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【お題小説】13.「見えないでしょ?」「見えるよ」

「カナ!」
 下校中、カナが前を歩いているのが少し遠くからでも見えて、声を上げた。カナは完全に目が見えないわけではないけれど、見える範囲がものすごく狭いらしい。それで白杖をついているから、歩く姿は特徴的ですぐわかる。
 あたしの声が聞こえたのか、カナは壁際に少し寄って立ち止まってくれた。カナの傍まで走っていく。背負ってる赤いランドセルがはっきり見えるところまで来て、あたしは足を止めた。
 最初は、光の加減で変に見えるのかなと思った。でもカナのすぐ後ろまで近寄ると、はっきりわかった。
 赤いランドセルに赤いペンの文字。目立たないけど、でもカナのランドセルはまぐろのお刺身に似た落ち着いた色で、そこに鮮やかな赤で書かれた文字は、見間違えとか気のせいなんかじゃすませられなかった。
『きえろ』
 文字の赤よりも強烈な言葉に、あたしはその場に立ち尽くした。
 なんで、こんなことが書けるんだろう。
 カナがあまり目が見えないから? カナは視力を失いたくて失ったわけじゃないのに。
 何をどうしたら、こんなひどいことができる人間になるんだろう。
「メアちゃん?」
 進行方向を向いたまま、カナが戸惑った声を出した。一度カナの名を呼んだきり黙ったままだったことに気づいてはっと横に並ぶ。
「ごめんごめん。一緒に帰ろ」
 カナの右側少し前に立って、肘の上を掴んでもらった。
 初めて通る道をカナと歩くときは、「少し段差があるよ」とか「道が細いから気を付けて」とかあとは「あと五歩くらい行ったら右に曲がるよ」とか、ちゃんと説明しなきゃと考えながら歩くけど、登下校の道はカナも歩き慣れているから、誘導しなくても心配はない。
 だから余計、何か話さなきゃと焦った。
「えー……あ、今日は晴れててあったかいね」
 学校で色々あったはずなのに、なんか全部頭から吹き飛んじゃって、とりあえず口から出せたのは天気のことだった。
 カナは答えずに、くすりと笑った。
「なに?」
「ランドセル、悪戯書きされてる?」
 質問に質問で返されて、危うく立ち止まりそうになった。あんぐり口を開き、それでもなんとか足を動かして、カナを見つめた。
「メアちゃんの反応。やっぱりそうなんだね」
「見えないでしょ!?」
「うん。見えないよ」
 じゃあ、なんでランドセルに何か書かれてるってわかったんだろう。
「メアちゃん、わたしのすぐ後ろで少し立ち止まってたでしょ。何かを見てる気配がした。それに、今、気になってることがあるけど無理やり明るい話題出そうってがんばってるから……きっと、何かいやなものを見たんだろうなぁって」
 こんなに哀しいことを説明してるのに、カナはくすくす笑っていた。
「でも、だからって、ランドセルに落書きって、そんなことまでわかるもの?」
「だって、初めてじゃないからね」
 カツカツカツと、白杖がアスファルトを叩く。
「前も、おかあさんが消してくれたみたいなんだ。朝になったら、ランドセルから油っぽい、なんかツンとする匂いがしたの。たぶん、油性ペンで何か書かれてて、消してくれたんだなって、思った」
 そんなこと、全然知らなかった。そんなこと知らないくらい、カナはいつだって穏やかに笑ってた。
 なんでそんな風に笑ってられるのか、意味がわかんない。
 カナの顔は、今日みたいなぽかぽかお天気の日差しみたいに温かくて、あたしの方が泣きたくなった。
 外だから泣かないようにってグッと目元に力を込めて、でもふと「涙流れてもカナには見えないんだな」なんて思ってしまって、そんなことが頭に浮かんでしまった自分がショックで、余計涙が込み上げてきた。
 目の端にぎりぎりまで溜まっていたものが、堪え切れず溢れてほっぺたに流れた瞬間、
「そんな顔しないで」
 カナが困ったように、でも相変わらず優しい声で言った。
「見えないでしょ?」
 あたしがどんな顔してるかなんて。
でも、
「見えるよ」
 カナの柔らかな声があたしのほっぺたをふんわり包んだ。
「見えるよ、メアちゃん」
 カナは正面を向いてて、あたしの方に顔を向けたりしていない。カナの視界からしたらあたしの顔は見えないはずなのに。でも力強い声は、嘘じゃないってはっきり伝えてきた。
 しゃべったらしゃくり上げてしまいそうで、何も言えなかった。
 そんな顔しないでと言われたのに、ぼろぼろぼろぼろ涙が溢れて止まらない。
 どうせ止まらないならと流れる涙を拭わずに、あたしの左肘に手を添えるカナの手に、自分の右手を重ねた。
 視界が揺れて何も見えない。
 ただカナの手の温かさと、微笑んでる気配は、はっきりと見えた。


お題はお題配布サイト「腹を空かせた夢喰い」様からお借りしています。

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