりました。

それがある意味、全体としてはよいバランスを生んだと思っています。
(戸惑いや困惑というマイナス面はあったとしても長期的にはよかったと)
枠は消えないけれど、
それだけじゃないということを示すことで、
子どもたちに変化が生まれ、
そこから、保育者の意識の変化や保護者の意識変化にも繋がったと
思っています。
(もちろん全員ではありません)

そう、世の中はそういう複雑なもので、皆同じなんて無理です。
地域は、園は、その凝縮だと思っています。

ただ、その現場時代の後半に変化を感じます。
僕の考え(方向性)に賛同している職員が増えてくると、
全体として何でもありのような雰囲気になっていったのです。
そんな中で、僕が率先して、「枠」を設けていた気がします。

「言葉」というのは本当に難しく、
言葉の捉え方は、保育者によっても違ってくるので、
微調整が日々必要になります。

例えば、「寄り添う」ことの大切さを伝えると、
「いいなり」に近い対応をしてしまう保育者も出てきます。
その子の「やりたくない」という気持ちに対して、
「残念だったね」とか、「こっちがやりたかったんだよね」と
「一緒にしてみる?」といった共感や対応はして欲しいけれど、
「じゃぁ、やらないで好きなことしていいよ」とはならないわけです。

この書籍の筆者も、「褒めて伸ばす」ことは大切だけども・・・と
ここ数年の社会の風潮に危惧を感じ、
提案をしています。(ネタバレになるので詳細は書きません)

もう少ししたら全部読み終わりますので、
また感じたことがあったら書きたいと思っています。

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