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溶ける自他境界

この界隈では自他境界という言葉をよく耳にする。
自分と他者との境界、自分と他者は別であるという境目。
自分の考えが全てになってしまうとか、他者の視点を想像できない分自分が見たもの考えたものは他者もわかると思い込んでしまうとか。

これとは少し違うのか?
夫と暮らしていると夫と私の境界線が溶けているように感じる。
(前にも書いた気がするけど見つけられないー)

私が振ったはずの話題なのにいつの間にか私が夫の話を聞く側になっているし、私が頭の中で考えたこうしたいなーを話したらいつの間にか夫が完成させている。
犬が亡くなって空いた部屋を私と子供の趣味の部屋にしてもいいかな?という話をした。
こんなふうにしたいな〜こうしてみようかな?といろいろ妄想しつつ、でも今すぐじゃなく徐々にやっていこうと思うと話していたのに突然夫が一部完成させていた。
見た瞬間ありがとうよりそうじゃないのに…という気持ち。
夫の「良かれと思って」に、そうじゃないんだよ…と言わなければならないのか…と考えると憂鬱になる。
言えば逆ギレ「何をやっても文句を言われる!!もうやらない!!」までがセット。
全部想像通り。
私は頼んでいない。
せめて一言「じゃあ俺がこうしようか?」を言ってくれればこうはならないのに。
というのを15年くらい言っている。
もっと重大なことだったら本当に困るからずっと言っているのに…。
「お前はいつも時間がない時間がないって言って、俺がやらなかったらどうなったの?ずっと放置だろ?時間があったから俺がやったんだよ!俺がやったほうがうまいしな。」とか、論点がずれていく。
「論点じゃないんだよ!お前はこの部屋の話をしただろ?まずはこの話を片付けろよ!」
論点なんです…。
このやり口が常。
どれだけ心をすり減らしたか…フラッシュバックに耐えながら返事をした。
「部屋の話は大したことではないの。私が考えていることをあなたが黙って勝手に完成させるのは違うのでは?と言っているよ。なぜ一言言えないの?さっきからそれしか言ってない。10数年ずっと言ってる。わからないなら一緒に子育てできないし、一緒に暮らせません。」
これで話は終わったけど理解はしていないんだろうな。
「お前はいつも横取りした!って言うもんな。普通に話してても言うもんな。」と。
その横取りの感覚がないことが夫と私の境界のなさの現れだと思う。
報連相ができないのもこれなんだろう。
「一言言ってほしい」の一言で何度怒鳴り合いになったか。
境界が溶けていることと言われていることがイマイチわからないのが重なって会話にならない。
だからわからなくてもいい、とにかくなんでも報告してくれたらとんでもないことは起こらないはずだから頼むよ…の意味もわかってもらえてないみたい。

昔はよくお互いにほしいなーと口にしたものをプレゼントしあったりしたもんだけど、それだって趣味が合わなくてこれじゃないんだよな…ってことが多発してやめた。
そんな私たちがお互いに考えていることを勝手にやってうまくいくわけがない。
そんなことより一人で使っている広い部屋を片付けてくれ。
え?時間がないって?おかしいな…。
おかしいよなー?



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