脳梗塞を発病して…②
目が覚めて、すぐに病院に電話しなければと思い、
通っていた病院に電話をする。
救急看護士さんが電話に出ると、
私は、全く話せなくなってしまっていた。
喋ろうと思っても声にならない。
救急看護士さんは、喋れない私に、
「脳梗塞の類かもしれません。
救急車で病院にすぐに来てください」と話した。
さすがに、喋れない人物が電話に出て、応答がない状態だと
間違い電話かと思われがちだが、話せない状態なのを分かり、
すぐに病院へと言ってくれた看護士さんにはさすがだな、と思う。
着替えをして、病院のカードを持って、
すぐにタクシーに乗った。
救急車で行くのも何だかな、と思っおり、
病院のカードで住所をタクシー運転手に見せる事にした。
この時は、まだ頭の中は、自分では普通であったと思う。(その時は…)
病院に着き救急科に行き、看護師と話すと
この時は、多少喋る事ができる状態だった。
少しボーッとしていたかもしれないが、
タクシーで来た事に看護師に酷く怒られた。
救急科で点滴を受けている時に、妻がやってきた。
時間の経過などが少し飛んだりしているようだ。
病室に行き、妻と多少、話はできていたようだ。
そこから2日くらいは、全く記憶がない。
妻は私の入院した当日よりも、その次の日からの方が、
話しができる状態ではないと思っていたようだった。
言語的、行動的なリハビリなど1日に数回行われた。
言葉はある程度、喋れるのだが、
犬と猫と違いも分からない。漢字も書けなくなった。
しかし、リハビリの中でパソコンでキーボードを打つと、
これは難無くすることができた。(これは不思議だ)
徐々に回復はしているなと感じた入院から14日の頃、
退院まじかの頃合いで、脳梗塞の再発が出た。
小脳に梗塞が起こってしまった。
小脳の梗塞は大変辛いものがある。
平行感覚が全く無くなり吐き気が物凄い。
点滴を変える事で血の通りを良くしてもらったが、
都合1か月でなんとか退院という事になった。
退院となった日も、妻と一緒に地下鉄に乗って帰ったが、
吐き気がまだ続いており、一駅づつ降りては、次の地下鉄に乗り、を
繰り返していた。
脳梗塞は50%が再発すると言われている。
入院で再発し、飲み薬も良く効いているので
現在もその薬を使っている(イグザレルト)。
当時の血圧は上が180くらいあった。
今は薬の影響で上が115程度であるが、
血圧の高い人は脳梗塞や大動脈解離など
死亡してしまう病気も多いのですぐに病院で行ってもらいたい。
頭の状態が正常で戻ったのは、自分が思うに1年半後くらいかもしれない。
頭が一度リセットされたの思うのも自分勝手な言い分かもしれないが
随分と物事に対し、素直になったような気がする。
長い時間、迷惑を掛けた家族に申し訳ないと伝えたい。
現在は病院も薬をもらうだけで検査も何もしていないが、
喋る時に口がドモる程度で落ち着いている。
脳梗塞になり、寝てしまい、麻痺も起こらず
ドモる程度以外で何不自由ない生活を送っている。
死ぬかもしれないという病気は三回目。
脳梗塞、大動脈解離、肝臓癌。
その全てが一歩間違えると死んでしまう大病ではあるが、
●脳梗塞………寝てしまう馬鹿な状況でも、翌日には麻痺も治っていた。
●大動脈解離………解離部分が(stanford B)で血圧コントロールで終わることができた。
●肝臓癌………1㎝程度のステージ1で手術で治療できた。(手術より10年目)
まだ死んではいけない!という事なのでしょう。
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