語りえなかった言葉の中に宿るもの
人前で自己紹介したり自己PRするのが苦手だ。
以前の記事にも書いたように就職活動をしていた学生時代、大学のキャリアセンターの担当者からエントリーシートに度々ダメ出しをされた。
今でも社内報の自己紹介や何らかのワークショップ等で簡単なプロフィールを求められる際に、一体何を述べたらいいのか頭を悩ませる。
こんなことを書いたら人にどう思われるかな、と考えて書き淀んでしまい、結局書きたいけれど書けなかった下書き原稿の言葉たちの中に本当の僕が存在しているように思う。
だからオフィシャルな媒体における「自己紹介」に記載された僕は、僕自身だけど当たり障りのない無味無臭な、他の誰かに置き換えても違和感のない僕だからひどく味気ない。
(noteのプロフィール記事はそんなことは一切考えていないけどね)
削ぎ落とされ語りえなかった言葉の中にこそ、真の僕自身を語りうるものが存在していて、だから表面的なものは当てにならない、と考えてしまう。
それに当たり障りのない自己紹介は予定調和的で面白くないし、聴いている方も退屈ではないかな。
誰に対しても常にオープンでいられる人のことをスゴイなと思う反面、僕は本当に僕のことを理解しようとペースを合わせてくれる人にこそ自分を開きたいと願う。
え~…、あの…
言い淀んだり沈黙したり
キャンセルされた言葉や非言語的なものの中にこそ、その人らしさが含まれる。
きっと多くの人はじれったく感じるような言葉にならない時間を共有して互いの持つ空気感に触れて初めて通じ合える。
一朝一夕に人同士は分かり合えるとは思わない。
だけどその対話相手と共にいる時間の中で新しい自分が形成されそうな萌芽を感じるのだ。
今日も皆様にとって良い1日でありますように。
雄弁は銀、沈黙は金。
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