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【小説】天使たちのわらう顔

「ユウちゃん、テストの点数みせて」
「わー、すごいね」
「さすがユウちゃんだね」
「頭の出来が、みんなとは違うもんね」

「ユウちゃん、走るのもすごーい」
「ユウちゃんだけ別次元だよね。みんなと離れすぎて、ひとりで走ってるみたい」
「球技もすごいもんね」
「ユウちゃんのドッチボールの球、誰も取れないよ」
「さすがユウちゃんだよね」

「ユウちゃんは、本当にすごいね」
「天使みたいだね」


 緑茶がすっかり湯呑の中で冷め切り、内ポケットの煙草に手をかけては隣に座る澤北から「学校ですから」と止められてハッとする、ということを四回ほど繰り返したところで、ようやく相手が応接室に顔を出した。
「お待たせして申し訳ありません」
「お忙しいところ、ありがとうございます。花竹ユウさんの担任の、久喜見先生ですか」
「はい」
 社交辞令はもっぱら澤北に任せて、高野は目の前の女性教師を見据えた。
 髪を黒く染めているようだが、五十代前半といったところだろう。小太りで、銀縁の眼鏡をかけている。偏見かもしれないが、いかにも「小学校の教師」といった然だ。
 眼鏡の奥の瞳は、沈痛そうに伏せられてはいた。だが体勢を見ると、ソファーに深く腰を下ろし背凭れに寄りかかり、指先は強張ることなく膝の上で上品に揃えられている。
「早速ですが、花竹さんについて聞かせてください。何故朝、彼女が屋上に行っていたかご存じですか」
「いいえ。あそこは立ち入り禁止のテープを貼っていて、子どもたちにも入らないように言い聞かせています」
 よく通る声で、はきはきと喋る。後ろめたさなどは見受けられない。
「まさかテープを剥がして勝手に入って、自殺するなんて」
 高野は目を眇めた。
「自殺かどうかはまだわかりません」
 敢えて言葉少なに告げて、相手の反応を窺う。
 久喜見はゆっくりと首を傾げた。
「……でも、屋上で、ひとりで、飛び降りたんですよね。自殺以外ないのでは?」
 この情報を出していいか、一応後輩の澤北にも視線で問う。彼が僅かに顎を引いて了承の意を示したのを確認してから切り出した。
「花竹さんは、地面に仰向けになって倒れていました。自殺した遺体というのは、うつ伏せになっていることが多い。もちろん、仰向けになるケースもあるので一概には言えません。ただ、現段階で自殺と決めつけるのは早計かと」
「まあ。そうなんですか」
 自殺以外となると、事故か――事件か。
 それを聞いても、久喜見の反応は鈍かった。何かを隠そうなどといった焦りは見えず落ち着いている。
 ただ落ち着きすぎている、と思った。
 自分が担任しているクラスの子どもが死んだら、もう少し動揺するものではないか?
「捜査はこれから進めていきます。まず先生に、花竹さんについてお伺いしたくて」
「そうですねぇ……。亡くなった子のことをこんな風に言うのはあれですけれど……なんといいますか、鈍い子でした。あの子なら、屋上からうっかり落ちたとしても、驚かないくらいに」
 高野は手帳を開いて、メモを取る体勢を見せた。
「鈍い、とは」
「勉強も運動もさっぱりで。走らせると、他の子たちから周回遅れになるほどでした。球技をやらせても、明後日な方向に投げてしまって、ゲームが成り立たなかったり。決して態度が悪いというわけではないのですけれど、ある意味問題児でしたね」
 久喜見の口調は淡々としていた。
「なるほど。先生から見て、花竹さんはそういう子だったんですね。……そうなると、クラスで浮いていたのではないですか。いじめなどは?」
 相手は目を見張り、初めて大きく感情の動きを見せた。
「とんでもない! 確かにクラスで浮きそうにはなっていましたが、みんな優しく、声をかけていました。ユウちゃんユウちゃん、と孤立しないように、常に気を配ってくれていました」
「そうですか。当日、クラスの子たちは?」
「全員、私が教室に入るときには揃っていました。いなかったのは花竹さんだけです。あの子たちは絶対にいじめなんてしていません」
 膝の上で拳を握って力説している。今日亡くなった子どもについて語るときよりも、ずっと熱が籠っていた。
「随分、クラスの子どもを愛してらっしゃるんですね」
 花竹ユウについて冷淡な久喜見の態度を揶揄したつもりだったが、久喜見は朗らかな笑顔を見せた。
「ええ。クラスうちの子たちは、天使ですから」

 応接室を出て、人目のつかない裏庭に回る。数人の警察官が、現場を捜査していた。
「……自分のクラスの子どもが死んだとは思えない態度でしたね」
 澤北が、抑えていた憤りを隠さずに告げてくる。
「ああ。あのセンセイは、亡くなった子のことが嫌いだったんだろうさ」
 地面に張られた人の形をした白いロープが、失われた命を強調していた。その小ささがやりきれない。
「子どもたちは天使、か」
 仰向けに倒れていた体。その目には青い空が映っていたのだろうか。……本当に、見たのは空だけだったのだろうか。
「落ちた天使は、最期にいったい何を見た……?」
 高野は煙草を咥え、火はつけずにフィルターを嚙み締めた。



「大丈夫だって、バレないからおいでよ」
「先生、どうせチャイムが鳴ってしばらくしてからしか来ないし」
「早く屋上こっちに上がってこいよ」
「天使は飛べるから、高いところが似合うだろ」
「なに嫌がってるの?」
「私たち、ユウちゃんがどれだけ迷惑かけても、いつも許してあげてるよね」
「ユウちゃんがどんだけあたしらの足引っ張ってるか、わかってる?」
「ユウちゃんだけ俺たちの言うこと聞かないの、ずるいだろ」
「そんなに怖がらないで。大丈夫だって」
「ユウちゃんは天使だから、空だって飛べるよ。ねえ?」
「ほら、飛べよ」
「いつもみたいにグズグズすんなよ」
「さあ、3、2、1!」

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