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読書録

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読んだ本の感想などです。
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2023年11月の記事一覧

WISH

疲労とストレスで耳が聞こえにくくなった時期がある。 周りが楽しそうに話をしているのに自分だけが膜のかかった世界に漂っているような疎外感を味わい、やるせない思いで日々を過ごしていた。 当時は何を見てもどんな音楽を聞いてもモヤモヤは解消されず、幸せそうなものを目にするたびに卑屈に感じた。 それほど辛い毎日を耐えるために心を閉ざしていたのだろう。 ドラマ「silent」で目黒蓮演じる主人公が恋人を遠ざけてしまったのも共感できる。 大切な人と上手く会話をすることができない、自分

読書録 「フェルマーの料理」

小林有吾「フェルマーの料理」(講談社) 岡潔「数学を志す人に」(平凡社) 先日、友人から勧められて購入した漫画「フェルマーの料理」が非常に面白くハマってしまった。現在、TBS系列でTVドラマも放映されているので今度視聴してみよう。 タイトルからお分かりの通り「数学」と「料理」がコラボする一風変わった組み合わせの作品である。 数学的才能に恵まれた主人公・北田岳は、数学オリンピックで挫折を経験し数学者になる夢を諦め学食のアルバイトで無為な日々を過ごしていた。ある日、謎の若き

読書録『赤毛のアン』をめぐる言葉の旅

上白石萌音・河野万里子「翻訳書簡『赤毛のアン』をめぐる言葉の旅」(NHK出版) 仕事で疲れて何も考えたくない夜は上白石萌音さんがレストランで美味しそうに食事をしている動画を見ると癒されます。 もちろんアーティストとして「ひかりのあと」などの楽曲も素晴らしいので、まだ聴いたことがない人はチェックしてみて下さい。 そして、お時間がある方はこちらも参照して頂ければ幸いです。 上白石萌音さんは女優、アーティスト、ナレーター、エッセイストなどマルチな才能をお持ちの上、オーディショ

瞬き

幸せとは星が降る夜と眩しい朝が 繰り返すようなものじゃなく 大切な人に降りかかった 雨に傘を差せることだ そしていつの間にか僕の方が 守られてしまう事だ いつもそばに いつも君がいてほしいんだ back number「瞬き」 映画「8年越しの花嫁 奇跡の実話」の主題歌。 すみません、映画はまだ見ていません・・・。 ただ原作の「8年越しの花嫁 キミの目が覚めたなら」は読んだ。 涙なしには読めない素晴らしい本だった。 大切な人を信じ続けること、人を愛するとはどういうこと

読書録「永遠のとなり」2011/2023

白石一文「永遠のとなり」(文藝春秋) 10年以上前の読書録を加筆修正して投稿する。 今と考えていることは、さほど変わっていないことに気づく。 人間の再生をテーマにした物語。 挫折や絶望に直面した時、人はどのように立ち直っていくのかが丁寧な文体で描かれていた。 いくつか印象に残った文章を引用する。 「私たちの欲望は次々と細切れにされ、その細切れごとに過剰なまでのサービスが用意され、充足させられていく。その一方で、もっと大きくて曖昧で分割のできない大切な欲望、たとえば、のん

棄てられた神

ヒルコはイザナギ、イザナミの最初の子(『古事記』)でありながら、海に遺棄された。 『古事記』には、こう記されている。 「くみどに興して、子水蛭子(ヒルコ)を生みたもう。この子は葦船に入れて流し去りき」(*くみどは寝所のこと) 水蛭子という字面から蛭のように骨のない異様な肉体で、歩くことも立つことさえもできない不具者をイメージさせて、海に遺棄することで締めくくられる。 それをオマージュした作品が手塚治虫の「どろろ」であると教えてくれたのは大学時代、農業経済図書室の司書のY

読書録「確率論と私」

伊藤清「確率論と私」(岩波現代文庫) ブラック・ショールズモデルの基礎となる「伊藤の定理」を発見した伊藤清先生の唯一のエッセイ集。 日本の確率論研究の基礎を築き、かつ多くの後進を育て、また京都賞をはじめ、国際数学連合の主催するガウス賞の受賞など数々の栄誉に輝いた伊藤先生の「確率論を数学的に厳密かつ精緻なものにしたい」と真摯に研究に打ち込んだ姿がうかがえる。 「『金融の世界』への不安」という項で自身の「伊藤の定理」が金融という思わぬ形で応用されたことについて触れている。

残心の哲学

失敗や失望に打ちのめされたプロスポーツ選手が、感情を吐き出すために自分の用具を壊すというシーンをテレビでよく見る。その情熱は賛美されることさえある。テニスの選手がラケットを壊したり、野球選手がバットを折ったり、ゴルファーがクラブを曲げたりする。一時的な感情の発散になるかもしれないが、武道家としてその行為は無礼としか思えない。用具を粗末に扱うことは、そのスポーツ、そしてアスリート自身への敬意が欠如している。さらに、若いアスリートに対して悪い見本となり、失敗や敗北に直面した時に感