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薩摩の郷中教育

タイトル写真は、たまたま訪れた京極町立生涯学習センター湧学館のホールで中村哲氏の展示があったので立ち寄ってみた時の一枚。

写真パネルと共に展示されていた言葉に胸があつくなる。

中村先生の記事を書こうと思ったけれどウィキペディアを切り貼りしたような内容では先生に対して失礼だと感じたので、しっかり著書を読み込んでから改めて執筆しよう。


さて先日(2024/8/20)、オンラインで開催された自啓共創塾に参加した。

その日のテーマは「明治維新の立役者の生きざまを支えたもの」ということで江戸城無血開城のキーパーソンである西郷隆盛、勝海舟、山岡鉄舟の三者について考察を深めた。

中でも「西郷隆盛の生きざまを支えたもの」という講義の中で紹介された「郷中教育」、「詮議」の話題が印象に残ったので紹介しよう。

郷中教育とは、町内において年長者が年少者を指導するシステムで、特定の教師がいないことが特徴である。一日のほとんどを同じ年頃や少し年上の人たちと一緒に過ごしながら、心身を鍛え、躾・武芸を身に着け、勉学に勤しんだ。

薩摩の人々は、郷中教育の中で
①日新(忠良)公いろは歌(薩摩兵児の行動規範)
②四書五経素読・習字手習い・軍事書研讃
③三大行事(曽我傘焼、妙円寺詣り、義臣伝読み) 
④詮議
などを学ぶという。

このうち④詮議とは、起こり得るけれど簡単には答えが出ない(想定外の)状況をいろいろ「仮想」し、 その解決策を皆で考え合う訓練のこと。

具体的には

殿様の急用で使いをして、早馬でも間に合わない場合はどうするか?

殿様と一緒に乗っていた船が難破した。向こうから一艘の助け舟が来たが、乗っていたのは自分の親の仇だった。どうするか?

館の横の馬場を通行していて、石垣の上からつばを吐きかけられたら、どうするか?

などについて侃々諤々と議論する。

上記で紹介した郷中教育のシステムの通り、特定の教師がおらず身近な年長者が先生なので、一見すると難問に見える「詮議」においても自分の考えを比較的発言しやすい学習環境にあったのではないかと想像される。

こうして薩摩人は物事について起きる前から想定外を考え抜き、事前に徹底して備える習慣が身に付いていたという帰結に納得できた。

この詮議という禅問答のような思考トレーニングは混迷の時代にいかに生きるべきかを考えるうえで、非常に有効なケースワークとなったのだろう。問いに対する答えを導き出すことも大切だが、前提条件を疑ってみたり、問いを膨らませてみたりするなどして自ら考え、他者の意見も参考にしていくプロセスは現代においても大いに参考にるべきだと思った。

今日も皆様にとって良い一日になりますように。

そういえば最新の「暮らしの手帖」第5世紀31号で寺尾紗穂さんのインタビュー記事が載っていたな。

よろしければそちらもご覧くださいませ。

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